日本企業が再び力を取り戻すためにはどうすればいいのか。日本工業大学大学院技術経営研究科の田中道昭教授は「世界の自動車産業の中でROA(総資産利益率)が最高レベルにあるスズキの事例が参考になる」という――。

■スズキが叩き出した“異次元”の成果
2025年現在、自動車産業は過渡期にある。CASE(Connected, Autonomous, Shared, Electric)の大波とともに、世界中のメーカーが巨額の投資を進めている。そんな中、日本のスズキが静かに、しかし確実に“異次元”の成果を叩き出している。
その象徴がROA(総資産利益率)10.73%という数字だ。これは単なる財務上の優等生というわけではない。同社が構造的に「小さくして強く」「少なくして深く」「軽くして速く」「短くして敏捷に」「美しくして持続可能に」という哲学を、経営のあらゆる領域に徹底して貫いていることの証明である。
筆者が各社の財務データから作成したROAマップ分析でも、スズキは自動車メーカーの中で突出した位置を占めていた。
一般に自動車メーカーは金融子会社を抱え、設備投資負担も大きいため総資産回転率が低くなりがちだが、スズキは小型車・軽自動車を中心とするビジネスモデルゆえ金融事業を持たず、総資産回転率0.97という業界最高水準の“軽さ”を維持している。さらに、営業利益率も11.04%と非常に高い。
■トヨタやテスラとは根本的に違う「優位性」
ROA10.73%という数字は偶然ではない。儲かる仕組みだけではなく、儲かる構造の上に成り立っている。トヨタの圧倒的なブランド力とスケールメリット、テスラが示すソフトウェア志向とは異なり、スズキの優位性は「構造の精緻さ」にこそある。

例えば営業利益率ひとつとっても、スズキは高価格帯モデルやプレミアムブランドを持たず、むしろ軽自動車や小型車という低価格セグメントに集中している。しかし、原価率を極限まで引き下げる調達力と設計効率、共通プラットフォーム戦略、少品種大量生産による調整コスト削減などによって、営業利益率はトヨタをも上回る。
一方、総資産回転率の高さは、スズキの経営が“軽さ”と“速さ”を追求していることの裏返しでもある。金融事業を抱えない構造、過剰な設備を抱えない投資思想、販社網の合理化、在庫回転の最適化――これらすべてが“資産が重くならない仕組み”を形成している。
つまり、ROA10.73%とは、製品・事業・財務・戦略・文化のすべてにおいてコンパクトな最適化が実装されていることの証である。
■世界最大のテクノロジー見本市でも存在感
今年1月、筆者は米国ラスベガスで開催された世界最大のテクノロジー見本市「CES2025」に参加し、現地からリポートした(〈これぞ「ものづくり大国日本」の再来だ…トヨタでも日産でもホンダでもない、世界の注目を集める自動車メーカー〉参照)。
その中で注目したのが「Impact of the Small」を掲げたスズキのブースである。自動運転技術で世界をリードする「ウェイモ」の真横に展開していたため見劣りしてしまうかと思いきや、極めて独自性の強い展示になっており、抜群の存在感を見せていた。
会場で特に目を引いたのは、ブース内に掲示された「小・少・軽・短・美」の5つの漢字だ。意味するところは、コンパクトでシンプルかつ軽量・軽やかな製品を短期間で生み出し、その調和により美が生まれるということである。
この5つのキーワードは単なるキャッチコピーではない。経営構造そのものに組み込まれた概念であり、同社の高ROAを生み出す原点でもある。

■定量的に読み解く「小・少・軽・短・美」の力
スズキが掲げる「小・少・軽・短・美」は、各コンセプトが経営の中枢にまで染み込み、製品設計、開発プロセス、生産体制、組織構造、そして財務指標にまで明確に表現されている。
そしてそれらはすべて、ROAという財務成果に統合されて結実する。ここからは各キーワードをそれぞれ定量KPIとして再定義し、技術経営(MOT)の視点も取り入れて、その戦略的・構造的意義を深掘りする。
小:小型プラットフォーム戦略と合理設計
スズキの「HEARTECT」プラットフォームは、まさに“モビリティの最小構成モデル”である。軽量かつ高剛性で、EV化にも対応可能な柔軟性を備えるこの共通基盤は、開発効率・安全性・燃費性能を同時に追求している。
KPIで見れば、HEARTECT採用モデルの平均車重は旧型比で最大100kg軽量化され、結果として1台あたりの原価も数万円単位で削減される。これは単なる製品の小型化ではなく、設計・開発・製造の合理構造の縮図であり、MOT的には「設計プラットフォーム最適化」と定義できる。
少:集中主力モデルとSKU戦略
スズキの国内外販売の柱は、「ワゴンR」「アルト」「スイフト」「ジムニー」「セレリオ」「ディザイア」など十数車種に集約されている。SKU(製品種類)の数を意図的に絞り込むことで、開発・生産・販売・在庫管理すべての効率性が向上している。
特にインド市場では、マルチ・スズキの上位5モデルだけで市場全体販売の約70%を占める。モデル別部品共通化率は60%超ともされ、部品調達コストの大幅削減と生産ラインの柔軟性向上が実現している。
設計リソースの集中と調達リスクの極小化が同時に成立しており、開発スピードとコスト競争力を両立する少品種大量設計管理の先端事例である。

■「バーチャル24時間開発体制」とは
軽:資産構造・供給網の軽量化
スズキは金融子会社を持たず、商流もシンプルで、生産設備・販社網への投資が極めてスリムである。これは総資産回転率(0.97)の異常な高さに直結している。
設備投資比率(設備投資額÷売上高)は自動車業界平均の約7%に対し、スズキは5%以下。固定資産回転率も非常に高く、稼働率管理・減価償却管理に優れる。販売管理費率も10%を大きく下回り、固定費構造全体が極めて軽い。
資産設計そのものをマネジメントする力を備え、従来の製品設計中心の技術開発から一歩進んで経営設計に踏み出している。
短:24時間開発体制と並列開発アーキテクチャ
日本・インド・欧州・ASEANの各R&D拠点を連携させ、設計タスクの分散と並列開発を前提とした“時差リレー開発”を導入。これにより、リードタイム短縮と開発スピードの劇的向上が可能となった。
特にインドとの連携では、夜間や休日に業務を引き継ぎながら進行する「バーチャル24時間開発体制」が定着。小さく、早く、失敗から学びつつスケールを拡大していく「アジャイル+リーン」型開発文化が根付いている。
時間資源のマネジメントと開発組織構造の柔軟化を両立させ、短期間での市場投入・原価低減・トラブル低減を実現している。
■「トランプ関税」でも影響が小さかった理由
なおスズキには、米国や中国の市場に依存せず、代わりにインドに注力してきた歴史がある。
スズキの世界販売台数の半数以上をインドが占めているほか、インドの製造拠点から日本を含む世界各地に輸出する体制を構築しているのだ。
その結果、米トランプ政権の関税政策が日本の自動車メーカーに打撃を与える中で、スズキは比較的軽微な影響に留まった。早くからインドに目を付けた戦略は慧眼であり、その先見性が証明されつつある。インド市場でこれほど存在感を示す日本企業は他にない。
美:社会課題解決とデザイン思想の融合
スズキの製品は単なる“安くて軽い”ではない。セニアカーやKUPOなど福祉モビリティは、ユーザーの身体的・経済的制約に寄り添い、最低限ではなく最適な体験を提供している。これは高齢化社会や地方過疎といった課題に向き合う設計哲学の表現であり、美意識の社会実装と言える。MOT的には「ユーザー志向の社会的機能価値の設計」として定義できる。
こうして見ると、「小・少・軽・短・美」とは技術戦略と経営指標が高度に結合した構造原理である。すべてがROAという定量成果に直結し、またすべてが技術経営の実装モデルとして語りうる。
これこそがスズキの“見えない競争優位性”であり、世界に誇る日本発の経営アーキテクチャと言ってよいだろう。
■MOTの視点からみた「Impact of the Small」
スズキの「小・少・軽・短・美」は、経営戦略と統合された技術経営(MOT)の具現化でもある。
ここでは、同社がどのように技術を経営に実装しているのか、その全貌を8つの視点から構造的に解明する。
1.技術戦略
スズキの原点である「小さく、軽く、ムダなく」を技術に落とし込んだのがHEARTECTプラットフォームだ。アルトでは100kgの軽量化を実現し、資源・エネルギー使用を最小化した。
また「バッテリーリーン戦略」により、大容量バッテリーではなく“小型で済むEV”というスズキらしい電動化像を構築。エネルギー効率とユーザー満足のバランスを取る設計哲学が貫かれている。
2.イノベーション戦略
「小さく試して、大きく育てる」という文化が開発現場に根付き、セニアカーやKUPOなどの新領域製品も柔軟に創出。空飛ぶクルマ事業や、CVC「SGVファンド」を通じたスタートアップ投資も活発だ。現場主義と外部共創のダブルエンジンで革新を生み出している。
3.研究開発マネジメント
日本・インドでの“24時間開発体制”や、「四輪電動車技術本部」など機能別専門組織の設置により、開発スピードと技術蓄積の両立を追求。今後6年間でR&Dに2兆円を投じる計画は、年商比から見ても破格であり、次世代への本気度を示すものである。
4.製品・サービス開発とイノベーション
2030年までに四輪EVを17モデル投入する計画をはじめ、二輪・船外機にも電動化を拡大。さらに免許返納後向け高齢者モビリティやB2Bロボティクスなど、新たなモビリティサービス開発にも乗り出している。

5.技術ロードマップ・ポートフォリオ管理
全製品・全地域にわたるEV化スケジュールとCNG/バイオガス活用戦略を策定し、日本・欧州・インドごとに目標モデル数や販売比率を設定。ロードマップに基づいて予算と人材を配分することで、脱炭素と市場拡大を同時にマネジメントしている。
6.技術と経営の統合
バイオガス車の推進は、単なる脱炭素技術に留まらない。インド農村の酪農廃棄物を燃料に変え、現地の環境・経済問題を同時に解決する地域内循環型ビジネスモデルを構築。技術が社会構造を設計する領域にまで踏み込んでいる。
7.オープンイノベーションと外部連携
トヨタとの技術提携やスタートアップ投資など、外部の知を多層的に取り込んでいる。内部リソースの限界を越える知の越境戦略が競争優位の源泉だ。
8.サステナビリティと社会価値
CO2削減、モビリティ格差是正、安全性向上――これらすべてが技術戦略に組み込まれ、社会価値の経営実装が行われている。高齢者向けモビリティやバイオガス活用も、「社会課題を起点に技術をデザインする」スズキのMOT文化の表れである。
■「小さく、少なく、軽く、短く、美しく」経営する時代へ
スズキがCES2025で掲げた「Impact of the Small」は、一見“コンパクトなクルマ”の話に聞こえる。しかしその真意は、現代の経営と技術における構造的パラダイムシフトを示すメッセージだ。ここまで見てきたように、スズキは「小・少・軽・短・美」の5つのキーワードを単なる標語に留めず、ROA10.73%という財務成果とMOT(技術経営)の実装プロセスにまで具体化している。この構造は、次の「3つの層」で機能している
①構造の美学:思想が構造を形づくる
「小ささ」は単なるスケールの問題ではない。「最小で最大を達成する」知恵と工夫の集積であり、設計思想の表現である。スズキは設計・調達・製造・物流・運用のあらゆる階層で“構造をデザイン”しており、技術を経営構造の設計にまで昇華させている。それが「構造的利益率」の源泉となっている。
②定量成果への実装:KPIとしての「小・少・軽・短・美」
この構造思想は営業利益率11.04%、総資産回転率0.97という顕著な財務数値に裏付けられている。各キーワードに対応する指標が互いに連動し、高収益×高効率の利益構造を押し上げている。
③経営の未来形:複雑化・肥大化からの脱却
多くの大企業が規模の追求の果てに組織と製品の複雑化に直面する中、スズキはシンプルな構造と広い適応力を両立する稀有なモデルを確立している。これは「複雑であることは正しい」という20世紀型経営の呪縛を捨て、構造を削ぎ落として美として昇華した21世紀型経営の姿である。
■日本企業再興のために必要なこと
もっとも、自動運転やEVなど新技術領域では巨額投資が必要なため、「小さなメーカーは生き残れない」との指摘も根強い。だがスズキは独自領域に集中しつつ、必要な分野ではトヨタとの協業など外部連携で補完する戦略を取っている。
CES2025でも豪Applied EVと共同開発した「自動運転台車」を展示し、開発成果を示した。社外パートナーと要素技術を共有しながら自社の強みで勝負する――その柔軟性が、巨大化せずとも最新技術に適応し得ることを証明している。
今後、世界の企業が持続的な価値創造を求める中で、スズキの示したこの構造は、脱成長時代における経営の理想形のひとつと言える。ROAを押し上げる構造的合理性と、社会に寄り添う“やさしいテクノロジー”の両立。このバランスこそが「小ささ」のインパクトである。
小ささとは経営の制約ではなく、未来を設計する技術思想であり、構造の選択である。この哲学にこそ、日本企業が再び世界に誇れる未来が宿っている。

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田中 道昭(たなか・みちあき)

日本工業大学大学院技術経営研究科教授、戦略コンサルタント

専門は企業・産業・技術・金融・経済・国際関係等の戦略分析。日米欧の金融機関にも長年勤務。主な著作に『GAFA×BATH』『2025年のデジタル資本主義』など。シカゴ大学MBA。テレビ東京WBSコメンテーター。テレビ朝日ワイドスクランブル月曜レギュラーコメンテーター。公正取引委員会独禁法懇話会メンバーなども兼務している。

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(日本工業大学大学院技術経営研究科教授、戦略コンサルタント 田中 道昭)
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