「アナログな仕事で残業が多い」「給与が上がらない」など、労働環境や待遇への不満から、保育士は慢性的に人手が足りない状態が続いている。
そのような状況でも、愛知・名古屋市を拠点に活動する保育士中心の実業団バレーボールチーム「ビオーレ名古屋」は、保育士の新しい魅力をSNSで積極的に発信。


2022年4月のチーム発足以来、“異⾊の保育⼠アスリート集団”として注目を集め、SNSの⼥⼦バレーボール公式アカウントでは⽇本⼀のフォロワー数を獲得するなど、業界全体に新しい風を吹き込んでいる。

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ビオーレ名古屋の初代キャプテンを務めた久呂(くろ)奈々さんは、「本当に何もないところからチームを作ってきた」と当時を振り返る。

保育とバレーの二刀流の難しさ、突然のメンバー脱退、ファンの期待を背負うプレッシャー……。幾多の困難とぶつかり、向き合い、そして乗り越えてきた原動力について久呂さんに話を聞いた。

春高バレー出場を目指して地元の強豪校へ進学


「先生が勝つ姿を見たい」保育士とバレーボール選手の二刀流に挑戦。“逆境”も経験、子どもたちの存在が心の支えに
ビオーレ名古屋の試合の様子
久呂さんは小さい頃から好奇心旺盛で、小学生の時は水泳やバレエ、サッカーなど色々な習い事に挑戦していたという。バレーボールを始めたのは、地元・富山で活動するチームのチラシをもらったことがきっかけになったとか。

「小学校時代に母親と春高バレーの試合を見に行った際に、『私もあの舞台に立ちたい』と思うようになって。そこから、春高バレー出場を目指して本格的にバレーボールへ取り組み始めました。私自身、好奇心旺盛なのと負けず嫌いな性格もあって、バレーボールにひたすら打ち込んできました。その結果、気づけば県内トップレベルの強豪校である富山第一高校への入学が決まったのです」(久呂さん、以下同)

高校3年間では、インターハイと国体に3年連続で出場。3年時の最後の春高バレーではベスト8まで進出を果たす。その後の進路は、もともと子どもが好きだったことから、これまで頑張ってきたバレーボールと保育士免許の取得が両立できる千葉県の江戸川大学に進学した。

「大学生活は週6日でバレーボールの練習をして、その合間でアルバイトや保育の勉強に励むという日々でした。
ただ、大学2年生の冬からコロナ禍となり、満足にバレーボールができない状況が続きました。ようやく4年生の冬に試合ができるようになったんですが、就職活動を始めた頃は、一度バレーボールから離れようかとも考えていました」

バレーボール選手と保育士の“二刀流”は想像以上に過酷だった

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子どもたちに本の読み聞かせを行う久呂さん
そんな折、児童養護施設や保育園の求人を探しているなかで、たまたま「ビオーレ名古屋」のチラシを目にする機会があったそうだ。

保育⼠として働きながら、バレーボールもできる。

このような環境に興味を持った久呂さんは、ビオーレ名古屋を運営する栄寿福祉会グループの採用面接を受け、見事合格する。

そんななか、久呂さんが入った当初は、“ビオーレ名古屋”という名前しか決まっておらず、練習のスケジュールや時間もこれから決めるという、本当に駆け出しのタイミングだった。

まさに、保育士中心のバレーボールチームをゼロから立ち上げる時期に、初代キャプテンに選ばれた久呂さん。だが、バレーボールと保育士の“二刀流”は想像以上に過酷ですごく大変だったと話す。

「保育士1年目で仕事を覚えるのに必死でしたし、バレーボールチームもゼロから形にしていかなければならない。しかも、チームメンバーとは週に2~3回程度しか集まれず、限られた時間の中で一緒にチームを作り上げていくのは、思った以上に難しさがありました。

また、部活動でしかバレーボールを経験してこなかったため、社会人チームがどのようなものなのかが全く分からなかったんですよ。誰か先輩に教えてもらえるわけでもなく、自分たちで『社会人チームとはどうあるべきか』を手探りで模索する日々でした。挨拶の仕方から試合中のサインプレー、チームとしての戦術などを選手たちとずっと話し合い、全て自分たちで決めなければならなかったのが一番大変でしたね」

SNSは伸びても勝てない。実力と人気の間で揺れるチームの苦悩

それでも、チームを結成した初年度は半年で全国大会で3位になるなど、幸先のいいスタートを切る。
その頃は、全国から選りすぐりのメンバーがビオーレ名古屋に集い、個々のスキルや経験値も非常に高かったからだ。

その一方で、「1年目はSNSの運用が本当に大変だった」と久呂さんは言う。

当初は選手の中から担当者を決め、定期的に情報発信する予定だったものの、仕事の都合でなかなか全員が集まる機会も少なく、「撮影しながら練習する」という難しさを実感したそうだ。

「『SNSを頑張ろう!』という気持ちはありましたが、思うように進まずに1年が過ぎてしまいました。選手の中でも『SNS を頑張りたいのか、バレーボールを頑張りたいのか』というように考え方が分かれてきてしまい、どっちつかずの状態になっていました」

久呂さん自身も、徐々に周りの状況が見えるようになったことで、チーム内のさまざまな“悩み”に気づくようになったという。

チームの一体感が欠ければ、それは勝敗にも影響する。

ビオーレ名古屋は滑り出しこそ好調だったものの、次第に試合で勝てなくなり、チーム全体の調子も下降線を辿っていくことに。皮肉にも、SNSのフォロワーは少しずつ増え始めていたため、チームの「実力」とSNSでの「人気」が乖離する状況になってしまったのである。

SNSを頑張るべきか、それともバレーボールに集中すべきか。

チーム内でも意見が分かれ、2023年夏には主力メンバー6人が一気に脱退してしまうなど、ビオーレ名古屋はいきなり逆境に立たされてしまう。

「そこで、SNSを片手間でやるのではなく、専任の担当をつけることでバレーボールに集中できる環境づくりに励むことに決めたんです。残ったメンバーで徹底的に話し合った結果、『SNSで知名度を上げ、応援してもらうことで、バレーボールができる』という考え方に至りました。
どちらか一方を頑張るのではなく、SNSはあくまでチーム運営の戦略の一つとして捉えるという結論になり、それが現在のビオーレ名古屋の活動方針として確立されたのです」

“勝つ”ためだけではなく、“夢”を見せる側としての存在意義

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保育士
しかし、SNSを通して応援してくれるファンが増え、その熱量が伝わってくるのにもかかわらず、2024年は勝てない試合が続いた。

悔しさや焦り、何とも言えない恥ずかしさ……。

久呂さんは、いっときコートに立つことすらためらうほど、大きなプレッシャーを感じていた時期もあったと吐露する。なかなか勝てない状況のなか、モチベーションの源泉になったのは「子どもたちの存在」だった。

「年長の担任をしていた頃、子どもに『先生、もう試合に出られないかもしれない』と一度だけ弱音を吐いてしまったことがありました。すると、『先生が勝っている試合を見たい』と子どもが答えてくれて。そうだ、この子はまだ私が勝っている試合を見たことがない。そう感じたときに、あらためて私たちの存在意義を考えさせられました。

もちろん、勝つことは大切です。でも、それとは別に私たちは子どもたちに支えられ、子どもたちの“夢”になっているんだと強く実感したんです。勝てないことで悩むのではなく、応援してくれる子どもたちのために、ひたすら頑張る姿勢を見せる。こうした気持ちを胸に、バレーボールと向き合うことが大事だと考えています」

保育士アスリートのロールモデルを目指して奮闘する毎日

「先生が勝つ姿を見たい」保育士とバレーボール選手の二刀流に挑戦。“逆境”も経験、子どもたちの存在が心の支えに
久呂奈々
アスリートと保育⼠の二刀流は、側から見れば相当大変な印象を受けるが、久呂さんは「仕事とバレーボールは別軸で考えている」と語る。

というのも、保育の仕事とバレーボールは全く別の頭の使い方をするため、いい意味で気持ちの切り替えができているとのこと。


「バレーボールでうまくいかないことがあったり、負けて悔しい思いをしたりしても、保育園で子どもたちと過ごすうちに、自然と気持ちが癒やされていくんですよ。悩みごとがあっても、保育の現場では同僚の先生たちと『こんなことがあったんだけど、どう思う?』と相談し合いながら解決することができていて、精神的にもとても支えになっていますね」

ただ、「決して簡単ではない」というのを久呂さんは付け加え、両立するための創意工夫をこう話す。

「練習時間の確保は本当に大変です。保育の就業時間内に仕事を終わらせて、残業しないように常に意識しています。練習がある日は、仕事を後に回すことができないので、それこそ何ヶ月も先の行事から逆算して、時間がある時にできることを前倒しで進めるようにスケジュールを立てています。

特に去年は年長の担任を一人でしていたので、卒業式のスケジュールを基点にバレーボールの大会の日程を考慮しながら、いつ休みを取るのか、出勤できなくなるかをあらかじめ予測して、その前の週に仕事をできる限り終わらせておくなど、色々と工夫していました」

また、バレーボールの経験は仕事の面でも大きく役立っているという。

「先生が勝つ姿を見たい」保育士とバレーボール選手の二刀流に挑戦。“逆境”も経験、子どもたちの存在が心の支えに
保育士
「バレーボールは相手の動きや仲間の状況を把握するために、コート全体を見渡すことが求められるからこそ、多角的に物事を考える力が身についたと感じています。保育の現場でも、同僚の先生たちと一緒に子どもたちの成長をサポートしていくというチームワークが求められます。バレーボールで培った、チームとしての一体感や組織的な動きを理解する力は、今の仕事にも非常に役立っていますね」

もちろん、日によっては保育の仕事で子どもたちとうまく関われず、落ち込むこともある。そんな時は、練習に向かう車の移動時間などをうまく活用して、気持ちを整理するようにしているという。

「たとえ30分でも時間があれば、家族や友人に電話して話を聞いてもらったり、車の中で自分の好きな音楽を流したりして、気持ちをリセットしてから練習に向かうようにしているんです。『今日は疲れたから無理かもと思ったまま練習に行くと、体も思うように動かないので、一度心を整えてから臨むことがすごく大切だと感じています」

今後はビオーレ名古屋の活動を通して、女子のバレーボール人口を増やしていきたいという。
男子バレーに比べ、女子バレーの競技人口は減少傾向にあるといい、「保育士とバレーボール選手の二刀流として、ロールモデルのような存在になりたい」と久呂さんは意気込む。

久呂さんの挑戦は、まだ始まったばかりだ。

<取材・文・撮影(インタビュー)/古田島大介>

【古田島大介】
1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている
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