渡邉は今月28日に『つくばFC万博グラウンド』にて行われる関東サッカーリーグ2部第18節(最終節)の日立ビルシステムをもってピッチに別れを告げる。
現役引退に際し、渡邉はSHIBUYA CITY FCを通して次のようにコメントを発表。自らのサッカーキャリアを通して関わってきたすべての人々への感謝と、現在の率直な心境を言葉にした。
「応援してくださったファン・サポーターの皆さま、関係者の皆さまへ。この度プロサッカー選手としてのキャリアに区切りをつけ、現役引退することを決断しました」
「これまでのキャリアで本当に多くの出会いと経験に恵まれて、かけがえのない素晴らしい時間を過ごすことができました。国見FCジュニアから始まり、国見中学、国見高校、早稲田大学ア式蹴球部、横浜F・マリノス、FC東京、ヴィッセル神戸、ガンバ大阪、横浜FC、松本山雅FC、SHIBUYA CITY FCとそれぞれのクラブで指導してくださった監督、コーチやスタッフの皆さま、共に戦ったチームメイト、そしてどんな時も支えてくださったファン・サポーターの皆さまに、心から感謝申し上げます」
「そしてここまで大きな怪我もなくサッカーできたのも両親のおかげですし、常に味方でいてくれて隣で支えてくれた家族にも大変感謝しています。引退は簡単な決断ではありませんでしたが、自分の身体や気持ち、これからの人生と向き合い、前向きな気持ちでこの一歩を踏み出すことを選びました」
「これからは愛するサッカーに少しでも恩返しできるような形で、次のステージに進んでいきたいと思っています。これまで本当にありがとうございました。そして、これからもサッカーという素晴らしいスポーツを愛し、応援していきたいと思います」
渡邉は1986年8月10日生まれの現在39歳。国見高等学校、早稲田大学を経て、2009年に横浜F・マリノスへ入団した。新人ながら背番号「9」を与えられると、同年のJ1リーグでは13ゴールを挙げ、新人王(現:ベストヤングプレーヤー賞)にも輝いた。なお、ルーキーが挙げた13ゴールの数字は、2014シーズンのFW武藤嘉紀(当時:FC東京所属)、2020シーズンのMF三笘薫(当時:川崎フロンターレ)と並んで、現在も破られていない最多タイの記録となっている。
また、ルーキーイヤー終了後には日本代表にも初招集され、2010年1月に行われたイエメン代表戦でデビューも飾る。横浜FMで3シーズンにわたって活躍したあとは、FC東京へ活躍の場を求め、2013シーズンにはJ1リーグでキャリアハイとなる17ゴールをマーク。2015年にはヴィッセル神戸へ完全移籍し、2016シーズンにはキャプテンも務めるなど、チームの中心選手として4年間にわたって活躍。以降はガンバ大阪、横浜FC、松本山雅FCを渡り歩き、各クラブで得点を積み重ねた。
2024年にはSHIBUYA CITY FCへの入団が決定。同シーズンには、クラブにとって悲願でもあった関東サッカーリーグ2部昇格に貢献する活躍を見せた。SHIBUYA CITY FCでは公式戦通算35試合のピッチに立ち、5得点を挙げている。これまで、J1リーグでは通算381試合104得点、J2リーグでは23試合3得点、J3リーグでは20試合出場3得点を記録した。