僕は上京した18歳から26歳の現在に至るまで、仕事が続かず様々な職場で働いた。その中でも比較的長く働き、多くの経験をしたのがラブホテル清掃だ。
とはいえ、都内でも屈指の回転率の悪さを誇るであろうラブホテルだったので、平日のほとんどはお菓子を食べながら昼ドラをぼんやり見ているだけだった。そんな環境にも関わらず従業員はほとんど定着せず、一部の古株社員を除けば僕が働き出してから退職するまでの2年間で残っていた人間はひとりもいなかった。はじめはなぜ人がやめるのか理解できなかったが、働くうちに段々とここにいてはいけないと考えるようになり、結局僕自身も退職に至った。
そんなどこか問題のあるラブホテルの内側を実際にラブホテルで起こった出来事や同僚を交えて伝えていきたい。
ローズは遅刻魔で、おまけに重度のギャンブル中毒者。そのくせ仕事は早い。前職のアパホテルで磨いた清掃の腕はどうやら本物のようで、当時20代前半だった僕の倍のスピードで部屋の清掃をこなしていた。“典型的なフィリピン人”などというと言葉が悪いが、彼女はどこまでも僕が思うそれに近かったように思う。怠惰で、朝は寝坊してくるし、仕事のやる気も薄い。一方で、楽観的で、底抜けに明るい。
僕らが働いていたのは場末のラブホテルだったので平日はひどく暇で、その日もいつものように休憩室まで響いてくる喘ぎ声にうんざりしながら昼ドラを眺めていた。するとローズが「お兄ちゃん、ちょっと私おやつ買ってくるね」と言い残してそそくさと出ていった。ローズがいなくなっても、フロント担当のおばちゃんと僕は待機しているので何の問題もない。テキトーに返事をし、また視界を昼ドラに戻した。
そこから30分、1時間とローズが戻ってこない。結局ローズが戻ってきたのは出て行ってから2時間が経った15時過ぎ。息を切らす彼女の手には、大量のお菓子と札束が握られていた。
「たくさん出ちゃって……ごめんね」
サービスタイムが終わる18時前になるとようやくちらほらと清掃が発生し、交代の18時まで忙しく動き回ることになる。
そうして忙しく清掃をこなしながらしばらく経った頃、上の階から客の怒号が響いてきた。壁が薄いからこのまま怒号が響き続けると他の客室からのクレームになりかねない。やむを得ず清掃を中断し、声のする3階に向かった。すると全裸のおじさんを前にローズが黙りこくっている。あまりに気の毒な光景で、たまらず割って入った。
「お客様! どうなさいましたでしょうか?」
「部屋の鍵閉めといたのにこのババアが入ってきたんだよ」
「そうでしたか、大変失礼いたしました。
「ちっ、ちゃんとしろよ」
「おい兄ちゃんさ、このババアまた部屋開けてきたんだけど! なんなんだよ!」
ローズはまた黙ってうつむいている。だが、どうやら間違えて開けたわけじゃないのは雰囲気から伝わってきた。「上の者を呼べ」という全裸の客をなだめながらフロントに連絡。ほどなくして飛んできた会社の専務が何とかその場を収めてくれ、その日は帰路についた。その日、専務に何時間も叱られたローズは段々と無断欠勤が増え、数か月もすると完全に出勤しなくなって連絡もつかなくなってしまった。そして入れ替わるようにフロントに現れたのは数人の警察官だった。
ふたりで客室を清掃する時にはベッドと風呂場の掃除を分担する。
結局ローズは捕まり、何らかの罰を受けたのだろう。数年の月日が流れた今となってはどうしているのか知る由もないが、いつも自慢に思っていると話していた旦那と子ども達と元気に暮らしているのだと信じたい。家族の話をしている彼女の眼はパチンコの話をしている時の何倍も輝いていたのだから。
楽して稼いだ金は持てば持つほど手放しがたく、楽な仕事はなかなかやめづらい。そうして怠惰の深みにはまってしまったところで、いつか破滅が訪れるのがわかっている日々は安寧とは程遠い。ローズがいなくなっても相変わらず暇なラブホテルの休憩室で、眠気と怠惰の沼に足をとられながら、今年こそ転職活動をしようと拳を握りしめた。
<TEXT/千馬岳史>
【千馬岳史】
小説家を夢見た結果、ライターになってしまった零細個人事業主。小説よりルポやエッセイが得意。年に数回誰かが壊滅的な不幸に見舞われる瞬間に遭遇し、自身も実家が全焼したり会社が倒産したりと災難多数。不幸を不幸のまま終わらせないために文章を書いています。
ラブホテルでの経験なんてせいぜい単調な清掃業務だけだろうと思われがちだが、実は面倒な場面も多い。例えば泥酔客の対処、部屋前でのコスプレなどの貸し出し、AV会社やオトナのお店からの電話対応など、細々と色々やらされる。
とはいえ、都内でも屈指の回転率の悪さを誇るであろうラブホテルだったので、平日のほとんどはお菓子を食べながら昼ドラをぼんやり見ているだけだった。そんな環境にも関わらず従業員はほとんど定着せず、一部の古株社員を除けば僕が働き出してから退職するまでの2年間で残っていた人間はひとりもいなかった。はじめはなぜ人がやめるのか理解できなかったが、働くうちに段々とここにいてはいけないと考えるようになり、結局僕自身も退職に至った。
そんなどこか問題のあるラブホテルの内側を実際にラブホテルで起こった出来事や同僚を交えて伝えていきたい。
印象深い同僚の“典型的なフィリピン人”女性
ともに働く中で最も印象的だった従業員が50代のフィリピン人女性「ローズ」である。ローズは遅刻魔で、おまけに重度のギャンブル中毒者。そのくせ仕事は早い。前職のアパホテルで磨いた清掃の腕はどうやら本物のようで、当時20代前半だった僕の倍のスピードで部屋の清掃をこなしていた。“典型的なフィリピン人”などというと言葉が悪いが、彼女はどこまでも僕が思うそれに近かったように思う。怠惰で、朝は寝坊してくるし、仕事のやる気も薄い。一方で、楽観的で、底抜けに明るい。
人間関係を作っていくのが抜群にうまく、彼女を悪く言う人間は誰もいなかった。
僕らが働いていたのは場末のラブホテルだったので平日はひどく暇で、その日もいつものように休憩室まで響いてくる喘ぎ声にうんざりしながら昼ドラを眺めていた。するとローズが「お兄ちゃん、ちょっと私おやつ買ってくるね」と言い残してそそくさと出ていった。ローズがいなくなっても、フロント担当のおばちゃんと僕は待機しているので何の問題もない。テキトーに返事をし、また視界を昼ドラに戻した。
そこから30分、1時間とローズが戻ってこない。結局ローズが戻ってきたのは出て行ってから2時間が経った15時過ぎ。息を切らす彼女の手には、大量のお菓子と札束が握られていた。
「たくさん出ちゃって……ごめんね」
なぜ安月給からパチンコ代を捻出できるのか
近くのパチンコ屋に行っていたのだろう、いつものことだ。彼女は僕とフロントのおばちゃんに5万円ずつ手渡し、ひたすら打っていた台について語り続けた。これはギャンブルへの欲求が抑えきれない彼女にとっての口止め料のようなものだ。彼女がラブホ清掃の安月給からどうやってパチンコを打つお金を捻出しているかは謎だったが、お金がなかった僕にとって彼女はありがたい収入源だったので、ひたすらそれに相槌を打ちながら避妊具を小分けし、部屋の清掃が発生するのを待った。サービスタイムが終わる18時前になるとようやくちらほらと清掃が発生し、交代の18時まで忙しく動き回ることになる。
だいたいローズとは毎日こんな感じで過ごしていたのだが、彼女は数か月後にホテルの客室で大事件を起こし永遠に会えない相手になってしまった。人生において別れは突然に訪れるのだ。
全裸のおじさんに激怒されていた
近くのオトナのお店が30分5000円の特大セールをしていて、部屋は今までにない回転率で回っていた。いつもなら一部屋10分で済ます清掃を8分程度に短縮し、ひたすら店からの要請に応え続けること数時間。ローズが目を白黒させながら「お兄ちゃん、手分けしよう」と言い出した。清掃漏れを減らすために二人一組で清掃を進めるのが会社の定める基本スタイルだが、確かにスピードを重視して収益性を上げなければいけないこの場面では仕方がない。1階と2階を僕が、3階と4階をローズが担当することにし、それぞれ部屋を清掃し続けた。そうして忙しく清掃をこなしながらしばらく経った頃、上の階から客の怒号が響いてきた。壁が薄いからこのまま怒号が響き続けると他の客室からのクレームになりかねない。やむを得ず清掃を中断し、声のする3階に向かった。すると全裸のおじさんを前にローズが黙りこくっている。あまりに気の毒な光景で、たまらず割って入った。
「お客様! どうなさいましたでしょうか?」
「部屋の鍵閉めといたのにこのババアが入ってきたんだよ」
「そうでしたか、大変失礼いたしました。
帰りに返金をさせていただきますので、一旦この場をお納めいただけませんか?」
「ちっ、ちゃんとしろよ」
間違えたわけじゃないのか?
客が大きな音を立てて扉を閉めると、ローズは「間違えてあけちゃったんだよね! あと1時間頑張ろう!」と笑って304号室の扉の向こうに消えていった。その足取りは少し不安定で、掃除用具が入ったバケツを持つ手は震えていた。そんな彼女を少し不憫に思いながら自分の担当する部屋に戻って数十分、また3階から怒鳴り声が聞こえてきた。「おい兄ちゃんさ、このババアまた部屋開けてきたんだけど! なんなんだよ!」
ローズはまた黙ってうつむいている。だが、どうやら間違えて開けたわけじゃないのは雰囲気から伝わってきた。「上の者を呼べ」という全裸の客をなだめながらフロントに連絡。ほどなくして飛んできた会社の専務が何とかその場を収めてくれ、その日は帰路についた。その日、専務に何時間も叱られたローズは段々と無断欠勤が増え、数か月もすると完全に出勤しなくなって連絡もつかなくなってしまった。そして入れ替わるようにフロントに現れたのは数人の警察官だった。
警察がきた“まさかの理由”
どうやら彼女はラブホテルの客室にカメラを仕掛け盗撮をし、その動画を売って結構な金銭を稼いでいたらしい。そりゃあ週6勤務で16万という薄給でも毎日パチンコが打てるわけだと妙に納得してしまった。おそらくローズは退勤後に別の従業員がカメラを見つけて通報するのを恐れ、どうにかカメラを回収しようと客室への侵入を試みたのだろう。ふたりで客室を清掃する時にはベッドと風呂場の掃除を分担する。
そういえばローズは必ずベッド掃除をし、「たまにはベッドやらせてよ~」と言っても絶対に譲らなかった。風呂掃除の方が大変だから単に楽をしたいだけなのだと思っていたが、普段からベッド付近にカメラを仕掛けていたのだとすればかなり納得のいく行動だった。
結局ローズは捕まり、何らかの罰を受けたのだろう。数年の月日が流れた今となってはどうしているのか知る由もないが、いつも自慢に思っていると話していた旦那と子ども達と元気に暮らしているのだと信じたい。家族の話をしている彼女の眼はパチンコの話をしている時の何倍も輝いていたのだから。
楽して稼いだ金は持てば持つほど手放しがたく、楽な仕事はなかなかやめづらい。そうして怠惰の深みにはまってしまったところで、いつか破滅が訪れるのがわかっている日々は安寧とは程遠い。ローズがいなくなっても相変わらず暇なラブホテルの休憩室で、眠気と怠惰の沼に足をとられながら、今年こそ転職活動をしようと拳を握りしめた。
<TEXT/千馬岳史>
【千馬岳史】
小説家を夢見た結果、ライターになってしまった零細個人事業主。小説よりルポやエッセイが得意。年に数回誰かが壊滅的な不幸に見舞われる瞬間に遭遇し、自身も実家が全焼したり会社が倒産したりと災難多数。不幸を不幸のまま終わらせないために文章を書いています。
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