スペイン・バスク州ビルバオ。かつて日本代表として日の丸を背負い、ガンバ大阪FC東京など、Jリーグの舞台で躍動した一人の男が、この地で5年目のシーズンを戦っている。
丹羽大輝、今季はスペイン5部リーグ所属のSDデウストでプレーする。ビルバオ郊外ゲチョのピッチで、彼の挑戦の真意に迫った。

取材・文=小澤一郎
写真=Kazuki Okamoto/Fergus

コロナ禍が変えたサッカーと人生への向き合い方

 2020年、FC東京に在籍していた丹羽は、パンデミックによる活動自粛期間中に「自分は何のためにサッカーをしているのか」と自問したという。その時に芽生えたのは、「自分のため」ではなく「人のため」にプレーしたいという思い。35歳でFC東京との契約が満了。オファーがない状況にもかかわらず、丹羽は長年の夢だったスペイン挑戦を決意する。

「何もオファーはなかったですけど、チャレンジしたかったので最初は練習生としてやってきました。当時はパンデミックで、ビザの手続きも今より難しかったんです。Extranjería(外国人局)に直接行けず、Cita(予約)を取らなければいけなかったのですが、そもそもCITAの取り方がわからないので一苦労。家の契約、車の契約、子どもの国民健康保険の登録……。サッカーをすることよりも、手続き関係の方が一番大変でした」と、想像を絶する苦労を明かしてくれた。

逆境をあえて経験しに行く

 スペインでの挑戦は、言葉や文化の違いだけではなかった。
昨季所属したクラブでは、プレシーズン開始直後に監督からいきなり戦力外通告を受けたという。しかし、丹羽は腐ることなく、与えられた練習の中で圧倒的なパフォーマンスを見せ続けた。戦力外扱いのため紅白戦にも入れてもらえず、ユースの選手とペアを組まされる日々。それでも彼は、練習に対する姿勢やピッチ外での振る舞いを決して崩さなかった。

「戦力外を経験することで、試合に出られない選手の気持ちが本当の意味でわかったんです。指導者になった時のために、あえて戦力外を経験しに行く、辛い場所に身を置くという感覚でした。どんなに厳しい状況でも、ピッチの上で監督に証明するしかないと思っていました」

 その結果、シーズン後半戦でチームが連敗した際に突然メンバーに招集され、終盤には主力としてプレー。チームのリーグ優勝に貢献した。この経験を通じて、「半年以上プレーしなくても、自分でトレーニングをすれば試合勘は失わないことを僕は自分で証明しました」と語る。

スペインと日本の教育の決定的な違い

 丹羽がスペインで最も深く考えさせられたことの一つが、子どもの教育だ。現在4人の子を持つ丹羽は、子どもの宿題を手伝う中で、日本との教育方針の明確な違いに気づいたという。

「例えば歴史の授業で、日本では『こういうことがありました、覚えてください』というのが一般的ですよね。
でも、スペインの宿題はそれに加えて、『その出来事に対して、あなたはどのように考えますか?』という質問が必ず付くんです。例えば、ペリーの黒船が日本に来た時に、あなたはどう思いましたか?という意見を求められるんです」

 これは、単に知識を暗記させるだけでなく、それに対して自分の意見を持ち、表現する力を養うことに重点を置いていることを意味する。さらに、その意見を人前で発表する「プレゼンテーション」の機会も学校では多い。

「日本でおとなしい性格だった娘が、スペインに来てどんどん人前で話せるようになりました。自分が出ていかないと、存在感がなくなってしまうと感じたんだと思います。やはり、環境や教育は子どもの可能性を無限に大きく広げるんだと実感しました」

この「自分の意見を主張する」という教育は、そのままサッカーのピッチにも現れる。「監督と選手が激しく言い合ったり、喧嘩のように見えるディスカッションをしたりする。それは、幼少期から自分の考えを伝えることを教えられているからだと思います」

 もう一つの大きな違いは、「選択肢の多さ」だ。「昼食一つとっても、日本の給食のように『全員がこれを食べる』という決まりはありません 。給食でも、家に帰って家で食べても、バルで食べても、お菓子屋さんに行ってもOK。ただ一つ、『午後からの14時の授業には間に合わせてください』という目的があるだけ。目的は同じだけど、そこにどうやってたどり着くかは自分で決めなさい、ということを教育から言われているんだと思います」

 この「自分で選択する」という経験は、サッカーにも直結している。
「サッカーでも、『勝ちたい』という目的は一緒。でも、どうやって勝つかという道筋は一つではない。彼らは日頃の生活の中で、その道筋を自分で作り出すという作業を自然と行っているんです」。こうした教育が、選手たちに「アドリブ力」や「自分で状況を打開する力」を育んでいると丹羽は分析する。

4部・5部リーグに根付くサッカー文化

 スペインのサッカー文化は、プロのトップリーグだけにとどまらない。「彼らは、自分の街や村に愛するクラブがあり、週末には必ず試合を観に行く。これは生活習慣の一部です。カテゴリーに関係なく、自分が応援するクラブが必ず一つあるんです」

丹羽はスペイン1、2年目をセスタオ・リーベル・クラブという人口4万人の街のクラブで過ごした。その際、街全体がサッカーや街にあるサッカークラブを最上位に置いていることを肌で感じたという。

「優勝を決めた試合の当日、負けていたらパレードはなかったはずなのに、市役所など関係者も『勝つんだ』という前提でパレードの準備をしていた。そのパレードには、人口の半分の2万人が集まったんです。街が一つになって、クラブの優勝を祝う。
これは日本ではなかなか見られない光景です」。こうした文化が、選手たちのDNAに「サッカーとはどういうものか」を自然と刷り込んでいると丹羽は語る。

「彼らは毎週のように地元クラブの試合を見ているのでDNAの中に『どうすれば相手に勝てるのか』が刷り込まれているんです。セットプレーなんかもそうで、CKの練習を5分しただけで得点が取れたりする。なぜなら、彼らは幼い頃から、そういったプレーを毎週グラウンドで見ているからです。指導者が止めて細かく説明しなくても、選手は感覚的に理解できる。この『自然な理解』こそが、スペインサッカーの強さではないかと感じます」

選手として、その先の活動と未来

 スペインでの経験は、丹羽のサッカー観にも大きな影響を与えている 。今季は39歳にしてセンターバックではなく、徳島や福岡時代にもプレーしたボランチのポジションに新たに挑戦している。「年齢やキャリアは周りが勝手に決めること。その常識を外れていきたい。もう一度、このカテゴリーから這い上がっていく姿を皆さんに見せたい」と、飽くなき向上心を燃やしている。

その挑戦の根底にあるのは、「日本にサッカー文化を根付かせたい」という強い思いだ。
「僕の孫やひ孫が『おじいちゃん、こんなことしてたんだ』と思うくらい、長い目で挑戦を続けたい」。苦難を避けるどころか自ら望んで経験しに行き、楽しみ、一つひとつ乗り越えて行く丹羽のスペインでの生き様は、サッカー選手としてだけでなく、ひとりの人間として、多くの人々に勇気と希望を与えている。

「39歳で、日本人で、スペインで選手として挑戦できるのは僕だけ」と胸を張る丹羽大輝の選手としての飽くなき挑戦はまだ続く。そしてその後に続いていくであろう、スペインと日本のサッカーや文化をつないでいく架け橋の活動も見守っていきたい。

【プロフィール】
丹羽 大輝(にわ だいき)
1986年1月16日生まれ。大阪府堺市出身。ポジションはディフェンダー。ガンバ大阪ユースを経て2004年にトップチーム昇格。徳島ヴォルティス大宮アルディージャアビスパ福岡への期限付き移籍を経験後、ガンバ大阪の中心選手として活躍し、2014年には国内三冠達成に貢献。2015年には日本代表にも選出された。サンフレッチェ広島、FC東京を経て、スペインに渡り、現在はスペイン5部リーグのSDデウストに所属。30代後半での異例の挑戦で、新たなサッカー人生を歩んでいる。

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