式典には日本サッカー協会(JFA)名誉総裁の高円宮妃殿下、宮本恒靖会長らが出席。
掲額に際し、VTRでコメントを寄せた井原氏は、「私は9歳で、サッカーをはじめ、その楽しさ、魅力にひかれ、ひたすらボールを追いかけ、サッカーに人生を捧げてきました。多くの仲間、そして指導者の皆様、家族、サポーター、関係者の皆様に支えられ、ここまでやってくることができました。その皆様のおかげで、この栄誉を賜れたと思っています。本当にありがとうございました」と感謝の言葉を述べ、「1993年のドーハの悲劇では、その悔しさ、今でも鮮明に覚えています。その経験があったからこそ、今の日本サッカーがあるのではないかと思っています。また、98年のフランスワールドカップ予選では、苦しみながらも勝ち抜き、初出場を決めました。本大会でそのピッチに立ったことは、自分のサッカー人生の中でも最高の宝物になっています」と、“アジアの壁”として名を馳せた日本代表選手時代を振り返っている。
女性としては指導者の綾部美知枝氏が個人で掲額、2011年のFIFA女子ワールドカップを制したなでしこジャパンがチームとして掲額を受けているが、日本代表選手として活躍した人物個人としては今回の4名が初。個人の年齢制限撤廃もあり、掲額となった。
1981年に初結成された日本女子代表として、代表初ゴールを決め、日本女子サッカーリーグの初代MVPでもある半田氏は、「私自身、本当にサッカーが好きで、小学校の頃からサッカーの魅力にとりつかれ、やっていくうちに、もっと勝ちたい、もっとうまくなりたい、そういう気持ちでサッカーに取り組んでいました。私たちの頃は日本代表もなかったので、何を目標にしていたかというと、そういう気持ちだけでやってきました。
掲額については「びっくりした」とのことだが、「こうやって女子サッカーに目を向けていただけたことが一番うれしいです。私たちや先輩たちも苦労した時代もある中、監督と4人を掲額していて、感謝の気持ちがいっぱいです」とし、先人たちへの感謝を述べている。
現在は女子選手の環境も大幅に整備され、多数が若いうちから海外に挑戦もするようになったが、「今は日本人の懸命に頑張る姿やプレースタイルが海外でも生かされています。私たちの頃も海外の選手が来たことで、日本女子サッカー全体のレベルアップにもなりました。大いに海外に出て、いろいろ経験をしてほしいですし、最後は日本でプレーしてほしいです。そこで経験を後輩に伝えてくれれば、その循環、つながりで、なでしこジャパンや育成にももっと刺激が入ると思います」と、これからのさらなる女子サッカーの発展へ、バトンをつないで、大きくしていってほしいと期待を寄せている。