監督時代の“勘ピューター”采配
長嶋茂雄さんが亡くなった。スポーツライター時代、何度かインタビューをさせていただいた。「一茂を後楽園に置き忘れてきた」など数々の奇想天外なエピソードで知られる長嶋さんだったが、その独特なワードセンスもまた魅力のひとつだった。バリアフリーではない室内練習場で、車椅子なしでスタッフに抱えられる私を見て、「おや、今日はあの“戦力”(=車椅子)はどうしたの?」と声をかけていただいたのは、今でも思い出に残っている。残念ながら、私は現役時代を見ていない。長嶋さんが引退した1974年は、私が生まれる2年前。だから私の記憶に残っているのは、監督時代ということになる。当時、長嶋さんの采配は、“勘ピューター”と呼ばれていた。データを駆使した野村克也監督のID野球とは対照的に、長嶋さん特有の“野性の勘”に基づいた采配。
長嶋的存在への憧れと追悼の思い
いまやAI時代。いっそ野球でもAIに監督を任せ、データに基づいた采配に徹したほうが勝率も上がるのかもしれない。だが、それをどこかで味気なく感じてしまう私もいる。左投手には不利だと言われている左打者をあえて代打に送りヒットを放ったり、誰もが送りバントだと思うような場面で強攻策に出てホームランが飛び出したり。そうした局面にこそ、私たちは心を躍らせ、快哉を叫ぶのではないか。空振りがどうしたらカッコ良く見えるのかを研究し、わざと大きめのヘルメットをかぶっていたという長嶋さん。その采配すら、わざとデータを無視していたのかも──などというのは、さすがに勘繰りすぎだろうか。AIがすべての最適解を迅速に提示してくれる時代だからこそ、論理やデータを超越した“長嶋的存在”を私たちは求めているような気がしてならない。プロ野球を国民的スポーツにまで引き上げたその功績に深く感謝しつつ、あらためてご冥福をお祈りしたい。

【乙武洋匡】
作家・政治活動家。