南野拓実が所属するモナコと日本代表のレジェンドが激突するチャリティマッチが27日夜、大阪・パナソニックスタジアム吹田で行われ、豪華な面々が集結した。モナコには1998年フランスワールドカップ優勝メンバーのマルセル・デサイーやロベール・ピレスらが参戦。
日本も現日本代表コーチの名波浩、2002年の日韓ワールドカップで活躍した鈴木隆行らが名を連ねており、彼らを指導したフィリップ・トルシエ監督が指揮を執った。

 そこで異彩を放ったのが、“現役続行中”の本田圭佑だ。ザックジャパン時代の定位置だった右MFからスタートした背番号10は、今年1月に引退したばかりの柿谷曜一朗とホットラインを形成。開始6分には柿谷の先制点をいきなりお膳立てしてみせた。さらに20分には、自らのシュートの跳ね返りを柿谷が押し込み、2点目をゲット。試合途中からは最前線に移動し、2010年南アフリカワールドカップを想起させるような1トップでプレー。見る者を魅了した。後半もそのまま最前線に陣取ると、13分には松井大輔の右サイドの縦パスに反応する。オフサイドラインギリギリのところでしっかりとボールを受け、ラストパスを供給。ゴール前に柿谷が走りこんで3点目をゲットする。ゴールにはあと一歩、届かなかったが、本田は70分間通して圧倒的存在感を示したのだ。

 しかしながら、日本は3-4でモナコに敗戦。
本田自身も後半終了間際に好位置で直接FKのチャンスを得たが、左足で思い切り蹴ったボールはクロスバーを大きく越え、南アフリカ大会の再現とはならなかった。「ケガなくやれたのは良かったけど、もうちょい本気でやりたかったですね」と悔しさをにじませた。

 日本代表の第一線から退いた2018年以降は、メルボルン・ビクトリーを皮切りに、フィテッセ、ボタフォゴ、ネフチ・バクー、スードゥヴァ・マリヤンポレを渡り歩き、2024年にはブータン・プレミアリーグのパロFCと1試合限定契約を締結。7月と10月の公式戦に2回出場したものの、11人制サッカーの表舞台に姿を現したのはかなり久しぶりだった。ゆえに、本人的にも感覚が少し鈍っていたのかもしれない。「あんまりボールを蹴ってないっていうところがプレーの随所に見られたかなと。やっぱりそこは蹴らないと感覚が戻ってこないのかもしれません」と彼自身も練習不足を認めていた。

 最近はスタートアップ投資のファンド形成、アパレルブランド立ち上げなどビジネスに注力することが多く、サッカーの現場から遠ざかりがちなのだろう。それでも、「引退しません」と宣言している以上、もう少しピッチでの自身をブラッシュアップさせなければいけない。それを再認識したという意味で、このチャリティマッチは価値あるものだったに違いない。

「僕がサッカー観戦で一番盛り上がったワールドカップは98年フランス大会。今日の相手には、デサイーやピレスがいましたけど、ここにアンリとジダン、ジョルカエフあたりがいれば、“ほぼ完成”という感じでしたよね(笑)。
(フランスの名選手と)同じピッチに立って、全員歳は取るんやなっていうのはエブラのケガで感じましたけど、要所要所のうまさは学ぶべきものがいまだにあるなと。技術とか微妙な駆け引きはなくならないもんなんですよね。いつかクライフが『1回身に着けたスキルは2度と失わない』という名言を残したと思うんですけど、まさにそんな印象を受けました」

 本田はこんな話もしていたが、彼自身もゴールへの前向きなエゴ、相手との巧みな駆け引きを遺憾なく発揮したと言っていい。「そういう一挙手一投足をまた見たい」と感じた観客も少なくなかっただろう。「今後に向けては、『条件で折り合いの付くところが見つかれば常に』とは思っているんで、僕は僕で、ケガなくしっかりコンディションを作り続けないといけない。そのハードルの方が高いんで。ただ、それをしっかりやっておけば、またプレーできる日は来るかなと思っています」

 あくまでチャリティマッチではあったが、本田はまだ1選手として人々を楽しませられることを実証した。だからこそ、彼の次なる所属先がどこになるのかは興味深いところ。「世界各国の1部リーグで点を取る」という野望を果たしてどう追求していくのか。いずれにしても、本田にはオリジナルのスタイルで新たなキャリアを切り開き、フットボールプレーヤーとしての存在を示し続けてほしいものである。

取材・文=元川悦子
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