※この記事は、『貧しい金持ち、豊かな貧乏人 賢い安上がりな生き方80の秘訣』(徳間書店)より一部抜粋、編集したものです。
舌が肥えると幸福度は下がる
仕事で日本に滞在しているとき、ありがたいことにいろんな人が会食に誘ってくれる。どれも奢りだ。重ねてありがたい。高級料理店に連れて行ってもらうことも多い。高級店ともなれば、どこも味つけは洗練されている。マズい店はほとんどない。でも美食はそれでもう十分だ。たまに食べるからいいのだ。美食に慣れてしまえば、舌が肥えてしまう。そうなると普通の食事では満足感が得られなくなるだろう。
仮においしさ100点の1万円の牛丼と、おいしさ80点の500円の牛丼があったとする。100点の牛丼ばかり食べてその味に慣れてしまうと、80点の牛丼をおいしく感じられなくなる。それは悲劇だ。舌が肥えるということは、味覚の許容範囲が狭くなるのと同じだ。
僕らは毎日食事をする。そのつど喜びや驚きがあったほうが人生の幸福度は高まるに決まっている。舌の肥えた人は、あり合わせの食材でつくった夕食では満足できないだろう。だから食事にいちいちお金がかかるわけだ。
普段、質素な食事をしているからこそ
舌の肥えていない人はジャンクフードでも喜んで食べられる。お金をかけなくても幸せを得られるのだ。もうひとつ、味覚の許容範囲を拡げるためのとっておきの秘訣がある。それは言わずもがな、お腹を減らしておくことだ。がつがつと間食をするのはやめよう。
僕は普段、質素な食事を心がけている。だからたまに高級料理店に連れて行ってもらったときの感動はひとしおだ。
美食はほどほどに。特別な機会に楽しむ程度がちょうどいいのだ。
「高級食材=美味」にあらず
霜降りの高級黒毛和牛はたしかにおいしい。でも僕は3~4切れ食べるのが限界だ。脂身が多くて胃もたれしてしまう。人にはそれぞれ嗜好がある。高価な食材がその値段に見合った食体験をあなたにもたらすとはかぎらない。以前、1個1万円もする宮崎県産の高級マンゴーを食べたことがあるが、僕にはイマイチだった。甘くておいしかったものの、フランスで1000円くらいで買えるイスラエル産マンゴーが恋しくなった。
高級食材がなんで高級なのかといえば、希少だからだ。それに舌鼓を打っている人たちは、はたして食材そのものを味わっているのだろうか。ひょっとしたら希少価値という情報を味わっているのかもしれない。
普及しない食材には理由がある
そもそも多くの人がおいしいと感じるものは市場原理において安価になるはずだ。需要が多いものは量産され、価格が下がる。それが世の摂理である。鶏、豚、牛といった肉が世界中で親しまれているのは、人類の歴史のなかで人々が「おいしい」と満場一致の評価を下したからだと思う。だから家畜化してきたのだ。鶏、豚、牛に比べて、シカ、イノシシ、カモといったジビエは値が張る。なぜか。市場にあまり出回っていないからだ。
デンマークにある世界一の超高級レストランとして名高い「noma(ノーマ)」では、蟻をトッピングした世にも珍しい料理が提供される。nomaを訪れた人たちはそれをありがたく食べる。でも本当に多くの人がおいしいと感じるなら、世界中に蟻料理が拡まっているだろう。普及しない食材にはそれなりの理由がある。
高価な食材であることと、おいしいかどうかは別問題。たんに希少だからという理由で余分にお金を払うのはバカらしい。「高価=美味」という思い込みは捨てよう。

【ひろゆき】
西村博之(にしむらひろゆき)1976年、神奈川県生まれ。東京都・赤羽に移り住み、中央大学に進学後、在学中に米国・アーカンソー州に留学。1999年に開設した「2ちゃんねる」、2005年に就任した「ニコニコ動画」の元管理人。現在は英語圏最大の掲示板サイト「4chan」の管理人を務め、フランスに在住。