銀座では多くの場合、ホステスとして複数の店舗で経験を積んだ後、30代~40代に入ってからママになれる場合がほとんどだが、この若さでママになったという例は過去には存在しないという。なぜのその若さで銀座ママになることができたのか? 銀座で奮闘する愛子ママの心のうちに分け入ってみた。
幼少期から国際的な視野を持つ
——“銀座最年少ママ”としてご活躍中ですが、「club eNe」(エネ)ではいつから働いていますか?愛子ママ:実は3月から働きはじめたばかりなんです。以前は同じく銀座にあるキャバクラの「J-VOGUE」(ジェイボーグ)というお店で働いていました。
——たった3か月のホステス経験でママというのは異例ですよね?これまでどんな生活を送られてきましたか?
愛子ママ:父が日本人で母が中国人なのですが、幼い頃は中国に住んでいました。小学生の頃に日本に移り住んだのですが、両親の仕事の都合で中国との間を行ったり来たりしてました。高校からはアメリカンスクールに通ってましたね。その頃から漠然と自分は海外で働く方が向いてるんだろうなって思ってました。
——幼少期からグローバルな視点があったんですね。
愛子ママ:そうですね。今でも日本語で話すよりも、英語で話したほうが伝えたいことが伝わりやすかったりしますね。高校生の頃に金融系の仕事に就きたいと思うようになって、大学はモナコの国際大学に進学しました。ファンドマネージャーとか、ウェルスマネジメント系の勉強をしてました。
——国際大学って各国にありますが、なぜモナコだったんでしょうか?
愛子ママ:高校の先輩から教えてもらったんですけど、治安や環境もいいし学費も安かったんです。どうせ学びたいことが同じなら、お得な方がいいじゃないですか。あとは寒いところが苦手で(笑)。なので、イギリスは絶対に嫌だったんです。

22歳の才女が夜の世界を目指したわけ
——面白い理由ですね。卒業後は海外で就職を?愛子ママ:いえ、滞在VISAが切れてしまって、帰国して普通の一般企業に新卒で就職しました。でも自分の思い描いてた目標とは程遠いというか、それに稼げる額にも限度ってあるじゃないですか。そこで夜職はどうかなと思ったんです。
——どんな点が気に入ったとか、理由は教えてもらいましたか?
愛子ママ:「年齢の割には雰囲気も落ち着いているし、富裕層向けの店舗のママに向いている」と評価してくださいました。3か国語を話せる点も大きかったみたいです。会長は新しいことに挑戦されたい方なので、未経験の私が分からないなりにもがいて、インバウンド旅行者の層にも響く魅力的な店舗を目指してほしいと思っているようです。
——シンデレラストーリーという言葉がぴったりなエピソードですね。
愛子ママ:そうですね。でも、そう言っていただける反面、プレッシャーはものすごいですよ。キャバクラとクラブでは雰囲気も客層も全然違いますし、“銀座のママ“ですから、身だしなみや服装もそれなりの物をあつらえなくてはならないですから。お作法や所作も含まれますね。
——本日も素敵なお着物姿ですが、不躾な話おいくらぐらいなんでしょうか?
愛子ママ:全部買い付けなんですけど、帯も含めると50万円ぐらいですね。出費も嵩むけどすべて先行投資だと思ってます。前例がないことをやっていますから。それに、ママという役職は体力勝負のお仕事ですし、若さも強みになってくると思います。今はお店を切り盛りするのに集中して、将来的な目標を実現していく準備を進めています。
22歳の若さを武器に奮闘する愛子ママ。インタビュー中も将来の目標を見据えて語る彼女の姿は輝いて見えた。しかし、そこは銀座。前出のインバウンド客とのトラブルも後を絶たない。最年少ママの奮闘に今後も目が離せない。
<取材・文・撮影/安藤龍之介>