母から関心を向けられずに育った
――児童養護施設あるあるなどのショート動画ネタで人気のふなちゃんさんですが、ご自身もまた、いわゆる機能不全家族で育ったと伺いました。ふなちゃん:そうですね。実家にいる間は、ゆるゆると苦しい時間が続きました。私は4人きょうだいの2番目で、姉、弟2人がいます。共働きだったためか、大所帯でも比較的生活は苦しくなかったと思います。父は会社員、母は看護師をやっていました。ただ、私は母から関心を向けられずに育ちました。幼いころにいろいろ楽しませてくれたのは、どちらかといえば父という印象です。
――お母さんからの関心が向けられていないことは、どんなところから気づくのでしょうか。
ふなちゃん:たとえば誕生日やクリスマスのプレゼントは、事前に何が欲しいかを伝えていても、「そのときに母があげたいもの」とくれるんですよね。また旅行とかも、どうも「子どもを楽しませてあげよう」みたいなのが一切なくて、母が行きたいところに行くんです。「疲れた」と言っても、「いや、お母さんはまだ◯◯に行きたいから」みたいな。
それから、たとえば私がマラソン大会で賞を獲ったりしてそれを報告しても、「お母さんが小さいころはな」みたいな自分の昔話を始めて、娘を褒めようなどとはまるでしません。父からもよく「子どもと張り合うんじゃない」と言われていました。よそのご自宅にお邪魔すると、他のお母さんは子どもをまず中心に考えていて、自分の家庭が恥ずかしく、また母のことが幼く感じたのを覚えています。
怒られることに対する恐怖感が根底にあった?
――「お母さんって幼いかも」と思った具体的なエピソードはありますか。
――お父さんはどのような方だったのでしょうか。
ふなちゃん:父は地域での人望が厚く、街の行事などにも率先して参加するタイプの人だと思います。地元の人からいろいろ物品をもらったりすることも多く、衣食住に困らなかったのは、そうした父の人徳もあったかもしれません。
――アンバランスなご夫婦ですね。
ふなちゃん:本当に。父は地域のよさこいの代表を務めていて、長年活動をしています。その縁で母も一応集まりに顔を出すのですが、結構長く参加しているのに、ほとんど周囲の人と交流を持ちません。不思議な人なんですよね。
母の不倫を目の当たりにして、自身がとった行動は…
――お母さんは看護師をされているとか。職場でもそうなんでしょうか。ふなちゃん:詳しくは知りませんが、コミュニケーションを積極的にする人ではないです。ただ、仕事そのものはできるようで、管理職をやっているはずです。私が唯一、母を尊敬したのは、骨折したときに迅速に応急処置をしてくれたことです。そのときだけは、「やはり看護師なんだな」と思いました。
――唯一ということは、基本的には好きになれない?
ふなちゃん:小学生のとき、母の携帯でゲームをやっていたこともあって、彼女のメールを見てしまいました。そこから、複数の人と不倫をしていることが容易にわかりました。
――不倫関係なのはどうしてわかるんでしょうか。
ふなちゃん:送信履歴に、相手に送った性的な写真が残っていたんです。今思い返すと、私が性的な逸脱行動を取るようになったのも、このことと無関係ではないと思います。
――性的逸脱行動というと?
ふなちゃん:小学校4年生のときに、出会い系サイトで知り合った人とメールのやり取りをしていました。相手からの要求で、局部や胸の写真を送っていました。ただ、当時は小学生ながら結構冷静で、「男はこういうもので興奮するんだな」と冷ややかに見ていました。
男性に対する憎しみがとてつもなかった
――実際に会ったりはしていないのですか。ふなちゃん:会うことはなかったですね。テレビ電話は1回ありましたが、相手の呼吸が荒くて気持ち悪くなってすぐに切ってしまいました。
――幼いときから男性の欲望を目の当たりにしてきたふなちゃんさんですが、恋愛などに影響しなかったんですか。
ふなちゃん:おそらく当時は、男性に対する憎しみがとてつもなかったのだと思います。私は母から関心を向けられない。
また父から母に対する暴力を目の当たりにしたり、母に対して「馬鹿だ」と吐き捨てる姿なども脳裏に焼き付いていて、これも男性に対する恐怖や屈辱の象徴になっています。
交際をしていた人は過去にいましたし、わりと尽くすタイプではあるのですが、愛情よりも依存によってつながる関係性を築いてしまうことが多かったですね。
母の不倫がバレるも、離婚には至らず
――ところでお母さんの不倫はそこまで隠しきれるものなんでしょうか。ふなちゃん:私が大学生のとき、ついにバレました。家族が参加しているグループLINEに父が位置情報を貼り付けて、とあるラブホテルに母がいることを問い詰めたんです。私も姉も「とうとうバレた」と思いました。しかしその後、2人は関係を再構築し、いまだに一緒にいるのでよくわかりません。私は大学の途中から、児童養護施設職員を辞するまでずっと彼氏と同棲しましたし、その後はひとり暮らしなので実家に帰っていないんです。
――いわゆる修羅場ですが、その後のお母さんの態度はどうでしたか。
ふなちゃん:直接会っていないのでわかりませんが、母に個人的に「あんたのせいで家庭がこうなってるんだからね」とメッセージを送りましたが、既読スルーですね。
――両親に対して、いっそ離婚してしまえと思ったことはないですか。
ふなちゃん:周囲に離婚をしている家庭がなかったので、離婚をすることで父母の不仲がバレるほうが怖いと考えていました。実際には、父母の喧嘩はしょっちゅうで、近隣から苦情がくるほど激しいこともありました。当時はそのことよりも、それが白日のもとに晒されるほうが恐怖でしたね。
児童養護施設に新しい風を吹かせたい

ふなちゃん:子どもたちのことはいつまでも心から応援していますし、関わり続けたいとも思っていますが、過去の自分の精算に子どもを使うのは本意ではありません。個人としての目標は、パートナーと良い関係を保ったまま子育てができればと思っています。もっとも、自分が母親のようになってしまうのではないか、という不安はあります。
社会的な目標としては、閉じられた空間である児童養護施設に新しい風を吹かせられるようにしたいと思っています。具体的には、たとえば採用や経営において、施設内ですべて完結させようとする傾向があるので、アウトソーシングの提示などができればと思っています。
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ふなちゃんの母親は、悲しいほど振り向かない。その母が溺れた性愛。不倫の事実は、ふなちゃんさんにとって本来向けるべき憎しみを捻じ曲げるほどの衝撃だったのだろう。男性全般を蔑む時間がしばらく続いた。
翻って、児童養護施設にいる子どもたちとの時間は、ふなちゃんさんにとって昔の自分に会う大切な時間だったに違いない。今も家族の問題に打ちひしがれる子どもたちのために、影響力を手にする。その先に、彼女の求めた世界がきっとある。
<取材・文/黒島暁生>





【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki