新日本プロレス社長・棚橋弘至が現役最後に見せる景色「引退して...の画像はこちら >>

因縁のオカダ・カズチカと決戦。"100年に一人の逸材"棚橋弘至が堂々引退!

〝逸材〟、そしてプロレス界の〝救世主〟とも呼ばれた男が、1月4日の引退戦でついに26年間の現役生活の幕を閉じる。

原点である大学時代、プロレス界全体に逆風が吹いていた2000年代に新しいレスラー像を確立できた理由、そして自らの引退と次世代にかける思いまで余すところなく語ってくれた。【見逃すな!! 新日本プロレス1.4東京ドーム Part1】

【棚橋は果たして〝疲れる〟のか!?】

「引退試合は、どうしても引退する選手にフォーカスがいってしまう。そんな中、対戦を引き受けてくれたオカダには、まず感謝しています。ただ、対戦成績は5勝9敗3分けで、直近も4連敗。最後に一発、借りを返したい思いも強いです。

膝の状態が悪く『引退もやむなし』と思われるような姿を見せるのか。それとも、しっかりコンディションを整え『まだまだできる』と思われながらリングを降りるのか。どちらになるかで印象は大きく変わるし、僕としてはやっぱり後者で終わりたいですね」

新日本プロレス社長・棚橋弘至が現役最後に見せる景色「引退してもプロレスラーとしての信念は持ち続ける」
2025年7月25日、東京・大田区体育館での試合で豪快なエルボーを決め存在感を示す棚橋

2025年7月25日、東京・大田区体育館での試合で豪快なエルボーを決め存在感を示す棚橋

2026年1月4日に迫った東京ドームでのオカダ・カズチカ(米AEW、38歳)との引退試合について、そう話すのは新日本プロレス(以下、新日本)の不動のエース、棚橋弘至(49歳)。〝100年に一人の逸材〟を自称し、新日本を支え続けてきた。

1999年の入門から26年。逆境の時代も新日本ひと筋を貫き、23年12月には代表取締役社長に就任。選手兼社長としてリングに立ち続けてきた男が、ついにキャリアにピリオドを打つ。

当初、引退試合の相手には、何人ものレスラーの名前が挙がっていた。だが、棚橋も「最後はゆかりのある相手」と話していたとおり、10年代に死闘を重ねたオカダとの対戦に決まった。

「キャリアを振り返れば、時代ごとにライバルがいました。00年代には中邑真輔(45歳)。その後は内藤哲也(43歳)が軸になり、そしてオカダ。選択肢が多かったぶん、決断は簡単ではなかったです。ただ、オカダとは因縁もあり、最後に〝壮大な伏線回収〟がかなうのかどうかにも注目してください」

棚橋が言う伏線回収とは、12年1月までさかのぼる。当時、IWGPヘビー級王者だった棚橋に、海外遠征から凱旋帰国したばかりのオカダがリング上で「棚橋さん、〝お疲れさまでした〟。あなたの時代は終わりです」と世代交代を告げる挨拶をしたことがあった。

すると、棚橋が「悪いな、オカダ。オレは〝生まれてから疲れたことがないんだ〟」と返し、そのやりとりが大きな話題に。翌月にはふたりがIWGPヘビー級のベルトをかけて戦い、オカダが必殺技のレインメーカーで棚橋から初勝利を挙げた。

新日本プロレス社長・棚橋弘至が現役最後に見せる景色「引退してもプロレスラーとしての信念は持ち続ける」
IWGPヘビー級を10度防衛し、プロレス大賞MVPを受賞して坂口征二元社長から祝福された。2011年、新日道場で撮影

IWGPヘビー級を10度防衛し、プロレス大賞MVPを受賞して坂口征二元社長から祝福された。2011年、新日道場で撮影

この一連の流れは〝レインメーカーショック〟と呼ばれた。それ以降「疲れたことがない」が棚橋を象徴するフレーズとなり、棚橋はどんなに多忙でも〝疲れられない〟という十字架を背負うことになったのだ。

「僕が(新日本の創設者)アントニオ猪木さんに初めて挨拶したときのことです。『お疲れさまでございます』と言ったら、『別に疲れてねえよ』と言われてしまった。その瞬間、『お疲れさまです』を受け取ってもらえない世界があるんだと衝撃を受けました。

それでオカダに『お疲れさまでした』と言われたときに猪木さんの言葉が頭をよぎり、東京ドームのたくさんの観客の前で『疲れたことがない』と言い切ってしまった。そんな流れがあるだけに、最後に〝疲れた〟と言うのかどうか、注目してください。

疲れた社長には期待できないですから、言わないほうがいいのかな。ただ、ここで〝疲れ〟を認めないと一生認められない(笑)。

まあ、僕は自分の死因を〝過労死〟と決めていて、亡くなった際には『棚橋、ついに疲れる』ってニュースの見出しで死ぬ間際までファンをほっこりさせたい気持ちもあるんですけどね」

新日本プロレス社長・棚橋弘至が現役最後に見せる景色「引退してもプロレスラーとしての信念は持ち続ける」
棚橋弘至

棚橋弘至

棚橋の引退試合を含む、1月4日の「WRESTLE KINGDOM 20 in 東京ドーム」のチケットは、最前列100万円の棚橋弘至引退特別シートを含む全席種が完売。さらに、テレビ朝日が24年ぶりに地上波プライムタイムでの放送を決めるなど、世間の注目も高まっている。

「最前列は猪木さんのときよりも高額なのに、(即完売は)びっくりです。ただ、猪木さんの引退試合はまだ学生だった僕も見に行きましたが、パンパンの東京ドームで、歓声もすごかった。最近はそこまでいっぱいになることはなかったですが、若手にもそうしたリングを経験させてあげたい気持ちは強いです。

今の20代、30代の選手は、ちょうどファンに名前を売りたい時期にコロナ禍に直面した世代でもあるので、僕としては次の世代に橋渡しをするのも引退試合の裏テーマ。プロレスはフラットに見ても面白いんですが、やっぱりどちらかに肩入れして見るほうが断然面白い。棚橋は引退してしまうので、〝イッテンヨン〟を機に次の〝推し〟を見つけていただければと思います」

【原点は仮面ライダー】

00年代の総合格闘技の台頭に加え、橋本真也、武藤敬司、長州力、藤波辰爾ら人気レスラーの脱退が相次いだ新日本は、人気低迷に苦しんでいた。そんな苦境の時代に、若手エースとして孤軍奮闘し、その後の新日本のV字回復を牽引したのが棚橋だった。

とはいえ、当時の新日本は猪木イズムの「ストロングスタイル」と黒のショートタイツが〝王道〟だった時代。そこに茶髪・ロン毛、派手なロングタイツで登場した棚橋は、異端の存在と見られ、当初は古参ファンの反発も強かった。

「00年代の新日本はビジネス的にずっと苦しかった。僕は06年に初めてIWGPヘビー級王者になりましたが、チャラ男と揶揄されて大ブーイング。それが5年くらいは続きました。

『何も悪いことしてないのに、なんで?』とは思いましたよ。

ただ、信頼していたベテランスタッフの方に『棚橋くんは、そのままでいいよ』と言われて、自信がついたというか。僕にブーイングが来たとしても、『それで会場が盛り上がるならいいじゃん』って。

だって、それまで新日本は〝黒タイツのストロングスタイル〟を売りにしてきて、ビジネス的に行き詰まってしまった。そうなったら、同じ方法でいくら頑張っても無理。だから僕は新しいファンを獲得するため、これまでプロレスと接点がなかった人にもアピールしようと思い、派手なビジュアルを取り入れたりしたんです。

それに違和感を覚えたファンもいたと思います。それでも、『絶対に間違ってない』という確信があったので、突き進んできました」

それが、棚橋が〝救世主〟といわれるゆえんである。棚橋の奮闘によってプロレスは明るくなり、会場に熱が戻った。ただ、そんなほかとは一線を画した、ビジュアルやキャラクターを含めたスタイルは、いったいどこから生まれたのか。

「僕のスタイルの原点は、実は〝仮面ライダー〟なんです。勧善懲悪の世界観って、わかりやすいじゃないですか。

どれだけ強い怪人が出てきても、最後は仮面ライダーが勝つみたいな。中でもインスパイアを受けたのは、ちょうど子供が幼稚園のときに一緒に見ていた『仮面ライダーカブト』(06~07年放送)。

僕がビッグマウスでナルシシスト寄りのキャラになっていったのも、カブトで水嶋ヒロさんが演じた自信満々のキャラ・天道総司の影響が大きいんです。〝逸材ポーズ(胸を張って右手の親指と人さし指を立てるポーズ)〟も、実はカブトからまんまパクってますからね(笑)」

新日本プロレス社長・棚橋弘至が現役最後に見せる景色「引退してもプロレスラーとしての信念は持ち続ける」
リングを降りても社長の肩書はそのまま。プロレスの未来を熱く語る

リングを降りても社長の肩書はそのまま。プロレスの未来を熱く語る

立命館大学法学部出身の棚橋は、学生時代プロレス同好会に所属。体育会ではないためプロレスをする機会は学園祭などに限られ、仲間と観戦に行くような活動が主だったそう。そうしたルーツをたどっても、新日本への入門、そしてエースから社長へと上り詰めたストーリーは、まるで漫画のようだ。

「たぶん、天に愛されてたんだと思います(笑)。ただ、僕は同好会出身ですが、大学時代にアマチュアレスリングもかじっていたのがラッキーでした。見る人を楽しませる学生プロレスを経験した上で、〝アマレス〟で基本を学ばせてもらいましたから」

プロレスを続けてくる上でいちばんつらかったことを聞けば、棚橋は「好きなことを仕事にできていたので、喜びが上回っていた」と即答した。

「海外に行くとき、書類に職業を書く欄がありますよね。そのときにプロレスラーって書けるのがすごくうれしくて。

もう書けなくなると思うと、そこが寂しい。今後は〝元プロレスラー〟って書いちゃうかもしれませんね(笑)」

【「人生をかけたエンターテインメント」】

棚橋引退戦の1月4日は、25年夏、新日本に電撃入門した21年東京五輪・柔道男子100㎏級金メダリストのウルフアロン(29歳)のデビュー戦でもある。棚橋社長としては、ウルフへの期待も大きいに違いない。

「相手のEVIL(38歳)は百戦錬磨。ただ、ウルフも柔道で頂点を極め、熱い思いでプロレスへの転身を決めたはず。その覚悟を試合で見せてほしい。素材は間違いないし、彼が入ることでの新日本全体の化学反応は楽しみですね」

棚橋にとってプロレスとはどういうものかといえば、「人生をかけたエンターテインメント」なのだという。

「生き方ですよ。スポーツ選手は引退するとキャリアが終わるイメージがあります。ただ、プロレスはどんなときも諦めずに希望を持って前に進んでいくもの。だから僕はプロレスラーは引退しますが、プロレスラーとしての信念はこれからも持ち続けます」

24年10月に引退を発表し、ここまで全力で突っ走ってきた。それだけに、引退後にどんな心境になるかはまったく想像がつかないようだ。

「『もう試合をしなくていいんだ』『リングに立って戦うことはできないんだ』。そうした感情はやめてみないとわからないというか......。まあ、そんなことを言いながら、当日入場の際に泣いているような気もしたり。

入ってくるときから泣いてたら試合にならないし、最後まで泣かないつもりですが、果たしてどうなるのか。最後に(必殺技の)ハイフライフローが見たい? 跳ばない棚橋はただの〝イケオジ〟ですからね(笑)。最後まで跳び続けますよ!」

新日本プロレス社長・棚橋弘至が現役最後に見せる景色「引退してもプロレスラーとしての信念は持ち続ける」
引退理由は「疲れたから」になるのか。最後の力を振り絞って見せるフィナーレに注目が集まる

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引退試合の行方は当日のお楽しみ。だが引退後のイメージはできつつあるとも話した。

「今、体重は約100㎏ですが、引退したら75㎏くらいまで落として、ボディビルとかフィジークをやろうかなと。社長業もありますが、引退しても健康でいたいし、やっぱりモテたいじゃないですか(笑)。

それと、毎日お酒を飲みたい。お酒を飲むと、肝臓の動きが活発になって血糖値が下がる。血糖値が下がると、ラーメンなんかを食べたくなり、もう太るメカニズムですけどね。でも、これまで年1、2回だったラーメンを月1、いや週1にしちゃってもいいかなと思っています」

最後に棚橋は、どんな景色を見せてくれるのか。〝逸材〟棚橋弘至の物語は、1・4東京ドームで静かに、そして華やかに幕を閉じる。

取材・文/栗原正夫 撮影/ヤナガワゴーッ!

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