この映画には、北朝鮮軍の兵役中であった2012年に、非武装地帯を走って命がけの脱北を果たしたチョン・ハヌル氏が携わっている。映画の脚本作りのほかに、ダイアログコーチ(俳優のセリフの発音や表現を指導する専門家)として参加して、リアリティを与えた。現在俳優として活動しているハヌル氏に向けて、北朝鮮時代の壮絶エピソードから、今の活動を聞いた。
リアル脱北者に聞く、北朝鮮ではサッカー選手で軍人だった
北朝鮮時代の経歴を教えてください。また現在のご職業はなんですか?北朝鮮に住んでいた頃は、サッカー選手と北朝鮮の軍人でした。小さいころからサッカー選手として活動していましたが、2011年に北朝鮮軍に入隊しました。現在は、俳優として活動しています。
北朝鮮の兵役制度は、韓国と違うのですか? どのぐらい厳しかったのですか?
まず兵役期間が違います。韓国は、18ヶ月の兵役期間となりますが、北朝鮮だと10年間です。比べ物にならないほどに、北朝鮮軍の方が厳しいと思っています。脱北した当時の体重が43㎏でしたが、韓国に来た1ヵ月後には72kgになってしまい、ほぼ30kg太ってしまったんですよ。
どの国の軍隊も大変だと思いますが、韓国の軍人たちに兵役10年だと伝えても、あまりピンと来ないんです。ただ「120ヶ月間、軍人として過ごすんだ」と伝えると、「それはありえない!」と言ってくるんですよ。

脱北を決意。”韓国から飛ばされるチラシ”もきっかけに

非武装地帯の最前線に配置されると、韓国の様子が見えるのです。夜空でも明るくて、生き生きとした木々が茂ってるんです。韓国から届くチラシに理由が書かれていて、「経済力があり豊かだから」と明記されていたんです。十代の時は、なにも考えずにチラシを読んでいましたが、徐々に分かる様になり現実を直視するようになりました。また脱北した当時は、金正日総書記が亡くなったり、 金日成生誕100周年の時に、祖国が統一されるという情報もあったのですが、一向に変わらなかったんです。いつになっても好転しない状況に心が崩れてしまい、脱北する事を決意しました。地雷もある非武装地帯を走り抜ける形で“脱走”をしましたが、軍に見つかり銃弾も浴びました。でも難なく脱北に成功する事が出来ました。
脱北を果たした今だからこそ分かる、北朝鮮と韓国の良い部分はどこでしょうか?
韓国では、パスポートを持って色んな国を訪れる事が出来る所です。
北朝鮮の場合は、韓国でいう昔ながらの暮らしぶりで、家族の匂いを感じる事が出来ると思います。韓国ドラマの『応答せよ1994』で描かれている様な、古き良き家族の絆がありますね。一方の韓国は、個人主義が発達して他人に無関心な側面が見えるので、まだ古き良き文化が残っているかと思います。
他の脱北者の方に会われていると伺いましたが、なにか支援されているのですか?
大金を持っていないので、金銭的な支援は出来ませんが、脱北者の方々と交流を持っています。サッカーを一緒に楽しんだり、私のYouTubeチャンネルに招いてインタビューを敢行したり、人と人を繋げたりしています。また脱北者の先輩として、韓国に定着できる様に経験を共有しています。
映画『脱走』に携わるきっかけはYouTube
どういった経緯で、映画「脱走」に関わる事になったのでしょうか?私が大学を卒業する頃ですが、俳優を夢見て演技スクールに通って勉強をしていました。またその頃から、YouTubeを配信していたのですが、それを見た制作会社の方から連絡があったんです。私が北朝鮮軍出身で、非武装地帯を超えて脱北したことを知り、一緒に映画を作らないかというオファーがありました。
同じ朝鮮語でも、北朝鮮と韓国だとかなり違っていて、俳優のセリフの発音や表現を指導する専門家・ダイアログコーチという役割でした。大ファンだったイ・ジェフンさんが出演すると聞き、直接会える事に期待してしまいました。
私は、ダイアログコーチとしてのオファーが初めてでした。
映画の中で、北朝鮮のリアルな描写はありますか?
かなり多くのシーンが該当しますが、イ・ジェフンさんが拷問されるシーンがリアルです。上官から容赦なく暴力が振るわれていて、軍人たちの姿も忠実です。食べるものもままならないので、下っ端兵士の疲弊している姿が、生々しく表現されています。また軍幹部が太っている容姿をしていますが、あれは本物です。
俳優として出演されていたそうですが、どんなキャラクターなのでしょうか?
武器を携えた、北朝鮮の流浪者の一人として登場しています。ただ実際の北朝鮮には、無政府主義者でノマドワーカー的な人はいませんよ。銃を持って政府に反発している人がいたら、すぐ軍人に捕まり、厳しい処罰を受けると思います。

任天堂のゲーム機が、日本製だと知らなかった

日本発祥のプレイステーションが大好きで、サッカーゲームのFIFAシリーズをプレイしています。
北朝鮮で暮らしていた頃に、日本の情報は入っていましたか?
韓国に来て驚いたのですが、小さいころに遊んでいた任天堂のゲーム機が、日本製だと知りませんでした。すごく楽しかったので、電気が点いている所で、24時間遊びたいという夢を持っていましたね。ちなみに北朝鮮では、日本に対してネガティブな教育をしているので、マイナスな印象を持っていました。
日本では、北朝鮮の冷麺が美味しいという報道があります。韓国と違って全然味が違うのですか? ぜひ韓国のおすすめの店を教えてください。
冷麺は、全然違いますね。脱北者が韓国に来て、最初に一番苦労するのが料理なんです。
今後やってみたいことがあれば教えていただけますか?
俳優としてチャレンジし続けていきたいです。また北朝鮮の階級制度を描いた作品や、ドキュメンタリー、Vlog映像を撮って北朝鮮の方々に見てもらう機会を設けたりもしています。北朝鮮の人たちから正直に面白い、つまらないといった反応があります。100人見て10人ぐらい反応を返してくれますかね。ダメな事なのに、様々なツールを使って感想を送ってくれるんですよ。今後も作品を作って、送り続けたいと思っています。

まず映画『脱走』を、楽しんでいただきたいと思っています。独裁社会の北朝鮮には、2,500万人の人が暮らしていますが、抑圧された中で生活しています。人間は、平等な権利を持っていると思いますが、不平等な人もいるという事を、映画を通じて知って欲しいなと思っています。
【チョン・ハヌル氏 プロフィール】
兵役中に、2012年夏に北朝鮮から韓国へ脱北した人物。
幼少の頃はサッカー選手としてプレーした経験を持つが、エリートチームに入れず入隊した。脱北を決意した理由は、軍生活は寒すぎる、空腹、殴られるなど過酷な環境だった。また北朝鮮の兵役が10年近くという部分で不公平だと思っていたなか、韓国から飛んできたチラシを拾い脱北する事を決意。
2012年に脱北を果たし、現在俳優業のほかYouTubeとして活動している。映画『脱走』では、ダイアログコーチとして監修にあたった。ドラマの感情の流れに沿うかたちで、現代の北朝鮮の若者が使う言葉を再現している。また美術部や演出部にも協力して、流浪者の射撃手役で出演もしている。