写真家・岡本武志氏「夢中になった"撮る、撮られるの関係性"」...の画像はこちら >>

いつもはあまり表に出ることのないカメラマンに焦点を当て、そのルーツ、印象的な仕事、熱き想いを徹底追究していく連載コラム『グラビアの読みかたーWPBカメラマンインタビューズー』が、『週プレ プラス!』にて好評連載中だ。

"カメラマン側から見た視点"が語られることで、グラビアの新たな魅力に迫る。

週プレに縁の深い人物が月一ゲストとして登場し、全4話にわたってお送りする。

第7回目のゲストは、吉岡里帆の貴重な初グラビアや、奥山かずさ『マイナス8度の吐息。』、週プレnetで公開された工藤美桜『ピンクの放熱』など、光が印象的なグラビアを撮り下ろしてきた岡本武志氏。本コラムの第一回目に登場したカメラマン・熊谷貫氏を師に持つ岡本氏が語る、"グラビアを撮ること"とは。

* * *

――まずは、カメラマンになるまでのルーツを教えてください。

岡本 高校3年生になって進路を決めるまで、将来のことを何も考えていない学生でした。

特にこれといった夢もなく、進学先に迷っていたとき、選択授業で3年間お世話になった美術の先生が「建築を勉強してみたら?」とアドバイスをくださったんです。建築の基礎を学んでおけば、きっと何かしらの役には立つから、と。

確かに、学んでいるうちにやりたいことが見つかるかもしれないと、先生の言葉を間に受けて、そのまま紹介してもらった美術大学受験に向けた予備校に通いはじめました。そこで建築について学ぶうちに、だんだん面白くなってきちゃって。そのまま、武蔵野美術大学(武蔵美)の建築学科に進学しました。

――となると、大学では建築についての勉強を?

岡本 はい。

最初のうちは、かなり真面目に建築の授業を受けていましたね。ただ、途中で映像作品に興味が湧いてきて。というのも、大学の図書館とは別に、イメージライブラリという映像が見られる施設があって、さまざまな名作映画を自由に見ることができたんですね。

当時は、レーザーディスクの時代。直径30cmもある大きな円盤をプレイヤーにセットし、レコードのようにA面とB面をひっくり返して、映画を見ていました。大学3、4年生になると、卒業単位を取り終えていて暇だったので、ずっとその図書館にこもっていましたね。

――具体的に、どんな映画を見られていたんですか?

岡本 基本、監督のくくりで見ていましたね。例えば、フランスのレオス・カラックス監督。男性のダンサーが劇中によく登場するのが特徴で、映画『ポンヌフの恋人』では、男女が踊る橋の近くで大胆に花火が打ち上げられる豪勢な名シーンがあるんですよ。その派手な演出がものすごく良くて。

同じくフランスのパトリス・ルコント監督の映画もよく見ていました。『髪結いの亭主』という、床屋の若い女性と陽気な年配の主人が、営業中にお客さんの目を盗んでスキンシップをとったり、閉店後、お酒のかわりに店内のヘアトニックをカクテルして飲んでは、ハイになって2人でダンスしたりする、愛に溢れた素敵な映画があって。

ロマンティックな世界観にグッときました。

それと、ソ連(当時)のアンドレイ・タルコフスキー監督の『ノスタルジア』はスゴい映画ですよ。長回しで、ゆっくりシーンが動くなか、水のしたたる音がしとしと聞こえてくるんです。絶対に途中で寝てしまうから、何度見てもストーリーが頭に入ってこないんですけど、個人的には、あまりの気持ち良さに眠ってしまう映画ほど、良い映画だと思うんですよね。

――どの作品も、独特な雰囲気がありますね。

岡本 いかにメジャーじゃない映画を掘っていけるか。

そんなモチベーションで、幅広く作品を見まくっていた気がします。逆に、メジャーどころは面白いのが分かりきっているので、あえて見ていなかったですね。

とまぁ、映画漬けの日々を送るうちに大学4年生になって、入るゼミを決める時期になりました。住宅専門か、公共施設専門か。あるいは、そのどちらでもない"あぶれてしまった人たちのゼミ"か。

その三択で、僕は"あぶれてしまった人たちのゼミ"に入りました。

少しでも建築が絡んでいたら、どんな表現をしてもOK。そんなゼミで、僕は、表現の手段としてカメラを選んだんです。

――どうしてカメラだったんでしょう。

岡本 映像に興味を持った流れからですね。カメラを持ちはじめた頃は、写真と映像、どちらも撮っていたのですが、映像は、撮ったあとの編集作業があるし、セリフとか動きとか、台本ありきな部分があるじゃないですか。

それに比べて写真は、パッと撮ればパッと作品ができあがります。このスピード感が、自分には合っていたんですよね。それでいて、撮る人と撮られる対象の関係性がありありと写る、写真にしかないドキュメント性にも惹かれていました。

――ゼミではどんな作品を撮っていたんですか?

岡本 写真と映像の両方で、近所の街並みを撮っていました。ゼミの制作テーマで「隅田川」というのがあったんですけど、実家近くを流れる荒川をつたって行くと、ちょうど隅田川に繋がるんですよね。

景色を撮ったり、水面を撮ったり、ホームレスの方を撮らせてもらったり。相変わらず暇でしたし、写真の面白さを実感しながら、ママチャリに乗って、ひたすら隅田川を往復していました。

さらに、カメラにハマるきっかけとなったのは、渋谷のQFRONT(キューフロント/渋谷のスクランブル交差点に面した商業ビル)前で、友達と待ち合わせをしていた黒ギャルを撮ったとき。90年代後半にいた"いかにもなギャルの風貌"に惹かれて「撮らせてもらえませんか?」と声をかけてみたんですね。モノクロのフィルムで、あとから合流した友達も一緒に撮らせてもらって。

で、大学に写真の現像とプリントができる暗室があったので、そこで黒ギャルを撮ったネガを自分でプリントしてみたんですよ。全然ちゃんと写っていなくて、写真としては失格の出来栄えだったんですけど、試しに、笑顔の黒ギャルの口元だけを拡大した写真もプリントしちゃったんですね。その唇の写真の強烈な生々しさが、とても衝撃的で。

――唇だけの写真、ですか。

岡本 そうです。決してうまい写真ではないものの、デカデカと写された笑顔の唇に、妙なエロさを感じて。何も考えていない大学生だった僕からすれば、初めて、自分のしたことで自分を喜ばせられた感覚があった体験でもあったんですよね。建築より、断然こっち(写真)だと。大学卒業間近にして、本格的に写真に目覚めました。

――カメラマンを仕事にしたいと思うようになったのも、その辺りからですか?

岡本 ですね。まだ、漠然と写真を楽しんでいる段階ではありましたけど。そんなとき、僕と同じように暗室に通って写真をプリントしている建築学科の男の子との出会いがあったんです。そいつは、ひとりでインドやニューヨークに行っては、街並みをモノクロで撮っているような人で。会ってすぐに打ち解けましたね。

それで「今度、一緒に人を撮ってみようよ」って話になって、大学の学食で見つけた女の子に声をかけて、大学内にあったスタジオっぽい部屋で撮影をしたんです。後日、現像した写真を互いに見せあうと、同じ女の子を撮っているはずなのに、全然視点が違うんですよ。それがすごく面白くて。

どちらかというと、僕はかわいらしく写るよう撮っていたのに対して、そいつは、きれいにかわいく撮ろうなんて全く思っていなかったから、写真の雰囲気も全く別物なんです。その後も、何回か学校のなかで撮影をして、大学の卒業制作でも、建築とは全く関係のない組み写真を提出しました。教授には1ミリも響いていなかったですが(笑)。

――それでも卒業はできたんですね。

岡本 はい。で、ちゃんとカメラマンになるための方法を調べようと思って、「カメラマンのなり方」みたいな参考書を買って、読んでみたんです。

写真館のカメラマンになるには、雑誌のカメラマンになるには、といった具合に、カメラマンとひと口に言ってもいろんなルートがあること、写真スタジオに就職してスタジオマンを経験してから、プロのカメラマンになるのが主流だということが書かれてあって、そこではじめて、写真スタジオの存在を知ったんですよね。

とはいえ、当時はカメラマンになりたい若者が大勢いたから、スタジオマンやアシスタントになりたくても、全然枠があいてなかったんです。いろいろ声をかけてみるも「当分待たせちゃうかもよ」と言われる始末。ただ、何もせずにあくのを待つわけにはいかないので、1年間だけ、アルバイトとして大学の教授の助手を務めていました。

――スタジオマンになるだけでも大変だったんですね。

岡本 大学で助手を務めていた期間も、それはそれで充実していましたよ。大学にいたフォトジェニックな年下の女の子を、1年間、ひたすら撮りまくっていたんです。その子には彼氏がいたと思うんですけど、僕は僕で、写真を会うための口実にしていた部分もありました。不思議と、付き合いたいとは思わなかったですね。

写真を撮っている間は、"ふたりだけ"でしかなかったし、その"撮る、撮られるの関係性"でいられる瞬間をどれだけ持てるかが重要だったから。

――グラビアに近い感覚ですよね。"撮る、撮られるの関係性"でこそ成立する、相手を思う気持ちと言いますか。

岡本 そうなんですよ。写真を介して、どこまで被写体に近づけるか。そう夢中になって写真を撮っていると、不意に被写体の女の子が、僕を受け入れてくれたのが分かる瞬間があって。その一瞬が訪れると、うれしくて堪らないんですよね。

――年下の女の子を撮るときは、どんなふうにして撮っていたんですか?

岡本 ただの日常ですよね。ご飯を食べているところ、寝ているところ。まれに、どこかへ出かけて撮ることもありましたけど、常に、淡々と撮っていましたね。

――その方は、岡本さんのことをどう思っていたんでしょうね。

岡本 後々になって写真を見せたときは、全然ピンときていない様子でしたよ。自己表現欲求のある子だったら、またひとつ踏み込んだ何かに繋がったかもしれないですけど、むしろ若干嫌がられちゃって(笑)。

ちょうどその頃、たまたまカメラマンの藤代冥砂さんが何かの写真展のサイン会をされていたんですよね。撮りためたその子の写真をブックにまとめて、冥砂さんにお見せしに行ったのも懐かしいなぁ。

――えっ、直接持って行かれたんですか?!

岡本 はい。冥砂さんもサーっと見てくださって「ところで、この子とはヤったの?」みたいな(笑)。そんなやり取りもありましたね。

――スゴいですねぇ。持っていくにも相当勇気がいりますよ。

岡本 そうこうしているうちに1年が経ってしまって。まだスタジオには入れそうになかったので、今度は日雇いの仕事をいろいろやっていました。街でティッシュ配りをしたり、コンタクトレンズのビラを配ったり、書店に行って求人誌を売ったり。

そのなかで、秋葉原にオープンしたばかりのヨドバシカメラでプロジェクターを売る仕事が回ってくるんですよ。人手が足りないから、ぜひやってくれと。ヨドバシカメラの店員さんと同じ格好をして「この機種にはこんな機能があって」と商品の説明を延々としていました。

そしたら、みんなどんどんプロジェクターを買ってくれるんです。僕も楽しくなっちゃって、バンバン売りまくって。気づいたら、僕が入ったタイミングで、売り上げを競っていた大阪梅田のヨドバシカメラと大差がついていたようで。

――そ、そんなにですか! お店側としても手放したくない人材だったでしょうね。

岡本 何なら表彰までされちゃって(笑)。記念にプロジェクターまでいただきました。カメラマンになりたかったのに、どこに力を入れているんだって話ですよね。

でも、中目黒にあった studio FOBOS(スタジオフォボス)という写真スタジオの面接に行ったとき、「いま、プロジェクターを売っているんです」と話をしたら、社員の方が「今度、売り場に行くよ」と言ってくださって。

冗談だと思っていたら、本当に来て、プロジェクターを買ってくださったんですよ。これはもう、FOBOSでスタジオマンをやるしかないなぁと。FOBOSの席があくまでアルバイトを続けて、24歳くらいの頃、ようやくスタジオマンになりました。

岡本武志編・第二話は『週プレ プラス!』にて配信中! 師匠・熊谷貫との運命的な出会いと学びを語る!

写真家・岡本武志氏「夢中になった"撮る、撮られるの関係性"」『グラビアの読みかたーWPBカメラマンインタビューズー』

●岡本武志(おかもと・たけし)
写真家。1981年生まれ、東京都出身。
趣味=野鳥観察、珈琲を淹れること
写真家・熊谷貫氏に師事し、2010年に独立。
主な作品は、中島早貴『なかさん』、吉岡里帆『13 notes#』、武田玲奈『タビレナtrip1,2,3』、牧野真莉愛『Summer Days』、齊藤京子『とっておきの恋人』、花咲ひより『Metamorphose』、ゆきぽよ『はじめまして』など。ほか、小西詠斗『瞬間』や近藤頌利『軌跡』など、男性俳優の写真集も担当。光を鮮やかに捉えた作風が特徴

取材・文/とり