「『パラメヒコ』と出会ったのは大きかったよ」宮澤ミシェルが語...の画像はこちら >>

スパイクについて語った宮澤ミシェル氏
サッカー解説者・宮澤ミシェル氏の連載コラム『フットボールグルマン』第139回。

現役時代、Jリーグ創設期にジェフ市原(現在のジェフ千葉)でプレー、日本代表に招集されるなど日本サッカーの発展をつぶさに見てきた生き証人がこれまで経験したこと、現地で取材してきたインパクト大のエピソードを踏まえ、独自視点でサッカーシーンを語る――。

今回のテーマはスパイクについて。現在、様々な種類が発売されているサッカーのスパイクシューズ。宮澤ミシェルは、試合で履かれている最近のスパイクを見て、自身の現役時代を思い出したという。

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Jリーグの開幕戦を見ていたら、各メーカーのスパイクがすごいんだよね。蛍光ピンクとか蛍光イエローとかの派手カラーなのはあるし、なかには黄金色のもあったりしてさ。以前も昔のサッカー用具の話をしたけど、僕らの時代のスパイクを思い出しちゃったよね。

僕らの時代といえば黒地に白でメーカーのマークが入っているのが定番だった。だから、これほど派手なカラーのスパイクを履く選手が増えてくると、ちょっと抵抗があるよね。いまの選手たちは、色の組み合わせは気にしないのかな?

スパイクといえば、僕は大学時代からずっとプーマ派だった。大学1年の頃に、先輩がプーマ社の人からスパイクをもらっているのを見て、「ボクにもください」って頼んだんだよね。そうしたら「レギュラーになってからな」と言われてね。モチベーションになったものだよ。

スパイクは当時も1万円から2万円くらいしてさ。あの時代の国士舘大学の体育会系サッカー部のグラウンドは悪かったからね。毎日サッカー漬けでしょ。1年間で履き潰すスパイクの数は、10足とは言わないけど、7、8足くらいはあったよね。

レギュラーになったときに、プーマが約束通りにスパイクをくれてさ。うれしかったよねぇ。

うちは親父がだいぶ歳食ってて家計が厳しかったから、スパイクを買うお金を無心するのも気が引けていたからね。

1年間で8足はもらっていたんじゃないかな。試合用でポイント式と固定式が、それぞれ晴れ用と雨用で1足づつ。あとは練習用だったかな。年間8足の支出がなくなる。これには本当に助けられたよ。

それにプーマはブラジルやアルゼンチンの南米のテクニシャンたちが履いていたからね。高校時代からセルジ(セルジオ越後)たちと一緒に、いまで言うフットサルをやってブラジル人のテクニックを目の当たりにしていたから、彼らの履くプーマが輝いていたんだよね。

ただ、大学や実業団に所属していた80年代のスパイクって、ソールが硬かったんだよ。だから、風呂にスパイクと一緒に入って、湯船のなかで揉んで柔らかくしてさ。いまのスパイクは買ってきたその時から柔らかいもんね。あれをいまもやっている選手って、いるのかな?

Jリーグが誕生してから引退するまでずっと、プーマのスパイクを履き続けたんだけど、一度だけ別のメーカーに乗り換えようとしたことがあるんだ。

Jリーグ誕生のときね。あのときはもうサッカーバブルだから、その会社が提示してくれたプロ契約の金額が魅力的でさ。

学生の頃から世話になっているプーマを袖にしようとしたんだけど、どうにもそこのメーカーのスパイクが足に合わないのよ。何度も試作品を持ってきたんだけど全然ダメ。最後はプーマのスパイクを渡して「これをつくってくれ」と言っちゃったよね。

いま思うとひどいことを言ってしまったと思うけど、そういう時代だったんだよね。

ラモス瑠偉は契約したメーカーのスパイクが、足に合わないのを誤魔化しながらプレーしていて、大変そうだったもの。

リトバルスキーは、自分が履いてるメーカーのスパイクが気に入らない出来だと、試合後に担当者のいる前でゴミ箱に捨てたりしてたな。でも、FKが決まったら、試合後のインタビューでは顔の近くにスパイクを掲げて、「このスパイクのおかげだ!」って褒め称えていたよね。彼にはプロ根性を教えられたな。

ボクはプーマから移るのをやめたんだけど、残って本当によかったと、いまも思っているよ。

プーマのスパイクで名作といえば「パラメヒコ」。これと出会ったのは大きかったよ。プーマの担当者には「ミッシェルが履いても宣伝にならない」と言われたけどさ。

大学時代や卒業後にフジタに入った頃は、何を履いていたか記憶が定かじゃないんだよね。もう40年近くも前のことだから。ただ、「ベルトマイスター」は履けなくて、「プリメイロ」だった気がするけど、どうだったかなぁ。

ただ、パラメヒコは別格だったね。登場した当初はそれほどでもなかったけど、履けば履くほど足に馴染んで、それでいて型崩れが全然しなくてね。縫い方がよかったんだろうな。

現役を退いてからは、コーチング・キャラバンなどでスパイクを履く程度だから、スパイクへの思い入れも薄れちゃったよね。だけど、選手はもちろん、趣味でサッカーを続けている人たちも、それぞれがスパイクの思い出を持っているわけだから。

そういう人たちと集まって、いつの日かみんなでスパイクについてワイワイ語り合うトークショーをやりたいですね。

構成/津金壱郎 撮影/山本雷太