誰にも相談できない悩みが、後に盗癖に
アメリカの精神医学会が取りまとめた精神疾患の診断基準(DSM-5)によると、クレプトマニアは、以下の特徴を持つ精神疾患とされている。1.個人的な使用や金銭的価値のためではなく、物を盗む衝動を抑えられない
2.窃盗前に緊張感が高まり、窃盗時に快感や満足感を得る
3.窃盗行為は怒りや報復、妄想や幻覚に基づくものではない
4.他の精神疾患(例: 素行障害、躁病エピソード、反社会性人格障害)では説明できない
悠さんの場合、「1.個人的な使用のため」の窃盗だが、実際には、1を満たしていなくとも広義のクレプトマニアとされる。
現在は、被害弁済を終え、盗ることをやめて6年が経つ。今では、同じように、窃盗症に悩む人たちのメール相談にのったり、自助グループを運営し、スリップ(もう一度、盗ってしまうこと)を予防している。
悠さんは、小学生の頃から、性自認(自分の性別をどう認識しているか)が、男性寄りのXジェンダー女性。父は一見、優しかったが、些細なことで不機嫌になることもあり、人の顔色を窺うような子に育った。誰にも相談できない悩みが、後に盗癖につながっていった。
体が女性的に変化するのが嫌だった
「小学校の頃は、男の子のようでした 。小学校高学年になると、第二次性徴期を迎え、女性らしい体つきになります。それが嫌で、小学6年の冬から過剰なダイエットをしました」そのうち、ダイエットでは足らず、過食嘔吐を繰り返すようになる。悠さんが小~中学生の頃には、まだ「摂食障害」という言葉はなかった。体重が減っていき、中学1年生の冬には入院するまでになる。
「摂食障害の中には女性的な体型になることを嫌う人がそれなりにいて、大半は大人になりたくないというものですが、私は違いました。私は、大人になりたくないのではなく、女になりたくなかった。
そんな悠さんは、今でも痩せている。摂食障害は、社会人になってからも続いた。
だけど、過食嘔吐は家にいるときだけで、高校・大学・専門学校は普通に通学していた。セクシャリティの問題への対応方法として過食嘔吐を利用していた。仕事は好きなものを選びたいと、大学卒業後は理学療法士の専門学校に進学した。専門学校卒業後は、厳しい病院に就職し、職場近くで1人暮らしを始めた。
上司からの激しいパワハラが今もトラウマに

奇しくも、30歳の頃に母親が大きな交通事故に遭い、その病院を退職し実家に戻る。だが、「無能だと捨てられる」というトラウマは今も残り、働かないでいることはできなかった。
「実家に戻ると、病院時代の元同僚に誘われ、すぐに再就職しました。ホワイトな職場でしたが、自分でどんどん仕事を背負い込んでしまう。1人でブラック勤務状態でした」
彼女は、「ほどほど」ができなかった。
強迫的な万引き衝動
「最初は、お店で割引になっている食材を買い、得した気持ちを楽しむだけでした。だんだんと値引き前の食材に、値引きシールを貼りかえるようになりました。ある日、売り切りが迫ったパンを見つけ、店員に貼り忘れているから割り引いて売ってくれないかと交渉しましたが、売ってくれませんでした。知っているお店だったので、その食材は廃棄になることが分かっていました。次に行くと、また同じように値引きを忘れている商品がありました。“どうせ廃棄になるなら” と盗ってしまった」それまではシールを貼りかえるなどで堪えていた悠さんの心が、決壊した瞬間だった。
そこから1年半は、「万引きする→盗った商品を眺めて満足する→過食嘔吐する」というループにハマっていく。
復職後は徐々に仕事量が増え再び仕事に没頭するも、所属していた部門が閉鎖となり会社都合退職を打診された。「部門を立て直すようにと異動し、結果も出したのに閉鎖が決まった。自分がしたことが報われなかった」気持ちは万引きに拍車をかけた。働いて人の役に立つことで承認欲求を満たしていた彼女は、仕事をなくし経済不安も抱くようになり、急き立てられるように万引きを続けた。買っていた通勤定期が切れるまでの半年間は、定期の範囲で、途中下車し、色々なお店で万引きを繰り返す。
当然、逮捕されることになるのだが、悠さんは「2回目に捕まったらやめよう」「自分の意思でやめられる」と思っていた。
「2回目に捕まった時に、『3回目に捕まったらやめよう』と思ったんです。2回目までと同じことを考えている自分がいた。クレプトマニアの本は読み、知識としては知っていたので、自分から専門病院を受診し、自助グループにつながりました。保身のためもありましたが、『辞めたいと思えない』自分に苦しみました」
自分の悩みを吐き出すことで癒された心

元々、節約家だった彼女は、貯金から生活費・治療費を出し、被害弁済(迷惑料を上乗せして主治医の名前で返金する)をした。
「病院では当事者のミーティングがあるのですが、そこで自分の万引きの過去を話したら、すごく楽になって盗る気持ちがなくなったんです。クレプトマニアになったのは、その悩みを誰にも打ち明けてこなかったことが大きな原因だったと思っています。医師も、親も、打ち明けたことを『よく言ってくれた』と褒めてくれました。それを機にXジェンダーのことや過去のパワハラのことなど、自分の中で抱え込んできたことを外に出せるようになりました。秘密や孤立が減り、万引きで心を満たす必要はなくなりました」
そこから6年間は、スリップもせず、正社員としての勤務はやめ、自分のペースでできるNPO法人で事務を手伝いながら、クレプトマニアの啓発活動をしている。万引きをしない生活は、背中から羽が生えたように楽だと感じているという。
犯罪行為だから赦されないのは当たり前

「支援が必要な病気であると理解して欲しいとは思いますが、厳しい批判があるのは承知しています。万引きは犯罪だから、当たり前だと思っています。刑罰も支援も必要です。
彼女は今もお守りとして、病院から発行された被害弁済の書類を持ち歩いている。6年使ってないその用紙はボロボロになっていた。だが、そこに彼女の強い立ち直りの決意を感じた。
<取材・文/田口ゆう>
【田口ゆう】
立教大学卒経済学部経営学科卒。「あいである広場」の編集長兼ライターとして、主に介護・障害福祉・医療・少数民族など、社会的マイノリティの当事者・支援者の取材記事を執筆。現在、介護・福祉メディアで連載や集英社オンラインに寄稿している。X(旧ツイッター):@Thepowerofdive1