ただ東京で生まれたというだけで何かを期待されるか、どこかを軽蔑されてきた気がする――そんな小説家カツセマサヒコが“アウェイな東京”に馴染むべくさまざまな店を訪ねては狼狽える冒険エッセイ。早食いに多少の自信がある著者が人生初の『ラーメン二郎』に挑む。
野犬は何も覚えていない【目黒駅・ラーメン二郎 目黒店】vol.11
早食いには自信があった。中学、高校と運動部に所属していたこともあり、とくに先輩はみんな、光を思わせる速度で丼を空にした。その速度がいつしか自分に馴染んだ。
「ご飯の食べ方は、そのまま性に直結していると思う」
大学に入って、学食で女性と食事をする機会があった。
「相手のペースを考えずに自分の空腹を満たすのに必死な人は、つまり、そういうセックスをしてそう」
私はそのとき、野犬のようにカツカレーを貪っていて、彼女の皿には、まだパスタがほとんど残っていた。
食べるのが遅いなあ、と、その人をからかったことがあった。あれは、逆なのだ。私が速すぎた。そして、デートでの食事は一緒に食べる人にペースを合わせるべきだった。
そんなことを思い出したのは、己の早食いに、正面から向き合う日が来たからだった。
「ラーメン二郎 目黒店」
目黒駅から徒歩10分のところにある、大ボリュームで有名なチェーン「ラーメン二郎(以下、二郎)」の一店舗である。
熱狂的なファンが多い二郎だが、食べるのが遅いと怒られることもあると聞いた。早食いには自信があったが、この胃は、若さを羨むくらいには元気がない。私はネットを駆使し、初心者でも行きやすい二郎を探した。目黒店は比較的量が少なく、初めてでも安心、という確信を得て、現地に向かった。
開店の5分前で、すでに25人の列があった。先頭の男性は常連だろうか。体がかなり大きく、この店を守り抜いてきた風格すらあった。
40分を、緊張して待った。
いよいよ券売機に辿り着き、「小ラーメン」のボタンを押した(それでも通常のラーメンよりずっと量が多いらしい)。店員から4人ずつ呼ばれ、全員ほぼ同時に、カウンター席に座る。さっきまで赤の他人だった人たちが、急にチームメイトか何かに思えた。
「店主から、アイコンタクトでトッピングの有無を確認されることがあります。目を離さないようにしてください」
ネット記事を思い出し、慌てて目を見る。監督からのサインを見逃してはならない。
「ニンニクは?」
来た、と思った。トッピングコールというやつである。私は自宅で何度も練習した「ニンニク少なめ、あとは普通で」という合言葉を唱えた。
店主のリアクションはなく、私など存在しないかのように隣人のオーダーに移った。
2分後、ラーメンが、目の前に運ばれてきた。
ネットでしか見たことのないそれが、眼前で輝いた。本物だ~、と、芸能人にしか抱かない感情でそれを見つめた。しばらく眺めていたかったが、チームに後れを取るわけにいかず、私も麺に食らいついた。
久々に、野犬になった。
戦いはあっという間で、全てを食べ終え、私は店の外にいた。緊張が去り、体は、満腹感と達成感で満ちていた。
しかし、あれは、どんな味だったのだろうか。
帰り道、胃に収まった二郎の味を思い出そうとするが、急ぐのに夢中で、または緊張で、味わう余裕が全くなかったことに気づいた。美味かったと思うが、本当だろうか。
学食で一緒だった女性のことを、再び思い出した。
その人と、一度だけ夜を共にしたことがあった。それは、どんな夜だったろうか。私はやっぱり、覚えていなかった。あの夜もまた、私は野犬だったのだろうか。
口の中にニンニクの香りが強く残っている。
<文/カツセマサヒコ 挿絵/小指>
―[すこしドラマになってくれ~いつだってアウェイな東京の歩き方]―
【カツセマサヒコ】
1986年、東京都生まれ。小説家。『明け方の若者たち』(幻冬舎)でデビュー。そのほか著書に『夜行秘密』(双葉社)、『ブルーマリッジ』(新潮社)、『わたしたちは、海』(光文社)などがある。好きなチェーン店は「味の民芸」「てんや」「珈琲館」