ただ東京で生まれたというだけで何かを期待されるか、どこかを軽蔑されてきた気がする――。そんな小説家カツセマサヒコが“アウェイな東京”に馴染むべくさまざまな店を訪ねては狼狽える冒険エッセイ。
そのプリンを見ながら、願いは今日も「すこしドラマになってくれ」
人生みたいなプリンを一つ【本郷三丁目駅 名曲・珈琲 麦(喫茶店)】vol.11
まあ、人生甘くはないよね、と人に諭され、溶かした夢や野心がいくつかある。理想に向かうよりもずっと早く現実が迫ってきて、あっという間に呑み込まれ、目指していた場所とはずいぶん違うところに流れ着いたりする。人生は苦い。その苦さすら楽しめたら大人、みたいなものなのだろうけれど、ときにしんどい。その日は公私ともにいろいろあって、とにかく疲れていて、そんなときに限って税金の納付書が届いて、しっかりと打ちひしがれて、まともに生きてなんていられっかよとやさぐれたりしていた。
そんな精神状態だったからこそ、取材先として向かう店にいくらか希望を持った。辿り着いたのは文京区にある本郷三丁目駅で、この改札からわずか1分のところに「名曲・珈琲 麦」という大変魅力的な名前の喫茶店がある。
名曲喫茶、という言葉の響き。「お前さんはお客だけれど、別に主役ではないですよ」と毅然とした態度を感じる。
今は誰にも干渉されず、一人やさぐれたり、そこから立ち直ったりしたい気分だからこそ、名曲喫茶はうってつけなのでは、と予想した。
出入り口から続く細い階段を下ると、店内は、右手と左手に分かれる。右が禁煙、左が喫煙。私は煙草を吸わないけれど、他人の吸っている匂いが好きという最も早く死にそうな癖がございまして。などと無言の言い訳を披露しつつ、喫煙エリアについた。
午後3時。店内は、ほぼ満席である。床とソファはところどころ布が破れたえんじ色。壁には大きな絵画。そして耳には我こそが主役、と言わんばかりの音で空間を埋めるクラシック音楽。階段の近くには新聞や雑誌、CDが入った棚が並べられている。
いいですね、この感じは、かなりいいですね、と、勝手に一通り眺めて満足したあと、椅子に座る。想像よりもずっと深く座面がへこんで、慌てて立ち上がってみると、どうやらこの椅子だけが壊れている。
今度は隣の椅子に腰掛けてみる。こちらはクッションがまだまだ生きていて、包むように私の尻を受け止めた。
安心したところで、四捨五入すれば樹木希林になりそうな容姿のご婦人が、メニューとおしぼり、お水を持ってきてくれた。そこで気づいたが、自分以外の人間はみんな白髪である。まるでそれがドレスコードのよう。モーツァルトが鳴っている。
名曲喫茶は私語厳禁の店もあるらしいが、「麦」はある程度の会話は許されている。二人客も見受けられ、音楽に耳を傾けたり、競馬の話や、政治の話をしたりしている。
メニューを見ると、珈琲が300円で売られている。安さに申し訳なくなって、プリンも頼む。
プリンには生クリームとさくらんぼが載っている。昔ながら、と言える外見だが、一口食べると、想像の何倍も、甘くない。控えめにもほどがある甘さに、どちらかといえば、苦さすら覚える。
単体では苦すぎる、と思って、横に添えられていた生クリームと一緒に食べる。すると、元からそうやって食べるものです、と自己紹介をするように、絶妙な甘みが口の中に広がった。
これは、人生。
ときに苦くとも、誰かと混ざれば甘くなる、と教訓めいたことを思いながら、完食し、また音楽に耳を澄ませる。名前も知らない名曲が、静かに大きく鳴っている。
<文/カツセマサヒコ 挿絵/小指>
―[すこしドラマになってくれ~いつだってアウェイな東京の歩き方]―
【カツセマサヒコ】
1986年、東京都生まれ。小説家。『明け方の若者たち』(幻冬舎)でデビュー。