「今年はシーズン前に何らかのタイトルを取るという目標を掲げた。だからこそ、天皇杯は絶対にファイナルに行きたかった」と準決勝・FC東京戦の後、相馬勇紀も語気を強めていた。クラブ初タイトルをかけ、国立競技場で前年王者・ヴィッセル神戸と決勝戦を戦うことになった以上、勝ち切ること以外は考えていなかった。
実際、試合の入りから町田は凄まじい強度と鋭さを披露。試合巧者ぶりを遺憾なく発揮する。開始6分に藤尾翔太が電光石火の一撃で先制点を奪うと、前半32分にはミッチェル・デュークの目の覚めるようなスルーパスを相馬が仕留め、前半だけで2点をリードした。後半から神戸は温存していたエース大迫勇也を投入し、ギアを上げてきたが、その出鼻をくじくかのように、後半11分に再び藤尾がゴール。最後に1点を返されたが、3−1で勝利。見事に歴史的な初タイトルを手中にしたのである。
ご存じの通り、2023年にJ2を優勝し、2024年からJ1に上がってきた“新興勢力”だけに、タイトル獲得経験者は少なかった。そういう中、鹿島アントラーズ時代に6度の優勝経験があるキャプテン昌子源は貴重な存在に他ならなかった。昌子は最後の最後まで守備陣を力強く統率。
「若手、中堅の時にミツさん(小笠原満男)含め、レジェンドの皆さんにただしがみついていただけでタイトルを取れた。このチームではキャプテンをやらせてもらっているので、自分が引っ張ろうとは思っていました」と本人も力を込める。
とはいえ、昌子自身も最初から町田を優勝させようと目論んでいたわけではなかった。「2024年に僕が町田に来た時は正直、このチームをJ1に残留させるという感じだった。それが途中から相馬や(中山)雄太が入ってきて、昨年J1で3位になって、今年はタイトルという目標を掲げた。2年目としてはかなり大きく出たんじゃないかと思われる目標でしたけど、(黒田剛)監督はかなり高い目標を設定する人。『誰もが難しいと思う目標を設定したら、絶対に誰も手を抜かない』という狙いがあってのことで、僕自身もタイトル取るためにために必死でやりました」と2年間のガムシャラだった時間を述懐した。
昌子本人にとっては7個目のタイトルということになるが、2018年のAFCチャンピオンズリーグから7年もの月日が経過していた。2018年はロシアW杯をレギュラーとして戦い、ACLを制覇。
コロナ禍直前の2020年2月にジュニアユース時代を過ごしたガンバ大阪へ移籍。Jリーグで再起をかけようとしたが、圧倒的強さを誇った川崎フロンターレに阻まれ、タイトル獲得には至らなかった。カタールW杯の代表入りも逃し、昌子の中には不完全燃焼感が色濃く残ったに違いない。
そして2023年には古巣・鹿島へ移籍。先輩でもある岩政大樹監督の下、“常勝軍団復活請負人”と位置づけられ、大きな期待と責任を担った。しかし、若手の関川郁万にポジションを奪われる形になり、終盤は出番を失った。この頃の昌子は報道陣にほとんど口を開かず、一人で悩み苦しんでいた。普段、饒舌で気さくな男がそこまで追い込まれるとは、誰も想像しなかっただろう。
数々の紆余曲折を経て、町田へ赴いた昌子。
「この7年間を振り返ると、真っ先に頭に浮かぶのは、2020年のガンバ時代の天皇杯決勝。決勝には行ったんですけど、足首の状態が思わしくなくて、決勝は出ずに手術という流れになり、病室で仲間の戦いを見ていて、本当に悔しい思いをしたのを思い出します。でも、僕は(2018年の)クラブワールドカップのレアル・マドリード戦での負け以外、国内の決勝戦では一度も負けたことがない。『自分ならできる』っていう思いで今日は挑みました」
強い自信を胸に秘め、神戸を撃破に貢献した昌子。33歳にして、彼は日本を代表する真のリーダーとなったのである。町田はまだAFCチャンピオンズリーグエリートが残されているし、来季は再びリーグ制覇に挑戦する。
取材・文=元川悦子
【ハイライト動画】FC町田ゼルビアが天皇杯初優勝!

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