“国分一色”に染まるネットニュース
人気アイドルグループ「TOKIO」は6月25日、グループの解散を発表した。TOKIOは男性5人グループとしてデビューし、現在までにうち2人が脱退。20日にはメンバー・国分太一さんのコンプライアンス違反が判明したとして、所属事務所が国分さんの無期限活動休止を発表していた。コンプライアンス違反の中身は依然としてやぶの中だが、国民的アイドルグループメンバーの思いもよらぬ醜聞に、ネットニュースはまさに“国分一色”に染まった。国分太一さんの現場での“知られざる素顔”について報じる内容も多く、ざっと目についた見出しを取り上げただけでも、「現場で見せていた二面性」、「悪質な後輩いじり」、「面倒な先輩と悪評」、「次々と飛び出す裏の顔」等々、センセーショナルな文言が立ち並ぶ。
自身も国分太一さんと共演した経験を持つ作家の乙武洋匡氏は、“悪評”が連鎖されていく嫌悪感を示しつつ、連帯責任にも映るグループの解散は本当に必要だったのか、持論を展開する(以下、乙武氏による寄稿)。
報道内容が事実でもグループの解散は本当に必要だったのか?
国分太一さんとは、映画『だいじょうぶ3組』で共演させていただいた。私が小学校教師として奮闘してきた経験をのちに小説として執筆、その作品が映画化されたものだが、国分さんは私をサポートする補助教員という役柄を演じてくださった。撮影では何か月も共に過ごしたが、私をはじめとする共演者はもちろん、スタッフにも不遜な態度を見せたことは一度もない。特に親元を離れて撮影に参加している小学生たちに対するあたたかな配慮は、本当に人柄を感じさせるものがあった。だからこそ驚かされている。コンプラ違反で番組降板。そしてTOKIO解散。どんな内容なのか、事実がまったく伝わっていないためにコメントしようがないが、ひとつだけ憤っていることがある。この報道以降、続々と国分さんの“悪評”が伝えられている件だ。「横柄だった」「挨拶もしない」「パワハラ気質だった」などと並ぶが、正直、「またか」とため息をついている。
私自身、9年前にスキャンダルで叩かれた際にもさまざまな悪評を書き立てられた。不倫自体は事実であり反省するほかないが、その他の尾ひれはひれについてはまったく身に覚えのないことばかりで、訴訟も起こした。もちろん勝訴している。相手がサンドバッグ状態にあり、反論できないときに噓ばかり書いてPVを稼ぐ卑劣なやり方に、どうか読者のみなさんは騙されないでほしい。
「甘えの根源が僕らだったら」松岡昌宏さんのコメントの意味
とはいえ、すべての番組を降板したことからも、報道されているコンプラ違反がかなり重大な案件であったことが窺える。被害者も存在するような事案であれば、なおさら真摯な反省が求められる。しかし、ネット上の意見を見ていると、「だからといってTOKIOを解散する必要があったのか」という、“連帯責任”にも映る今回の対応に疑問を持つ人も少なくない。TOKIO解散という衝撃的なニュースと向き合うにあたっては、かつてメンバーだった山口達也さんが’18年に不祥事を起こした際、松岡昌宏さんが記者会見で口にしたコメントが思い出される。
「その甘えの根源が僕らTOKIOだったとしたら、一日でも早く(グループを)なくしたほうがいい」
“帰る場所”があることで甘えが生じるのか。それとも帰るために必死になれるのか。グループという帰属すべき場所を持たずに生きてきた私には、いくら考えても答えが出そうにない。

【乙武洋匡】
作家・政治活動家。1976年、東京都生まれ。大学在学中に出版した『五体不満足』が600万部を超すベストセラーに。卒業後はスポーツライターとして活躍。その後、小学校教諭、東京都教育委員などを歴任。「インクルーシブな社会」を目指し執筆や講演、メディアへの出演を精力的に行う