「ギャーッ!」「ママー見てー!」静かな車内に響く甲高い声
橘ひよりさん(仮名)は一人旅で新幹線を利用することが多い。ある初夏の午後、彼女は指定席でYouTubeを楽しんでいた。発車してまもなく、「ギャーッ!」「ママー見てー!」と、静かな車内に子どもたちの声が響いた。「小学校入学前くらいの男の子が通路を走り回っては、通路を挟んだ右側の席に座りに行き、また通路を走る、というのを繰り返していました。母親らしき女性はスマホに夢中で、時折『静かにしてね~』と小さく言うだけ。隣の男性はため息をついていました」
やがて状況は悪化する。男の子が手にしていたクルマのおもちゃを床に落とし、それが勢いよく転がってきたのだ。
「通路を挟んで座っていた私の足の甲に、クルマが“ゴツン!”とぶつかりました。私は思わず『痛っ!』と声を漏らしてしまいました」
橘さんは驚いておもちゃを拾い、母親に「すみません、これ……」と差し出した。しかし、母親の反応は予想外のものだった。
「彼女は一瞬だけ顔を上げて『あ~、ありがとございます』と棒読み。謝罪の言葉は一切なかったんです」
イライラを抑えながら席に戻った橘さんの耳に、近くの高齢女性が小声で「ほんと、親の顔が見たいね」とつぶやく声が聞こえてきた。周囲の乗客のイライラは最高潮に達していたという。
車掌の「はっきりとした注意」で状況は一転
そんな緊迫した空気のなか、車掌が車内を巡回してきた。周囲からの苦情を受けたのか、車掌は母親に対して明確な注意を行った。「他のお客様のご迷惑になりますので、お子さまの行動には十分ご配慮いただけますか?」
母親はようやくスマホをしまい、「……ハイ」と不機嫌そうに返事をした。そして、母親と子どもは次の駅で荷物をまとめて下車していったという。注意されたことが気に入らなかったのか、それとも目的地に到着したのか定かではない。
ともあれ、車内の空気は一気に和らいだ。橘さんの隣に座っていた男性が「もう一駅続いてたら、こっちが降りたかも」と苦笑いを浮かべると、橘さんも思わず笑ってしまった。
「静かな移動を望むことがワガママなのかと、少し自己嫌悪もありましたが、やはり“マナー違反”だと思います」
幼い「子ども」なので仕方がない部分はあるし、なるべく周囲は大目に見てあげたいものだ。しかし、迷惑に感じる人も実際にいる。そのとき、親の行動が問われているのだろう。
朝7時台の新幹線が突然、“居酒屋”状態に

「乾杯しよーや!」「昨日の接待、あれキツかったなぁ!」
まだ7時台とは思えない声が、新幹線の車内に響く。
平日の朝、出張のため、鹿児島中央から福岡へ向かう新幹線「さくら」に乗車していた大谷拓也さん(仮名)。
多くのビジネスマンが静かにノートパソコンを開いたり、目を閉じたりして、それぞれの時間を過ごしていた。
「通勤時間帯の『さくら』は割と落ち着いた雰囲気で、私もノートパソコンを開いてメールチェックをしていました」
ところが、熊本駅で状況は一変する。スーツ姿の男性グループ6人ほどが座るなり、コンビニ袋から缶ビールとつまみを取り出し、まるで居酒屋のような騒ぎっぷりで宴会を開始したのだ。
男性グループの声は大きく、おつまみの匂いも車内に広がった。周囲の乗客は明らかに不快感を示している。大谷さんの隣に座っていたOL風の女性もハンドバッグからマスクを取り出し、匂いを避けるように顔を背けた。
「すでに酔っているのか、声も大きく、まるで居酒屋のようなテンション。しかも、おつまみの匂いが強烈で、さすがに周囲の乗客も顔をしかめていました」
「ここは居酒屋じゃないのよー!」一瞬で凍りついた車内
誰もが不快に思いながらも面倒を避けようと我慢していた。状況を変えたのは、60代くらいのおばちゃんだった。グレーの短髪に落ち着いたワンピース姿のそのおばちゃんは、前の席から立ち上がり、宴会グループに向かって毅然とした態度でこう言った。「ちょっとー!ここは居酒屋じゃないのよー!」
その一言で車内の空気は一変した。
「一瞬で空気が凍りつきました。笑っていた彼らの表情が引きつり、缶ビールを持っていた男性は手を止め、コンビニ袋をガサガサと慌てて閉じ始めました」
小声で「すみません……」とつぶやいたのは一人だけ。他のメンバーはうつむいたまま、黙々と缶をしまい、おつまみを片付けていた。おばちゃんはそれ以上何も言わずに席に戻った。
その後、車内は嘘のように静かになった。博多に到着するまでの間、彼らはスマホをいじったり、目を閉じたりして、二度と声を上げることはなかった。
車内のどこかで「言ってくれて助かったね」と小さな声が聞こえ、大谷さんも思わずうなずいてしまったという。
酔っ払った上司の言動は「身内でも不愉快」

「乗車前にみんなで夕食をとっていたので、上司はすでに半分酔っ払った状態でした。普段はしっかりした方なのですが、お酒が入るとちょっと……」
車内ではグループ6名で座っていたが、その中で最も役職の高い上司が周囲を気にせず大声で会話を始めたという。
「車内全体に声が響くほどの大声で、周りの方々も迷惑そうな表情をされていました。我々も『すこし声が大きいですよ』と注意したのですが、まったく聞く耳を持ってくれなかったんです」
上司の暴走は止まらない。
「グリーンアテンダントさんを呼び止めて、アルコール類やおつまみ、アイスクリームなどを次々と注文して、合計で1万円ほどの大量購入になりました。
さらには、『これが美味しい』と言って、今度は部下たちに『買え』と命令して。その商品が売り切れるまで強制的に買わせる感じでした」
周囲から注意されても聞かず…
周囲の乗客からの視線は厳しくなる一方だった。「この間、周囲の方から2回ほど『声が大きいですよ』と注意されたのですが、上司はその後も大声で話し続けました。私たち同行者はとても恥ずかしい思いをしましたね」
会話が盛り上がった際には女性の同僚に対して「いいから食べろブス」などという発言まで飛び出したという。
「その発言は、のちに社内でも大問題に発展し、監査役から忠告が入りましたね。
研修自体は有意義だったのですが、帰りの新幹線での出来事で台無しになりました。公共の場でのマナーは、どんな立場の人でも守るべきだと思います」
新幹線の車内は、“非日常の空間”として舞い上がってしまう気持ちもわからなくもないが、羽目を外しすぎないように注意したい。
<文/藤山ムツキ>
【藤山ムツキ】
編集者・ライター・旅行作家。取材や執筆、原稿整理、コンビニへの買い出しから芸能人のゴーストライターまで、メディアまわりの超“何でも屋”です。著書に『海外アングラ旅行』『実録!いかがわしい経験をしまくってみました』『10ドルの夜景』など。