今年は、通天閣と新世界の100周年を祝う『新世界100周年“キン肉マン”プロジェクト』を盛り上げるため、地元・大阪を何度も訪れている嶋田先生、今回も堂々の“凱旋”となった。
まず最初の凱旋先は「大阪市営交通フェスティバル」。会場となった大阪市交通局・緑木検車場(大阪市住之江区)は、嶋田先生が3歳から18歳まで過ごした実家のまさに目と鼻の先! あいにくの雨となったが、集まった家族連れや鉄道マニア、そしてキン肉マンのファンたちを前に、地元ならではのリラックスした雰囲気のトークが展開された。
大阪・住之江に暮らしていた当時を懐かしむ嶋田先生。
「あの頃はまだ“ボンネットバス”が市内を走ってましたね。毎日、バスに揺られながら小学校に通って、漫画と出会って、そして小4の三学期に引っ越してきた相棒(中井義則先生)と『キン肉マン』の原型を描きはじめて……。ここが僕たちの原点です」(嶋田先生)
観客との質疑応答コーナーでは、地元ならではのやりとりもみられた。
その後、息つく間もなく、次の「鉄道の日 はんしんまつり2012」へ移動。西宮駅構内の特設ステージにも、家族連れを中心に大勢の観客が詰めかけた。
トークでは「キン肉マンの絵のラッピングを施した車両とか走らせたら面白いんじゃないですかね」(嶋田先生)と、電車とのコラボ構想を披露。また、その日の気分次第で答えが変わることも珍しくない、おなじみ「お気に入り超人ベスト3」の発表も会場を湧かせた。この日は「3位ウォーズマン、2位テリーマン、1位は迷いますけど…………ラーメンマンですかね」とのお答え。
「最初はただのギャグキャラとして登場させようと思ってたんですよ。でも、読者がとにかく『カッコいい!』って支持してくれて、結果的にスピンオフの『闘将!!拉麺男』まで描くことになった。『キン肉マン』はファンの“友情パワー”がここまで成長させてくれた漫画だと思っているので、まさにそれを体現してるキャラクターなんですよ」(嶋田先生)
ふたつの“凱旋”トークショーを振り返って、嶋田先生は語る。
「僕らがデビューして33年も漫画を描き続けてこられたのも、生まれてから18年間育ててくれた、大阪っていう街があるからこそなんです。それに関西には『キン肉マン』の泥くさいギャグを愛してくれるファンがたくさんいてくれる。今日皆さんの前でトークしながら、大阪、そして関西に恩返ししたいっていう気持ちがどんどん高まりました。
なお、先に紹介した『新世界100周年“キン肉マン”プロジェクト』は、天王寺動物園100周年である2015年まで継続して行なわれる。
(取材・文/週プレNEWS編集部)