29歳の若き研究者・伊藤将人はなぜ「移動」について研究を続け...の画像はこちら >>

「コロナ禍や猛暑の今、フードデリバリーが人気ですが、あれはいわば『移動の外注』であり、格差の表面化でもあります」と語る伊藤将人氏

豊かさや学歴、都市部と地方との条件の違いなど、さまざまな格差が問題になっている今日だが、「移動」の格差をテーマにした本が出た。『移動と階級』(講談社現代新書)だ。

誰もが日常的に、自分の意思で移動しているように思われがちだが、本書によると、階層や性別、住む地域によって移動の自由や経験には大きな差があるという。

移動格差を専門に研究する著者の伊藤将人氏(国際大学グローバル・コミュニケーション・センター研究員・講師)は1996年生まれの29歳。若き研究者は、なぜこのようなテーマを選んだのか?

* * *

――移動にも格差があるんですか?

伊藤 あります。例えば移動の経験ですね。年収600万円以上の層だと、飛行機に乗った経験がない人は5.7%しかいませんが、年収300万円未満の層だと、それが約25.2%にまで跳ね上がります。国内外への旅行の経験率も年収によって大きな違いがあります。

――それはシンプルに、経済力による格差では?

伊藤 そういう面はありますが、それだけではありません。例えば女性であったり、家族にハンディキャップを持っている人がいたりすると移動しづらい傾向があることがわかっていますが、これは必ずしもお金の問題ではないですよね。

興味深いことに、「よりよい仕事があるなら別の都道府県に転居できる」「地方移住してもテレワークで同じように働けそう」「自分には移動の自由がある」と考えている人の割合も、年収が高いほど多い。

つまり、移動経験だけではなく、移動についての認識にも格差があるんです。ざっくり言えば、階層が「上」の人ほど移動との親和性が高く、「下」の人ほどそうではない傾向があります。

――長野出身で、今は東京の大学に勤める伊藤さんも、移動へのモチベーションは高かった?

伊藤 いえ、僕は反対で、長野への愛が強かった。

将来は地元で公務員になろうと思っていましたし、通った大学も長野県内でした。東京への関心は弱かったですね。移動という概念があまりなかったとも言えます。

ところが大学生の頃に地域おこしの活動をしていると、東京から移住してきた人や、東京との二拠点生活をしている人によく会うんです。それで初めて「移住」とか「東京」といった概念をリアルに感じました。

――それで東京に憧れた?

伊藤 むしろ逆で、「東京なんかに負けないぞ」と思っていましたね(笑)。ただ、当時の僕の周囲には海外渡航経験がある人はほとんどいなかったのですが、東京とつながりがある面白い人は皆、海外に行った経験があることに気づきました。

それで文部科学省の留学支援制度を使い、半年ほど渡英したんです。それが僕にとって初めての大きな移動でした。

――視野が広がり、移動の自由を手に入れたんですね。

伊藤 本書にも書きましたが、近年、ビジネス書などで移動がもてはやされていますよね。昨年も『移動する人はうまくいく』(長倉顕太著、すばる舎)という本がヒットしましたし、お笑い芸人で絵本作家の西野亮廣さんも、移動は人を成長させるとして称賛しています。

移動研究の世界でも、移民がイノベーションをもたらしたりと、移動が成功と結びつく可能性は指摘されています。あと、今の人類にとっては定住生活が基本ですから、そこから外れる移動は、なんとなくカッコよく見えるのもあるでしょう。

――確かに、移動しながらバリバリ仕事をこなすビジネスパーソンはイケてますよね。

伊藤 ただ、お話しした移動格差の存在を踏まえると、移動を称賛ばかりしていることは、格差の拡大や自己責任論につながるリスクがあります。それに、「移動=社会的強者」とも限りません。難民とか、都心部の家賃が高すぎてやむなく郊外に引っ越す人など、消極的に移動を強いられるケースも少なくないんです。

コロナ禍や今の猛暑ではフードデリバリーに注目が集まっていますが、あれはいわば「移動の外注」であり、格差の表面化でもあります。

――移動の実態は複雑なんですね。でも、地方の人にとって、衰退する地元から都市部への移動ができることは大切ではないでしょうか。

伊藤 確かに地方と都市部との格差は深刻ですし、地方から東京圏への若者人口の流出は続いています。でも、その当事者のひとりとして思うのですが、地方でローカルな営みを続けている人がいるからこそ、移動の自由を謳歌している都市部エリートの生活は成り立っているわけですよね。

飛行機の機内で出される野菜が日本のどこで作られているか考えたことはありますか? 移動せず、ローカルにとどまる人に光が当たらないのはちょっと問題だと感じますね。

それに、人口が減っている地方では若者ひとりに対する期待はどんどん強くなっています。地方の若者は、都市部への移動の誘惑と、ローカルからの期待との間で引き裂かれています。

――地方のローカルなコミュニティにとっては、移動がマイナスでもあるんですね。

伊藤 ただ、状況は変わってきています。今の学校では地域学習の授業の時間が増えていますから、地方の子は地元の問題をよく理解していますし、郷土愛も強いんです。

もちろん、それでも都市部に出ていく若者は多いのですが、将来、再び地元に移動してくる可能性もありますよね。一昔前の地方の成人式では、「地元に残ってね」と言われたものですが、最近は「気が向いたら戻ってきてね」というセリフをよく聞きます。

地元を出ていってしまうのはしょうがないけれど、都市部でいろいろな経験をして、成長して戻ってきてね、という意味です。一度、地元を出た人でなければできない地元への貢献方法もあるでしょう。

――グローバルと結びつけられやすい「移動」には、実はローカルを豊かにする可能性もあるんですね。

伊藤 今でも仕事で長野県の中学校と関わっていますが、僕の存在が、かつての僕のような「移動」を知らない子に選択肢を与えられたらいいですね。そういう人々が地方の衰退を止めるキーパーソンになるかもしれない。

僕も将来は、なんらかの形で長野に戻るのもすてきだな、と思っています。

●伊藤将人(いとう・まさと)
1996年生まれ、長野県出身。国際大学グローバル・コミュニケーション・センター研究員・講師。2019年長野大学環境ツーリズム学部卒業、2024年一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。立命館大学衣笠総合研究機構客員研究員、武蔵野大学アントレプレナーシップ研究所客員研究員、NTT東日本地域循環型ミライ研究所客員研究員。著書に『数字とファクトから読み解く 地方移住プロモーション』(学芸出版社)がある

■『移動と階級』
講談社現代新書 1100円(税込)
貧富、情報、医療、ジェンダー......世界にはさまざまな格差が存在するが、「移動にも格差がある」と説いたのがこの本だ。通勤・通学、買い物、旅行、引っ越し、観光、移民・難民、気候危機といったキーワードを基に、移動の格差と分断、そしてそれに結びつく社会階級について、多数のデータを参照しながら説き明かす。これまで社会学的な移動研究を扱った書籍は専門書しか存在しておらず、本邦初の一般書と言える

取材・文/佐藤 喬 撮影/榊 智朗

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