しかし、現役教師時代にデビューがバレ、懲戒免職されて話題になる、なんて異色の経歴を持つ女性は、過去にも未来にも今回インタビューに出演してくれた、川奈桃果さん以外にいないでしょう。
デビュー時は「小川桃果」、その後は「月島花」と改名して、セクシー女優として活動を続けていた川奈さん。
大きな話題となったデビュー当時の話に加え、現在の川奈さんが直面している問題についても、赤裸々に語ってもらいました。
教員時代の手取りは18万円
――川奈さん、デビュー時は「小川桃果」のお名前で、現役物理教師として話題になりました。まずは教師からセクシー女優に転身した、きっかけを教えてもらえますか?川奈 桃果(以下 川奈):直接のきっかけは、池袋を歩いていたときに「グラビアやりませんか」ってスカウトされたことです。でもそのときには、実はもう転職を考えていたんですよ。仕事量の割にお給料が少なすぎて(笑)。
――具体的には?
川奈:3年目で、手取り18万円くらいです。平日の授業の後は部活を見て、休日も部活があったら休めない。私立だったので、学校説明会や入試はもちろん、なにかあったら駆り出されるのは当たり前。
お給料は年功序列で上がってはいきますけど、長年勤めていてもそこまで高額にはならないですし、ちょっと厳しいな、と思っていたんです。
――でも教師からグラビアは、スゴい路線変更ですね。
川奈:もともと、美術館の裸体像や裸体画、アート的なヌード写真が好きだったんです。それもあって「グラビアをやれるなら、やってみたい」と思ったんですよ。
あと私、昔から「人から求められるところに自分の居場所がある」って考えるタイプなんです。だから「スカウトされた」のを「必要とされた」と感じて、頑張ろうって思ったのはありますね。
退職後にデビュー発表の予定が、週刊誌にすっぱ抜かれて懲戒免職

川奈:いろいろなところに面接に行くなかで、なんだかフワッと「アダルト系の事務所も面接に行ってみない?」と言われて、行ってみたんですよ。
そうしたら「グラビアより、バレにくいよ」とか「お金もたくさんもらえるよ」とか……まあ、うまい感じに言ってこられて(笑)。
――今だと問題になるやり方ですね。川奈さんのデビューは2015年、当時はまだそういうスカウトも多かったです。でも、現役教師としてデビューしちゃうのは、さすがにマズイとは思いませんでした?
川奈:本当は、撮影自体は現役中にするけど、3月末に教師を退職してからグラビアを出して、セクシー女優デビューをして、という計画だったんですよ。でもそれが「物理教師デビュー」みたいな感じで、退職前に写真週刊誌にすっぱ抜かれちゃったんです。
学年主任から電話がかかってきた

川奈:学年主任から電話がかかってきて「今、俺と校長と教頭の机に雑誌が一冊ずつ置いてある。これはもう、無理だ」って言われて。
勤めていた学校は中高一貫校で、私も生徒として通っていたんです。だから先生たちからは、娘みたいに思ってもらっていたんですよね。
校長先生も「騙されたのか、お金で困っているのか。
――学校としては、そうするしかありませんよね。
川奈:「発売されるのが退職後なら大丈夫だろう」って、油断していましたね。ちゃんと計画通りになるだろうって思っていたら、まさかすっぱ抜かれちゃうなんて。「そんなこともあるんだ」ってビックリしました。ちょっと甘く見てましたね(笑)。
家族のほとんどとは連絡を取っていない
――懲戒免職されたとき、後悔はしませんでした?川奈:「やっちゃったな」とは思いましたけど、後悔してももう元には戻れませんし。「しょうがないな」と、逆に覚悟が決まりました。ただ、お世話になった先生方や、生徒たちとお別れできなかったのは寂しかったですね。
でも、私がオトナのお店で働くようになってから、何人か生徒が遊びに来てくれてるんですよ。「なんか見覚えがあるな」って思ってたら「僕、生徒だったんですよ」って(笑)。
――デビューがバレたとき、ご家族はどんな反応でした?
川奈:もう、お母さんが「恥さらし、出ていけぇ!」「一生、実家に戻ってくるな!」って大荒れでした。そんな感じだったので、ほとんど連絡も取らない状態で。だいぶ経ってからちょこちょこ会うようになったんですけど、またちょっと揉めちゃって、今はまた連絡が取れない状態ですね。
――セクシー女優デビューして関係がこじれても、時間が経つと関係が改善される場合もあります。川奈さんの家族はそうではなかったですか。
川奈:お母さんはデビューのことを許してくれたわけではないですから。お母さんがそんな感じなので、お父さんとは連絡していませんし、妹がいるんですけど、そちらとも連絡を取っていません。
妹は私と同じ学校に通っていた卒業生ですから、それもあってデビューのことをすごく怒っていて。関係が改善することはないでしょうね。
いわゆる「複雑な家庭」で育ってきた

川奈:もともと、家族の関係は良いものではなかったですから。両親はよくケンカをしていましたし、それがこちらに飛び火して暴力を受けたこともありました。お母さんはちょっと精神的に不安定な部分があるので、パニックになっちゃって私に矛先が向いちゃう感じで。
――今で言う「毒親」ですか。
川奈:そうかもしれません。お母さんは私に「こうしなさい」と、自分が考えたルートを示してくるタイプでした。私はとくに深く考えずに示されたルートを歩く感じで、そのせいで自分で物事を決めるのが苦手になった部分はあるかもしれないですね。
――そういう家庭で過ごすのは、ツラくなかったですか?
川奈:それはありませんでした。たしかに複雑な家庭ではあったんですが、家族のことは好きなんです。ただ、愛情不足で寂しいと思うことは、20代の頃はありましたね。30歳を超えたら、そんなこと考えなくなりましたけど(笑)。
元には戻れないところまで来て、自分の人生が始まった
――「愛情不足」というのは、川奈さんが「人から求められるところが居場所だと思う」とおっしゃっていたのと関係がありそうなワードですね。川奈:たしかに、そうかもしれません。あと、他人に対する愛情表現がヘタ。ほしいものは全部ほしくなって買っちゃう、みたいな時期もあって、そのあたりにも影響していたかも。
ずっと自宅で暮らしていたので、世間が狭かったのはあります。
私にとって、デビューが自立への第一歩だったのかもしれない。もう元には戻れないところまで来て、自分の人生が始まったのかな、という気がしています。
今後は病気とも向き合いながらゆっくり生活していく

川奈:いえ、AV新法ができて、いろいろと難しい業界になってしまった頃から、自分の中で続けていく意味が見えなくなっちゃって。ある程度は活動も続けたし、もういいかなって今は思っています。
――続けるメリットがなくなった感じですか。
川奈:……あと、実はちょっと病気、子宮頸ガンもわかって、それもあって休もうと。
そのときには浪費癖もなくなって、貯金もけっこうあったんです。で、一時期良くなってたんですが、最近またちょっと引っかかってしまって、これから長い戦いになりそうです。
――それは、なんと言えば良いのか……。
川奈:ワクチンは打っていたんですけど、このあたりのリスクはどうしてもありますよね。
今はパパ活とかも増えているらしいですけど、こういう病気と隣り合わせなのは忘れちゃいけないと思います。私自身、リスクを忘れていて、自分が病気になってようやく気付いたんですが。
後悔は全然していない

川奈:後悔は全然していないですね。後悔しても、しょうがないので(笑)。でも「一生続ける仕事ですか?」と聞かれたら、私は「はい」とは言えません。でも後悔していないのは本当です。
今後は生活できる程度に働きながら、病気と向き合っていこうと考えています。
もし「こんな仕事があるよ」という方がいたら、ぜひお声がけください。私は誰かに「こんなことをやってほしい」と言われて、実力を発揮するタイプですので(笑)。
<取材・文/蒼樹リュウスケ、写真/林紘輝>
【蒼樹リュウスケ】
単純に「本が好きだから」との理由で出版社に入社。雑誌制作をメインに仕事を続け、なんとなくフリーライターとして独立。「なんか面白ければ、それで良し」をモットーに、興味を持ったことを取材して記事にしながら人生を楽しむタイプのおじさんライター