スポーツ・旅行など、学校外の体験には家庭の経済状況が深く関わることを意味する「体験格差」という言葉の認知が広がっている。東京都は長期休暇などの体験活動に運営費を補助する支援制度を立ち上げており、民間団体の一部で子ども向け「体験」プログラムを実施する動きも生まれている。
作家の乙武洋匡氏は、この状況を残酷ながら当たり前の話としたうえで、本質を見誤るべきではないことを、フランスの哲学者の言葉を引用し、提言する。(以下、乙武氏による寄稿)。
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子どもの体験格差、解消の動きは必要だけど

 子どもの頃の夏休みと言えば、多摩川の土手で見る花火大会が楽しみだった。鎌倉の親戚宅に泊まって材木座海岸で海水浴をするのも恒例行事だった。それがいかにありがたいことだったのか、ここ数年、実感させられている。

 家庭の経済力と子どもの学力の深い相関関係が指摘されるようになって久しい。

 ところが、昨年あたりからはまた別の問題が指摘されるようになった。「体験格差」という言葉を聞いたことがあるだろうか。やり抜く力やコミュニケーション能力など、数値では表すことが難しい「非認知能力」を伸ばすには遊びや自然体験などが必要と言われてきたが、この「体験」自体が、家庭の経済力と深い相関関係があると言うのだ。

 言われてみればその通りかもしれない。習いごとをするにも、旅行に行くにも、もっと身近なところで言えば家の中にどれだけ本があるかまで、その家庭の経済力や文化的資本と密接に結びついてしまっている。お金があれば多くの体験ができるというのは、残酷ながら当たり前の話だとも言える。だからこそ、いくら大学受験で「学力とは別の観点から評価をしよう」と総合型選抜を行ったところで、結局はその枠で合格するのも、豊富な体験を積んで非認知能力を磨いてきた「金持ちの子ども」になってしまっている現状があるのだ。


 こうした課題を解決しようと、民間ではさまざまな体験格差解消プロジェクトが出ている。特に夏休みのような長期休暇は、体験格差が最も生まれやすい時期。経済力だけでなく、ひとり親のように時間がない保護者も多くいるなか、夏にはサマーキャンプ、冬には雪遊びに連れていくなどの試みが始まっている。

子どもは小さな“未完成の大人”ではない

 ただ、この問題を考えるにあたっては本質を見誤らないように気をつけたい。フランスの哲学者ルソーは教育書『エミール』で、自然に触れることの大切さとともに、子どもは小さな“未完成の大人”ではなく、子どもには固有の物の見方や感じ方があり、大人とは異なる独自の存在だと説いている。この視点に立つならば、子どもたちの体験は決して「大人になるための準備」として行われるべきではない。ましてや「他者との格差を埋めるため」に行われるべきものでもない。

「子ども」という、私たち大人とは異なる存在。他者との比較からではなく、彼ら自身が幸せを感じ、自己肯定感を高められるよう、すべての子どもが豊かな体験を享受できる社会にしていきたい。

夏休みの思い出が生む「子どもの体験格差」に乙武洋匡氏が警鐘。「“他者との格差”を埋めるための体験」であってはならない理由
乙武洋匡


【乙武洋匡】
作家・政治活動家。1976年、東京都生まれ。大学在学中に出版した『五体不満足』が600万部を超すベストセラーに。
卒業後はスポーツライターとして活躍。その後、小学校教諭、東京都教育委員などを歴任。「インクルーシブな社会」を目指し執筆や講演、メディアへの出演を精力的に行う
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