私は41歳になった今も、自分のキャリアについて考え続けています。
この先10年をどう働くのか。
人生100年時代と言われる今、仮に80歳を過ぎても健康でいられるならば、41歳はようやく人生の折り返し地点に立ったところでしょうか。
私はオリンピックに4度出場し、メダルも獲得しました。
ただ、年俸を数億円、数十億円と稼ぐ一部のトッププロスポーツ選手のように、現役時代に生涯家族を養えるほどの十分な蓄えを築けたかといえば、決してそうではありません。競技を終えた後、人生の安定が約束されているわけではない。その現実は、引退から時間が経った今も変わっていません。
しかし、こうした悩みは、決してアスリートだけのものではありません。
現在の日本では転職者数も以前より増え、多くの人が自分のキャリアについて考えるようになっています。高校や大学を卒業し、企業に入り、終身雇用で定年まで働く。かつて当たり前とされてきたキャリアモデルは、すでに当たり前とは言えなくなりました。
誰もが、自分の強みや価値を発揮できる環境や、これからの働き方を考えながら生きる時代です。
アスリートの場合、その問いと向き合うタイミングが、競技の終わりとともに半ば強制的に訪れるだけです。本質的には、多くの人が人生のどこかで経験していることと、何ら変わりはありません。
先日、私が日本水泳連盟のアスリート委員長として取り組んだのが、現役選手に向けたキャリアセミナーの実施でした。
日本代表候補選手を集めた合宿の中で、スポーツ庁のスポーツキャリアサポートコンソーシアム(SCSC)との共同プロジェクトとして、競技者としての充実と、その先の人生を見据えた「自分らしいビジョン」を考える機会として企画されました。
セミナーでは、「競技力向上とキャリア形成は相反するものではなく、密接につながっている」という視点から講義が行なわれ、参加者は競技とキャリアを並行して考えるヒントを得ました。
キャリアカウンセラーとして活躍する川島隆一講師の話を真剣に聞く日本代表候補の選手たち。このような機会を今後さらに増やしていきたいと考えています
セミナー後のアンケートには、多くの前向きな声が寄せられました。
高校2年生の選手は「水泳人生が終わったあと、自分は何をしているのだろうと考えるきっかけになった」と話していました。
また、社会人7年目の選手からは、「もっと早い段階でこの話を聞けていたら、キャリアの捉え方が変わっていたと思う」という声もありました。
水泳を引退したときに、「水泳をやっていて良かった」「水泳を本気で頑張ってきて良かった」と心から言える人を、どれだけ増やせるかが私は大事だと思っています。そうならなければ、水泳界には優秀な人材が集まらなくなり、ひいては水泳という競技が残らなくなってしまうのではないか、という危機感があるからです。
引退後の人生が見えない競技に、これからの若い世代が魅力を感じるでしょうか。
これは水泳だけの問題ではなく、多くのスポーツも同じ課題を抱えていると思います。
私の指導者であった久世由美子コーチは、私が子どもの頃からこう言ってくれていました。
「丈志、水泳が人生のすべてじゃない。引退してからの人生の方が、よっぽど長い。だからこそ、その先の人生も輝ける人間になってほしい」
そして、「そのためには、水泳をやりながらでもできることを、少しずつでいいからやっていくべきだ」と。
当時の私は、その言葉の意味を、今ほど理解できていなかったと思います。
それでも、その言葉が心のどこかに残り、現役中に大学の修士課程へ進むという選択につながりました。競技と学業の両立は決して簡単ではありませんでしたが、水泳以外の世界に触れ、学び続ける時間は、競技者人生とは別の軸で私を支えてくれ、引退後は体育学の博士号も取得しました。
ただ、学位を取ったからといって、不安が消えたわけではありません。
あの選択は、人生を一気に切り開く魔法ではなく、「水泳しか知らない自分」で終わらないための、小さな準備だったのだと思います。
一方で、スポーツ界には構造的な課題もあります。
水泳に限らず、多くのスポーツの指導者は、指導する選手の競技成績によって評価される立場にあります。そのため、選手を強くするという目の前の仕事に全力を尽くす一方で、選手の引退後の人生まで真剣に考えている指導者はあまり多くないという現実があります。
もちろん指導者に悪意があるわけではありません。ただ、それぞれが与えられた役割の中で、目の前の仕事に真摯に向き合っているだけなのだと思います。
だからこそ、選手自身が自分の人生に責任を持ち、オーナーシップを持って将来を考えることが重要になります。
キャリアについて考えることは、競技への集中を妨げる行為ではありません。むしろ、「競技に打ち込んだ時間を、次の人生につなげようとする姿勢」こそが、競技人生を支える土台になると感じています。
そしてもう一つ、強調したいことがあります。
選手時代に培った能力は、競技のフィールドを離れても決して無駄にはなりません。目標を設定する力、継続する力、失敗から立て直す力、チームで成果を出す力。これらは場所が変わっても活かせるスキルです。必要なのは、それに気づき、言語化し、自分のものとして捉え直すことです。
競技に本気で向き合っている"今"だからこそ、自分の人生にも向き合う必要がある。
それが結果的に、「この競技を選んで良かった」と心から言えるアスリートを増やし、スポーツ界の未来を支えることにもつながっていくのだと思います。
文/松田丈志 写真提供/Cloud9



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