入手するためにかなり苦労した。出版前からX上で炎上騒ぎが起こっていた神田裕子氏の『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』(三笠書房)。
発売日は4月24日だったが即座に各所で品切れ状態となり、私が入手できたのは5月13日だった。すごく売れている。
 なぜ、これほど話題の書になったのか? そして、実際に読んで気になる点はあったのか? そのあたりについて、本稿では振り返っていきたいと思う。

大炎上した書籍を最後まで読んだら「衝撃の大どんでん返し」が待...の画像はこちら >>

「困ったさん」=精神疾患・発達障害とレッテル貼り

 発売前から指摘されていたのは、同書が「困ったさん」呼ばわりで括っているのが精神疾患や発達障害の人たちという点だ。具体的には、以下の6タイプの「困ったさん」がいると紹介している。

・こだわり強めの過集中さん→ASD
・天真爛漫なひらめきダッシュさん→ADHD
・愛情不足のかまってさん→愛着障害
・心に傷を抱えた敏感さん→トラウマ障害
・変化に対応できない価値観迷子さん→世代ギャップ
・頑張りすぎて心が疲れたおやすみさん→疾患


 戦慄するカテゴライズである。すべて、障害・疾患と結びつけて書く必要のないものばかりだからだ。

 ADHDには「ケアレスミスが多い、時間・期限を守らない」という特徴があると紹介しているのだが、障害や疾患がない人もそんなやらかしは散々やっているだろう。そういう側面はみんなが持っているのに、「困ったさん」=精神疾患・発達障害とレッテルを貼っているところがアウトである。

 さらに引っかかったのが、上記6タイプのうちの1つ「頑張りすぎて心が疲れたおやすみさん→疾患」というカテゴリーだ。かつては人一倍頑張り、激務の果てに壊れてしまった人のことを「困ったさん」として扱うグロさが見ていられない。そこは頑張りすぎた者を「困った人」として括るのではなく、背負いきれないほどの負荷を特定の者にかける環境、つまり「困った環境」の構造、異常性にフォーカスするべきだろう。

「こんな人はASDです」「トラウマ障害です」次々とキメウチ

 今回の炎上騒ぎにより、著者の神田氏はカウンセラーとしての国家資格を有していない事実があきらかになっている。本人は「スーパーカウンセラー」と名乗っているが、そのような肩書きは存在しない。


 そんな人が、わずか16問のイエス・ノーのみで「こんな人は以下の『困ったさん』です!」と分類してしまう雑な診断チャートを作成、自著に堂々と掲載しているのだからマズい。あまりにバッサバッサと「こんな人はASDです」「こういう人はトラウマ障害です」とキメウチしていくのだ。浅い観察でラベリングを促す診断チャートの危うさは、差別の正当化の根拠につながる危険性を孕んでいる。

 同書が炎上した状況を受け、三笠書房は出版社としての見解を4月18日に発表。以下のように主張している。

「収録されている『簡易版診断チャート』は、直ちに障害や病気という医療上の診断に繫がるものではないことは言うまでもなく、あくまでも相手を理解するための『目安』に過ぎません」

 いや、あくまで目安ならば具体的な診断名をぶっ込んでくるのはダメである。いくら言い訳を重ねてもアウトだ。

ここまで公然とボロクソに叩いてもOKなのか?

 このような疾患や障害に対する決めつけを見せられたうえで、まえがき部分を読み返すと、より一層味わい深くなってくる。

「職場の困ったさんは、『デキる人』や『いい人』がつらい思いをしている間も、カフェでのんびりお茶をしたり、休日の旅行を満喫したりしています」

 ものすごい独自見解である。どこ情報なのだろう? 精神疾患や発達障害をここまで公然とボロクソに叩いてもOKなのか?

 この本、至るところに神田氏の本音が透けて見える箇所が頻出する。たとえば、彼女は発達障害についてこのように述べている。

「(発達障害を)個性として面白がるくらいの寛容さが必要なのではないかと思うのです」

「ADHDタイプの困ったさんは、よく言えば天真爛漫、悪く言えば浅はかな言動が多く、子どもっぽい振る舞いで周囲を困らせます。一人前の大人と付き合っていると思うと腹が立ちますから、『ちょっと手のかかる子どもの世話をしている』くらいに考えて、気持ちに余裕を持ちましょう」

 個性を自ら面白がって上手に生きていこうとするのと、他者が面白がってしまうのは全然違う。
他者が障害を面白がってはいけない。悪質な表現だと思う。

 三笠書房が発表した見解にて神田氏は「差別的な意図はまったくありませんでした」と述べていたが、「差別しようとする意思」と「差別が行われた現実」の両者はまったく関係がない。悪気がないなら、余計に問題の根深さを感じさせるだけである。

取ってつけたように「人を発達障害と決めつけてはいけません」

 ラベリングされた6つのタイプの具体的な特性として、書籍内では以下のようなものが羅列されている。

・異臭を放ってもおかまいなし(ASD)
・取締役にも平気でタメ口(ASD)
・同僚の功績を平気で横取り(ADHD)

 大丈夫なのだろうか、これは? 完全に偏見を助長するような内容ばかりだ。「ASDだからお風呂に入らない」なんて一概に当てはまらないし、ただの決めつけで差別的だ。障害の有無にかかわらず、お風呂に入らない人は職場で「困ったさん」に見られるだろう。でも、「お風呂に入らない」「異臭を放つ」はASDの障害特性でもなんでもない。この本を読んだ上司が、部下に対して「君はASDだろう」と軽はずみに断言しそうで怖くなってくる。

 なのに、ほかの箇所では「人を一方的に発達障害と決めつけていいということではありません。発達障害をレッテル貼りに利用してほしいのではなく~」と、取ってつけたように書いてあったりもする。しかし、なんだかんだで神田氏自身が発達障害をレッテル貼りに利用してしまっているから始末が悪い。


「一度、病院に行ってもらえませんか?」という声かけを推奨

 同書では「困ったさん」に対する対処法も紹介されている。

 たとえば、「取締役にも平気でタメ口(ASD)」について。まず、「ASDタイプの人は権威に弱い傾向があります」「専門家や有名人が語っている内容を引用すると、比較的素直に聞き入れてくれます」と定義し、「専門家が書いたビジネスマナーの本を渡して『参考になると思うから、これを読んでおいてくれる?』とお願いしてみる。あるいは『超有名な先生の研修があるから受けてね』とすすめるのも有効です」と、解決策を提案しているのだ。

 腑に落ちない。会社員ならどこぞの専門家よりも、自分が所属する会社の取締役のほうに権威を感じるはずだろう。レッテル貼りは強烈なのに、そこに付随している対処法が弱い。

 ほかにもある。ASDとADHDについて「特に根拠もなく感情的になり、激怒することがあります」と定義、そのうえで以下の対処法を推奨している。

「今は受け答えできないので、お手洗いに行ってきます」
(しばらく離席する)→「先ほどは、これ以上感情的になってはいけないと思いましたので、いったん席を外しました。失礼しました。今でしたら冷静にお話ができると思いますが、これからお時間頂戴できますか?」

 つまり、感情のコントロールができない人とは物理的に離れ、相手の感情が収まったタイミングで元の場所に戻り、話を再開するというやり方である。……はっきり言って、不可能ではないだろうか? 自分を叱る上司に向かって「今は受け答えできないのでトイレに行ってきます」と捨て台詞を吐き、姿を消すという傍若無人な態度。
その後、離席した部下はどうなってしまったのだろう? 想像しただけで怖い。

 極めつけは、職場で「困ったさん」を見つけたときの対処法である。「このタイプの人たちにとって、最も重要なのは病気の早期発見と早期治療です」と説き、当人に対して以下のような問いかけをするべきだと促しているのだ。

「私の勘違いかもしれないんだけど、もし何かの病気だったら治療が必要なので、一度病院に行ってもらえませんか?」

 おせっかいの範疇をあまりに軽々と超えすぎではないか? 会社の同僚が無遠慮に投げつけた、「一度、病院に行ってもらえませんか?」というパワーワード。言われた側の気持ちを慮ると、危うさを感じずにいられない。

「困ったさん」を敵とみなしている?

 そもそも、この本は「困ったさん」ではなく「困らされている人」をターゲットにして書かれた本である。だから、精神疾患や発達障害の人たちが傷つくような表現が随所に出てくる。

 まず、タイトルにある「うまく動かす」という表現が不遜だ。さらに、裏表紙には「『戦わずして勝つ』ためのテクニック」、帯には「なぜ、いつも私があの人の尻拭いをさせられるのか?」「職場にはびこる愛すべき『困った人』」と書かれている。

「うまく動かす」「戦わずして勝つ」「尻拭い」「はびこる」……上から目線どころの話ではなく、「困ったさん」を敵としてみなしているような言葉選びばかりだ。人とのコミュニケーションに勝敗を持ち込んでいるところも、引っかかって仕方がない。

 こんなモードでいたら「困ったさん」を病ませたり職場環境が悪化するだけで、問題のほとんどは解決しないと思うのだ。人を定型的に取り扱い、コントロールできると思っているなら、それは傲慢だし無理筋だろう。


 加えて、多くの人が問題視していたのは「困ったさん」を動物のイラストで描いている点である。障害や疾患を持っている人たちが「動物」で、それ以外が「人」だという印象を与えかねないデザインになっている。

 さらに、そこに「うまく動かす」というタイトルが加わった同書。「人が動物を飼いならす」という著者の根深い偏見が見え隠れしている気がしてならない。

 神田氏自身は「(動物のイラストは)愛おしいもの、ピュアなものの象徴としてとらえており、差別的な意図はまったくありませんでした」と釈明している。では、奥付けの手前のページに描かれた絵はどう説明するのか? メガネをかけた男性が「取扱説明」と書かれた本を読み、その周りを擬人化された6匹の動物が囲んでいるイラストである。まさに、「困ったさん」を動物扱いしている証拠ではないのだろうか?

衝撃の大どんでん返しの意図がよくわからない

 あとがきのページで、神田氏はこう綴っている。

「ふだん私たちは、『困ったさん』に振り回されて迷惑を被っていると考えがちです。でも、そんなあなたもまた、知らずしらずのうちに誰かの『困ったさん』になっているかもしれない」

「だからこそ、私たちは『お互いさま』の心を忘れずに生きていきたいと思うのです」

 まえがきでは「『デキる人』や『いい人』を苦しめ、モチベーションを下げる困ったさん」「あなたも、そんな『デキる人』や『いい人』のひとりかもしれませんね」と書いていた神田氏。なのに、最後の最後で「もしかしたら、あなた自身が『困ったさん』なのでは?」と大どんでん返しする意図がよくわからない。衝撃の締めだ。

 4月18日の発表にて著者は「私自身も含めて、家族に発達障害の特性傾向が見受けられます」と述べていたが、その一方で書籍では「困らされている人」の立ち位置を徹底的に貫き続けた。
だからこそ、あとがきを読むと取ってつけたような印象を受けてしまうのだ。事実、表紙を見ると動物として描かれた「困ったさん」に振り回された職場を俯瞰する存在として、神田氏本人が人間のイラストで描かれている。

 散々、人にレッテル貼りをし、キメウチを続けていた神田氏が、ラストで「お互いさまの心を忘れずに」と総括する構成は、読んでいて思わず苦笑した。つまり、これは著者本人が「困ったさん」だったというオチなのだろうか? ……という決めつけは、さすがに辛らつすぎるだろう。

<TEXT/寺西ジャジューカ>
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