脳血管疾患には後遺症が現れる場合が少なくない。症例として麻痺、言語障害、感覚障害、視覚障害、記憶障害などが挙げられ、寝たきりや介護が必要になる場合もある。
パンクバンドのベーシストとして活躍するコクーンさん(56)も脳血管疾患の一つ、脳出血を患った一人だ。ライブの最中に脳出血で倒れ、現在も後遺症と向き合いながら音楽活動を続けている。脳血管疾患の発症リスクが高くなるといわれている50代、まさに当事者であるコクーンさんに発症当時の様子やリハビリについて、お話をうかがった。
ライブの途中に脳出血で転倒

日夜、脳出血の後遺症と闘う大阪在住のベーシスト、コクーンさんはそう語る。
自ら率いるバンド「SHOT THE RADIO WITH A GUN」のデビューアルバム『無線撃銃』を2月にリリースしたばかりのコクーンさん。16歳からライブハウスのステージに立つ筋金入りのパンクロッカーだ。結成40周年を目前とする老舗パンクバンド「THE INDEX」のメンバーでもあり、さらに元ロリータ18号のMAYUCHIと組んだ「ザ・マユチックス」や、元チェッカーズ・大土井裕二の「大土井バンド」に参加するなど多方面で活躍している。
「中学生の頃に音楽番組『ベストヒットUSA』でイギリスのパンクバンド、ザ・クラッシュを知って衝撃を受けました。それ以来ずっとパンクロックをやっています」
高校時代にステージデビューを果たし、以来、40年にわたり関西のインディーズシーンに君臨してきたコクーンさん。そんな彼が脳出血を発症したのは2020年10月3日。大阪・南堀江のライブハウスにて、ザ・マユチックスで演奏していたステージ上での出来事だ。
「2曲目を弾き終ったとき、急に右半身が動かなくなったんです。メンバーに伝えたくても呂律がまわらなくて言葉にならない。ライブ前に少しお酒を飲んでいたので、『酔ったのかな』と思ったんですが、それにしても具合が悪い。そして、ついに意識を失い、ステージ上で転倒しました」

「ゲロまみれになりました。その後、どれくらい時間が経ったのか……ぼんやりですが意識が戻ったので、自分の居場所を妻に知らせようとスマホを手にしたんです。ところが視界が狭くなっていて、画面がよく見えない。指が動かないし、そもそも電話のかけ方がわからない。メールの打ち方も思い出せないんです。なんとか電話が通じても、失語症になっていて言葉が口から出てこない。『これは大変な状況になったぞ』と打ちひしがれましたね」
検査によって判明したことが、もう一つあった。それは「過去にも1度、脳出血になっている」という事実だ。
「自覚がないんですよ。
このときの頭痛は、やはり脳の危険を教えるシグナルだったようだ。
動物の名前を思い出せず、ローマ字も書けない

「犬やキリンの絵を見せられ、心の中では『そんなもん、わかるがな。バカにすんな』と思っていたんです。ところが肝心のイヌ、キリンという名前が頭に浮かんでこない。さすがに、『俺はこんな簡単なこともわからなくなったのか』と落ち込みました。一か月ほど問診を重ねるうちに次第に動物の名前を思い出しはじめ、『鼻が長いこの生き物はゾウさんです』と答えられるようになってきたんです。
思考が不自由なだけではなく、身体が動かないことも、もちろん不便だった。右半身麻痺だからといって、左半身がすいすいと健常に動くわけではない。自分の行動をコントロールできないもどかしさに苦しんだ。
「腕や指が思うように曲がらず、英語のSという字が書けないんです。これまで当たり前にできていた動作ができなくなって、悲しくなりました。なにより歯をしっかり磨けず、食べ物のカスが口のなかに残っていくのがいやでしたね。これが現実だと認めたくなくて、何度『今はきっと夢の中にいるんだ』と自分に言い聞かせたか」

「朝6時に起きて、歩いたり柔軟体操したりしながら硬直した身体をほぐすんです。僕は空手の先生もやっていたので、身体を柔らかくする方法は知っていたんですよ。そして朝食をとったら、その後はよくエアロバイクに乗っていました。右半身麻痺で右足の角度が変わってしまっていたので、エアロバイクを漕ぎながら曲がった足の向きを元に戻す訓練をするんです」
再びベースを弾こうにもピックすら持てず絶望
病院で懸命にリハビリに励んだコクーンさんだが、大きな気がかりがあった。それは、「ベーシストとして復帰できるかどうか」だ。「16歳からずっとライブハウスに出演していますから、楽器が弾けなくなる、ライブに出られなくなる生活なんて考えられなかったんです。実際、入院した時も、すでに何本もライブが決まっていた。それなので、妻に病院まで鉄アレイを持ってきてもらいました。いつでもベースだけは弾けるように、腕だけは鍛えておこうと思ったんです」
「ライブをやる」「ステージに戻る」、その気持ちだけが支えだったというコクーンさん。およそ3か月の入院ののち退院。新しく、とある「老人が多い施設の窓口業務」のアルバイトを始めた。そこでも、現実世界への復帰の難しさに直面する。
「脳出血って、記憶力がこんなに衰えるのかと驚きました。仕事がぜんぜん憶えられない。仕事の段取りをスマホのボイスメモに録音して何度も聴きなおしながら記憶しました。よかったのは窓口業務だった点。お年寄りを相手にするので、大きな声でゆっくり話をしなければ伝わらない。

「はじめはピックすら持てなくて、絶望しました。ベースは力を入れないと鳴らない楽器です。その力が入らない。『ライブをやるんや。ステージに戻るんや』。その意識だけで必死にピックを動かし続けました。そうしてやっと、なんとか以前の4分の1くらいは弾けるようになったかな」
元チェッカーズのメンバーの言葉に励まされた
ステージで倒れた1年後、コクーンさんの快気を祝うイベントが同じライブハウスで行われた。コクーンさんとゆかりが深いバンドが一堂に集結。ベースで参加していた元チェッカーズのユージこと大土井裕二の「大土井バンド」も出演した。そしてこの日、ユージからかけられた言葉にずいぶん救われたという。「ユージさんに『ベースが下手になってしまい、すみません』と謝ったんです。すると、『音楽にはテクニックはいらない。ハートがあればいいんだよ』と言ってくださって。その言葉がとても励みになりました」
さらに3年後、コクーンさんは自分のバンド「SHOT THE RADIO WITH A GUN」を結成する。先ごろは遂にデビューアルバム『無線撃銃』をリリースした。尊敬するザ・クラッシュがそうしたように、パンクロックとレゲェを融合させた、激しいだけではなくおおらかなサウンドが大きな特徴だ。

以前のように腕や指は動かないが、その手で月をつかもうとする、コクーンさんの人生のシーズン2が始まったのだ。
政府や差別と闘うためには健康でなければ

「思い当たる原因は、やはり不摂生ですね。当時はタバコを吸っていたし、酒量は現在よりも多かった。アルバイトへ行って、夜はライブか空手の指導。打ち上げで飲んで、家に帰ってからまた飲食。そのまま夜更かしして、ほとんど眠らないまま、またアルバイトへ出かける。そういう生活をしていましたから。睡眠不足と、夜中にごはんを食べること、あれはよくないです」
現在はできる限り早く就寝し、朝6時にめざめて運動しているというコクーンさん。そういった健全な生活はパンクスの美学に反している、そんなふうに考えはしないのだろうか。
「確かに40年ずっとライブハウスにいて、酒だったりクスリだったり、自分の身体を傷つけるように暮らすミュージシャンをたくさん見てきました。その姿がカッコいいとも思ってもいた。でも、みんな早く死んだり、どこかへ消えたり、破滅するんです。自分の音楽さえもぶち壊してしまう。僕も入院して、『それでええのか?』と顧みました。自分がザ・クラッシュから学んだレベル・ミュージック(体制や政府や差別への反抗をテーマとした音楽)はパワーがいるし、自分自身が丈夫でないと人々にメッセージを伝えられないだろうって」
パンクのスピリットを伝播するために、これからもライブでプレイし続けるために、健康に生きる道を選んだコクーンさん。まさに「パンクス・ノット・デッド」である。そして中高年はやはり生活習慣の見直し・改善が必要なのだと改めて痛感した。
<取材・文・撮影/吉村智樹、画像提供/コクーン、Molly>
【吉村智樹】
京都在住。ライター兼放送作家。51歳からWebライターの仕事を始める。テレビ番組『LIFE 夢のカタチ』(ABC)を構成。Yahoo!ニュースにて「京都の人と街」を連載。著書に『ジワジワ来る関西』(扶桑社)などがある。X:@tomokiy