カミングアウト時の心境は?
――白亜さんはご自身がレズビアンであることを告白されましたが、現役アイドルが自らのセクシャリティを告白するのは勇気が要ることだったと思います。白亜御前:怖さがまったくなかったわけではありません。ただ、私にとっては上京するまでのほうが辛いものでした。生まれ育った大分県は、東京に比べてコミュニティが狭く、女性が好きであることを誰にも言えない雰囲気がありました。中学生のとき、女性の担任教師への感情が単なる年上への憧れではないと自覚したときも、思いを告げるなんてできませんでした。人は結局、みたいようにしか他人のことを見ないので、どう解釈されてどんな風に広まるかわからないからです。
“違和感”が原因で高校に馴染めず
――高校を中退してまで上京した理由は、ご自身のセクシャリティが関係しますか。白亜御前:そうですね。中学時代から続けていた陸上の推薦で高校に入学したのですが、正直、馴染むことができませんでした。怪我をして走れない時期があり、また女子がみんな男子のことを好きになる前提で青春を謳歌しているのも、違和感があったんです。そんな折、東京で行われたレディ・ガガのライブに運よく行くことができたんです。そのスケールの大きさに心を奪われて、「もっと大きな都市に行きたい」と思いました。
両親が反対した理由は「危険だからダメ」ではない

白亜御前:はい、ただうちの両親が反対した理由は、普通の家とはちょっと違うかもしれません(笑)。東京が危険だからダメ、というような理由ではないんです。要するに、「学費や生活費を実家に頼るだろうからダメだ」というものでした。我が家は昔から、かなりの放任主義だったと思います。結局、すべて自分でバイトをして賄うことを条件に、上京を許されました。実際、バイトはかなりしました。朝は、自動販売機を詰め替えるときに車に乗って駐禁を取られないようにする仕事をやっていました。これは高校生にしては結構なお金になりました。昼はカフェ店員をして、夜は同じ店がバー営業をするのでそのまま働き通しでした。
――なかなか変わった価値観のご両親で驚きました。
白亜御前:私は6人きょうだいの末っ子なのですが、いつも家庭に感じていたのは、子どもが置き去りなんですよね。
父には「指名手配されていた」過去が?
――あらゆる価値観を受け止めてくるのではなく?白亜御前:おそらく。私は上京して、レズビアンのコミュニティに所属しましたが、子どものことを思って反対する親御さんはわりと多いんです。セクシャリティは自由であるべきだと思いますが、一方で、実社会において足枷になることがないとは思いません。そうしたことを考慮すれば、少し懸念を示すのも親の愛情なのだと思います。ただ、私の両親については、「あぁそうなの」みたいな感じなんですよね。熟慮したとは思えなくて(笑)。
――白亜さんからみて、ご両親はそれぞれどんな方ですか。
白亜御前:人間としては結構エッジの効いた人たちだと思うんですよね。
父は怒りの沸点がかなり低く、すぐに手が出るタイプの人です。人間関係に難があって、友人がほとんどいないと思います。昔、東京の大学で学生運動をしていたことがあって、当時の武勇伝をよく話していた記憶があります。嘘か本当かわからないけれど、「全国指名手配をされていたんだ」「ヌンチャクで人を殺したことがある」と言っていました。実際に私が目撃したのは、小学生くらいのとき、実家に大阪府警の刑事が20人くらい入ってきて、家の中を一斉捜索していたことくらいです。当時、父は大阪で仕事をしていたので、大阪府警が来たのだと思います。
母は、学生運動をしていた父の演説を聞いていたようです。意味はよくわからないんですが、学生運動の集まりで父が弁当を食べている姿に一目惚れしたとか(笑)。そういえば、父はほぼ自宅にいましたが、母はずっと働き詰めだった気がします。
「下敷きが買いたい」と主張したら、母が号泣…

白亜御前:正直、無数にあります。ただ、3年くらい前に「こんな感情を引きずるほうがつらい」と思ったんです。
たとえば小学生の頃、クラスで順繰りにいじめられていくみたいなのがあって。私も標的にされました。その次の子がいじめられたとき、被害者の子が「白亜ちゃんにいじめられた」と言ったんです。しかしそれは事実ではありませんでした。けれども両親は、「謝ってこい」と言って私の話を聞きませんでした。両親は私がいじめられていたことも知っていたのに、私を信じてくれないんだなと淋しい気持ちになりましたね。
お話した通り、父はすぐにキレる人で、特に応援している野球チームが負けたときはかなり機嫌が悪くなるなど、子どもが何か悪いことをしたという基準で叱るのではなく、自分の気分で怒る人でした。母は、そんな父を崇拝していて、いつも気を使っていました。子どもたちに求められるのは、父を怒らせないことだったと思います。小学4年生くらいのとき、私は当時すでにわがままを言わないように気をつけていたのですが、「可愛い下敷きが買いたい」と母に言ってしまったことがありました。
親としてではなく、人間として…

白亜御前:記憶する限り、来たことはないと思います。授業参観も来ないですし、運動会は代わりに姉が来てくれました。振り返って思うのは、両親と過ごした時間は淋しいながらも必死で生きてきたので、あまり現実を直視しなかったんですよね。ただ、学年が上がって、他の子たちの家庭環境を知っていくと、途端に苦しくなりました。淋しいだけだったのが、辛さとか苦しさも感じるようになってしまいましたね。
――現在、ご両親との関係性はどうなのでしょうか。
白亜御前:芸能活動も応援してくれていますし、年に1度は会うようにしています。また、現在のパートナーが彼女自身の母と仲良くしていることに感化されて、私も自分の母親と距離が少し縮まればいいなと思っています。
生き様をステージで見せたい

白亜御前:多様性の時代とはいえ、人気商売をやる人間が自らのセクシャリティについて公言することは多くはないと思います。先陣を切った人間として、これからも生き様をステージで見せられるように精進したいとは思っています。
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無償の愛、と安易に人は言う。だが、この世に産み落とされながら、一滴の関心すら寄せられずに育つ者も少なくない。悲惨で凄絶な虐待があるわけではないけれど、鈍痛のような生きづらさがずっと続く。自らのセクシャリティがマイノリティあることも手伝って、白亜さんは狭い枠組みを脱しようと試みた。アイドルという表現活動を通じて、羽ばたくと呼ぶにはまだ重たい翼で、自らの過去に抗い続ける。
<取材・文/黒島暁生>
【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki