もし3者会談が決まれば、プーチンとゼレンスキーの顔合わせは2019年のパリでの会談以来6年ぶり、侵攻後では初の直接対峙となる
米アラスカでの米ロ首脳会談を皮切りに、ホワイトハウスにゼレンスキーと欧州首脳が集結。次に噂されるのは、アメリカとロシア、そしてウクライナが一堂に会する前代未聞の3者会談。
停戦への道筋は本当に見え始めたのか――。その先に広がるのは、プーチンが描いた世界?
■米ロ首脳会談で動き出した和平
8月16日(日本時間。以下同)、米アラスカ州アンカレッジで行なわれたアメリカのトランプ大統領とロシアのプーチン大統領による米ロ首脳会談で、大きく動き出したウクライナ和平交渉。
その3日後の8月19日には、急遽ウクライナのゼレンスキー大統領が訪米してトランプ大統領と会談。
さらに、イギリスのスターマー首相、フランスのマクロン大統領、イタリアのメローニ首相、ドイツのメルツ首相、フィンランドのストゥブ大統領、EUのフォンデアライエン欧州委員長、ルッテNATO事務総長の欧州首脳7人を加えた拡大会合もホワイトハウスで開かれ、米ロ首脳会談の内容を踏まえた和平合意の条件や停戦後の安全保障のあり方が議論された。
そこで、トランプ大統領が米・ロ・ウの3者会談の開催に意欲を見せるなど、和平の実現がにわかに現実味を帯びてきたようにも見える。

8月16日、米アラスカ州アンカレッジにある米軍基地で開かれた米ロ首脳会談。ウクライナ侵攻後では初の直接対話となったが、停戦合意には至らなかった
しかし、「自分が大統領になれば、すぐにでもこの戦争を終わらせる!」と豪語していたトランプ政権の発足から約7ヵ月。いっこうに進展しなかったウクライナ問題がなぜ、米ロの直接会談で動き始めたのか?
「停戦が実現すればよいのですが、制裁を警告してロシアに圧力をかけていたはずのトランプが、逆にプーチンの術中にはまってしまったように見えるのが懸念されます」
そう語るのは、安全保障が専門の慶應義塾大学教授で国際政治学者の鶴岡路人氏だ。
「トランプ大統領は今年7月、『ロシアが50日以内にウクライナとの停戦に応じない場合、極めて厳しい関税を課すことになる』と語りました。その後、期限を早め、『ロシアが8月8日までに停戦に応じなければ深刻な結果を招く』と警告していました。
ところが、ロシア側はアメリカが本気で制裁に踏み切る覚悟がないことを見透かしており、まったく停戦に応じないまま期限が過ぎてしまったのです」
トランプは、自ら設定した期限に追い込まれる形でプーチンとの会談に臨むことになった。そして、会談に先立ってロシア側と交渉していたウィトコフ特使と共に、プーチンの主張に丸め込まれる方向へと大きく傾いてしまった。
「結果として、それまで一貫して求めていた『即時停戦』から、ロシア側の条件を大幅に取り込んだ『恒久的な和平合意』へと路線を転換せざるをえなくなったのです」
■ロシア有利に傾いた「和平案」の中身とは
では、米ロ首脳会談を経てアメリカが示した「和平合意案」とは、具体的にどのようなものなのか。
詳細は明らかにされていないが、ゼレンスキー大統領や欧州首脳との会談から、アメリカ側が提示した条件の輪郭が浮かび上がってきた。
焦点は領土問題。ロシア側は、2014年に一方的に併合したクリミア半島を正式にロシア領として認めるよう要求。
さらに、ウクライナ東部ドンバス地方で現在ロシアが約70%を支配するドネツク州全域からウクライナ軍が撤退すれば、その他の地域では現状の前線で停戦に応じると持ちかけたようだ。相当に一方的な提案に見える。
「まず大前提として、一方的に侵攻したロシアがウクライナの領土を奪うことは、国際法が禁じる『力による現状変更』そのものであり、決して許されることではありません。
さらにひどいのは、ドネツク州全域の割譲という部分です。停戦とは通常、停戦時点の前線を固定するもの。それなのに、今もなおウクライナ軍が死守している残り3割までもロシアに差し出せというのは、常識的に考えてありえない話で、ウクライナが受け入れることは困難です」
もちろんゼレンスキー大統領も、今は完全な領土奪還が可能だとは考えていない。最終的になんらかの形で譲歩を強いられることは理解しているはず。だからこそ今年2月のトランプとの会談で激しく対立した後、トランプによる即時停戦案に同意し、アメリカとの関係改善に努めてきた。
「即時停戦案への同意は、現在ロシアが占領している部分は、当面占領され続けるという現実の受け入れを意味します」
その結果、トランプも批判の矛先を停戦に応じないロシアに向け、ロシアからエネルギーを輸入しているインドに対する追加関税などのロシアへの制裁強化をちらつかせながら圧力をかけてきた。
しかし、米ロ会談後、トランプは「停戦より和平合意を目指すべきだ」と態度を変え、「ロシアと合意できるかはゼレンスキー次第だ」と言い出した。
「アメリカとロシアが歩調を合わせてしまった以上、ウクライナや欧州も、常識では考えられないこの和平案をベースに協議を進めざるをえない。ただしウクライナは、領土で譲歩するなら、せめてロシアが再び侵攻してこないための『安全の保証』が不可欠だという立場です」

8月19日、ゼレンスキー大統領と、スターマー英首相、マクロン仏大統領、メルツ独首相、メローニ伊首相、フォンデアライエン欧州委員長に加え、ルッテNATO事務総長らがホワイトハウスに結集。トランプ大統領と会談した
これに関しては、米ロ会談後に進展があったという。
「トランプはこの『安全の保証』自体が嫌いだったのですが、『アメリカが関与する』と方針転換したのです。具体的な中身や、どれだけ効果のあるものにできるかはまだこれからですが、重要な一歩です。これをウクライナも歓迎しています」
トランプ政権は、ある程度の「安全の保証」を確保し、領土の線引きができれば和平が実現すると考えているようだ。しかし、鶴岡氏はそれに疑問を呈する。
「仮にウクライナが領土問題で大幅な譲歩を受け入れたとしても、ロシアが停戦や和平に本当に同意するかどうかは別問題です。
侵攻開始当初からロシアはゼレンスキー政権を『ナチ』と呼び、政権排除やウクライナの中立化、さらには軍備制限を求め続けてきました。一貫して『紛争の根本的な要因の除去』を主張してきた以上、そこに手をつけなければロシアが首を縦に振らない可能性がある。
しかもプーチンは、トランプを『即時停戦には固執しない』という態度に変えさせました。
さらに言えば、プーチンは外交舞台でも得点を重ねました。トランプを再び自分の側に引き寄せただけでなく、アメリカから丁重に迎え入れられる姿を全世界に示した。国際社会への復帰の象徴的場面になりました。
そう考えれば、今回の米ロ首脳会談はプーチンの全面的な勝利と言っても過言ではないでしょう」
■ウクライナの秩序は守られるのか
米ロ会談を経て「ロシアペース」で動き始めてしまった和平交渉。ゼレンスキーや欧州首脳は、心中に複雑な思いを抱きつつも、トランプの機嫌を損ねないように細心の注意を払いながら、できるだけ早期の停戦と和平の実現、さらにはその後の新たな安全保障体制の構築に向けて動いている。
だが、仮にこの先、ウクライナとロシアの戦争を止めることができたとしても、結果的にロシアの侵略と領土の拡大までも許してしまうトランプ政権のやり方に対し米保守派からの批判はないのか?
そして「トランプのアメリカとプーチンのロシア」との親密な関係はこの先、日本を含めた世界にどのような影響を与えるのだろうか?
「そもそも、トランプ政権を支えるアメリカの保守派、特にキリスト教福音派を主体とする宗教右派には、冷戦期からの反ロシア感情はほとんどありません。むしろ〝アンチリベラル〟の観点から、プーチンに親近感を抱く層すらいます」
そう語るのは、上智大学教授で現代アメリカ政治が専門の前嶋和弘氏だ。
「ウクライナ問題に関するトランプの言動だけを見れば、あるときはロシア寄り、あるときはウクライナ寄りで一貫性がないように見えるかもしれません。
しかし、それはあくまでも表面的な見え方であって、注意深く観察すれば、トランプは一貫してプーチンのロシアと親密であることがよくわかります。
それは彼の支持層である宗教右派にとってはプラスであり、根っからのポピュリストのトランプは彼らの存在も意識しながら、親ロ的な姿勢を取り続けているのだと思います」

今年2月の会談では口論となり関係が冷え込んだゼレンスキーとトランプ。
前嶋氏はさらに警鐘を鳴らす。
「もちろん、トランプ自身も語るように、相手は世界有数の軍事大国ロシア。小国ウクライナが完全に打ち勝つのは難しい。そうなると停戦を実現するためには、アメリカという大国の力を借りるだけでなく、ロシアの立場にも一定の配慮が必要かもしれません。
ただし、仮に和平が実現しても、それは既存の国際秩序や国際法を無視した〝大国同士の取引〟による仮初めの平和です。
これまで、世界が一歩ずつ築き上げてきた既存の秩序や国際法を平然と無視するような軍事大国が結びついて実現する『平和』を、手放しで喜ぶわけにもいきません。
侵攻をした側の勝利という前例ができてしまえば、今、ウクライナで起きているような戦争が将来、東アジア地域で起きたときに、その行方がアメリカやロシア、中国といった大国の思惑や取引で左右されるような世界になってしまうかもしれない。それは私たち日本人にとっても決して人ごとではないのです」
トントン拍子に進んでいるように見えるロシア・ウクライナ停戦。だがその裏側では、国際秩序の根幹を揺るがしかねない「大国の取引」が動き始めている。トランプが描く〝和平〟は、果たして本当に永続的な平和か、それとも次の火種か......。
取材・文/川喜田 研 写真/時事通信社