「機動戦士Gundam GQuuuuuuX(以下、ジークアクス)」が放送終了して数週間が経つ。にもかかわらず、今なお“ジークアクスロス”ともいうべき虚脱感に包まれている人は多い。

 ちなみに筆者は1973年生まれだから、小学校の時に“ガンプラブーム”を経験している。当時は同級生とともにモビルスーツになりきって遊んでいたものだ。そして、それ以降も何らかの形でガンダムが人生に関わってきたからこそ、今回のブームについても当然興味をそそられている。

 なぜジークアクスは、ここまで多くの人を巻き込むことができたのだろうか。視聴した人たちに感想を語ってもらいつつ、その理由を分析していきたい。

止まらない「ジークアクス」の衝撃。往年のガンダムファンだけで...の画像はこちら >>

ジークアクスはどんな話?

 この作品はシャアが連邦軍のガンダムを強奪し、紅く塗って自機にしてしまうという世界線。つまりパラレルワールド設定だった。放映前に劇場公開されたバージョンではそのシャアがガンダムに乗るシーンが冒頭になる(テレビでは2話)。カット割りやBGMもファーストガンダムを意識しており、ゆえに知ってはいるものの、まったく違う作品を見させられているという奇妙な気分にさせられた。

 ガンダムを手に入れたジオン軍は一年戦争に勝利し、シャアは行方不明になってしまう。それから5年後、アマテ・ユズリハという少女は「マチュ」と名乗り最新型のガンダムであるジークアクスを軍から奪い、モビルスーツによる非合法の対戦競技「クランバトル」に参加することに。

 そこから物語は二転三転。ファーストガンダムにも出ていたキャラクター、ジークアクスオリジナルのものが混然一体となってハイスピードで物語は展開していく。


 放映当時、SNSで今後のストーリーに対する考察が多くの人によって行われた。だが、それは次々と裏切られ、奇想天外ともいえるストーリーは多くの反響を呼んだ。

50代の上司は「黒い三連星の話ばかり…」

 ガンダムをファーストを含め数作品見ているという30代女性は、以下のように話す。

「正直、ファーストガンダムの記憶も曖昧だったんですけど楽しめました。知っているからこそわかる部分もあるんでしょうけど、そこまで覚えてなくても平気です。職場の50代の上司に勧めたら『シャアがガンダムに乗る』というパラレルの部分で驚きすぎてしまったらしくて、ジークアクスのストーリーがあんまり頭に入って来なかったみたいで。黒い三連星の話ばかりしていましたね」

“ガンダム初心者”と“ガンダム玄人”、それぞれの意見は…

 ゆるキャラや特撮のイベントに行くのが趣味だという40代女性は、まっさらな状態からガンダムの世界に足を踏み入れた。

「SNSなどで話題だったので放送途中から配信で遡って観ました。ガンダムはまったく知らなかったんだけど特に問題はなかった。これからファーストガンダムも観てみようと思った。ハロやコンチが可愛くてよかった。あと最終回近くなって私には特撮っぽく見えた。私はシャリア・ブルが好きなんだけどファーストガンダムではあまり活躍してないというのでそれも確認するために見てみようと思った」

 引用やオマージュが多い作品であるが、知識の少ない人にも楽しめるようだ。逆にガンダムシリーズは全部見ていてガンプラが趣味だという20代男性は、ならではの意見を述べる。


「ネットの考察も含めて毎週楽しかった。最終回のサプライズキャストは本当に驚いた。個人的によかったのは独特のデザインのモビルスーツで、特にドムは作ってみたい」

 取材した人は概ね好意的な人が多かったが一部には批判がある。「オタク(の制作者)がガンダムで遊んでいるだけ」「ストーリーの整合性がない」などといった意見は珍しくない。しかし、その整合性の危うさこそが物語の“祝祭感”を高めているのではないだろうか。

テーマそのものに矛盾をはらんでいる

 キャラクターは多数登場するが、そのエピソード限りで退場するものが多い。くわえて難解な部分もあるストーリーとはいえ、画面上にいる主要人物が少ないことも“とっつきやすさ”に繋がっている。

 ファーストガンダムのパラレル設定であるという時点で、一定の話題性が見込めるだろう。ただ、それだけではここまでの注目は集まらないだろうし、「ガンダムを知らない人たち」まで巻き込んでいることの説明にはならない。

「人によっていろいろな楽しみ方ができるから」といったらその通りなのだが、これも答えとはいえない。祝祭的なものに理由や説明が必要なのか、という側面はあるのだが。

 ジークアクスは、テーマそのものに矛盾をはらんでいる。自分のやりたいことをするということと、他人のために生きたいという、「自己実現と自己犠牲」を描いている。
「他人のために生きる」時の“他人”が誰かわかるからこそ、最終回で大きな衝撃が走ったのだ。

ジークアクスは“祝祭”…ガンダム50周年はどうなる?

 また、もうひとつの矛盾。オマージュによってファーストガンダムというものを解体していくジークアクスであるが、逸脱しまくっているこの作品がそれでもガンダムでしかないという事実。

 矛盾、乱調は時として作品の深みや魅力に化ける。そうした奇跡がこの作品には起きている。

 最後にガンダムは一通り見ているという40代男性の主張を紹介しよう。

「ジークアクスを途中まで見ていて、これは『トム・ブラウンの漫才』みたいなもんだなって気づいて……。考察をするのも、見るのも止めました。みちおに対して布川は考察しないし、驚いたりツッコんでるだけで。だからこの作品を受けとめているだけで、見るというより浴びるという感覚で深く考えず出されたものを享受、鑑賞しようと」

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「ファースト以降のガンダムシリーズ」のなかでも、ジークアクスは“祝祭”であることに大きく舵を取っている印象が強い。

 いまなら未見の人も配信などですぐに追体験できる。

 個人的にはシャアという才能、能力は高いがマザコンで独善的な魅力的なキャラクターの救済の物語という部分が心を打たれた。
どう考えても救われる要因がなかった人間がようやく救われたのだ。

 そしてまだ先だが2029年はガンダム50周年。そこにはどんなお祭りが用意されるのだろうか。

 君は生き延びることができるか?

<TEXT/鶴岡法斎>

【鶴岡法斎】
1973年千葉県生まれ。東京都在住。人間の狂熱と性愛に興味があります。普段は古書店店員など。高校卒業後に営業マン、書店員などを経て文筆の道へ。いろいろあって兼業ですが戻ってきました。最近は近場の銭湯を開拓してます。X:@tsurock
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