そんな中、事件が起きました。7月17日のヤクルト戦で泉口友汰選手がスリーバントを失敗すると、直後に交代を命じられたのです。各メディアは“懲罰交代”と報じ、ファンの間で意見が分かれる大問題へと発展しました。
こうして不振のチーム状況にあって、阿部監督の言葉が悪い意味で注目されることが多くなっています。それらは経営者や中間管理職などの立場で部下をまとめる人達にとっても、反面教師として格好の教材となり得るものです。
では、阿部監督の言葉は、なぜここまで波紋を呼んでいるのか。いくつかの例から考えてみたいと思います。
①「今日は戦力にならないと思って代えた」7月17日ヤクルト戦後
炎上のきっかけになったコメントから見ていきましょう。この発言に対し、ファンからは“巨人で一番打撃成績のいい選手にバントさせる采配こそ戦力にならない”とか、“打てないベテランには甘いくせに”といった批判の声があがりました。泉口選手はセ・リーグのショートストップでは抜群の指標を残し、またチャンスにも強いことが数字の上でも証明されています。その選手に対して、相手にアウトカウントをひとつ献上するバントという作戦を指示することが、どうしても納得できないという意見ですね。
そして、阿部監督は常々“いざというときにはベテランが頼りになる”と公言してはばかりません。しかし、そのベテランも常に結果を残すわけではないのに、厳しさに差があることを疑問に思うファンもいます。
そうした日頃のモヤモヤが積み重なったところに、<戦力にならない>という断定的な言葉が出てきたので、阿部監督への当たりが強くなったのでしょう。
確かに、この言葉を額面通りに受け取れば、冷たく愛のない表現に聞こえます。しかし、試合の流れ、そしてシーズンを通して見ると、阿部監督はむしろ<今日は>の部分を強調したかったのではないでしょうか。つまり、人間のバイオリズム的に、全くダメな日があるよね、それが泉口にとっては今日だった、ということを言いたかった可能性です。
だから、そのまま試合に出し続けても失敗続きで、さらに自信を失わせてしまうかもしれないから代えたのだと。
ただし、これはかなり好意的に解釈した場合です。コーチに交代を指示するときの阿部監督の表情は激昂していたからです。その後同じようなシチュエーションで佐々木俊輔選手にバントを命じた際には、結局ツーストライク後にはヒッティングへとサインを変えていました。
そう考えると、<戦力にならない>とは、感情が抑えきれなくなった余韻がにじんだ言葉と考えるべきなのでしょう。
言うまでもなく、プロスポーツの監督にとって、感情を抑制することは大きな仕事の一つではあります。そして同じことを言いたかったとしても、「戦力」という単語以外で伝える語彙力を持つことも重要なのです。
②「荷が重いよ。そういう(若い)選手が出てるから」7月20日阪神戦後
コントロールの定まらない相手投手の不調につけ込めず、敗戦を喫した試合後のコメントです。これは2つの点でミスを犯しています。まず、この発言にはチームを一つの家族と考えた場合、まるで“お前らは世話が焼けるよ”とでも言われた“子供”=選手がどう感じるか、という視点がありません。この敗戦の重さから考えると、阿部監督は自虐でもジョークでもなく、本心から経験のない若い選手だけで試合をしなければいけないことの困難を訴えています。早い話、指揮官が白旗を上げていることを内外に示してしまっているのです。
しかし、阿部監督はある日突然一軍の監督になったわけではありません。現役引退後に二軍監督、コーチを務める間に、<そういう(若い)選手>を指導する時間は豊富にあったはずです。
つまり、ここで阿部監督が訴えている<そういう(若い)選手>の力不足、経験不足は、すなわち阿部監督自身の指導力の問題として跳ね返ってくるということです。
そしてもう一つの問題は、この若手ばかりでチームを構成しなければならない状況について、“戦力が足りない”という意味で言っている可能性もあることです。つまり、球団に対してさらなる補強を促す、もしくは自身に対するバックアップ体制に不満があることを隠していないようにも聞こえてしまう。
だとすれば、これは他チームから見ると、巨人の内部が一枚岩になっていない、付け入る隙があるのでは。という印象を与えます。
もちろん、ここでも阿部監督の言いたいことはわかります。しかしながら、言葉のチョイスが決定的に誤っているのです。勝敗の責任は全て自分が負うという、器が見えてこないのです。
③「もう、誰を出しても一緒じゃないですか」6月5日ロッテ戦後
交流戦の千葉ロッテ戦で1-2のサヨナラ負けを喫した試合での発言。主砲の岡本和真選手を故障で欠く中、貧打にあえぐ打線についてのコメントです。これは、阿部監督流のユーモア、かつての野村克也氏のようなボヤキと見ることもできそうですが、阿部監督の言葉には、どこか後ろ向きな影があります。クスッと笑わせるよりも、冷笑とか嘲笑の類ですね。
このように言っている背景には、自チームの戦力分析を冷静に行っているという自覚があるのかもしれません。しかし、これもまた<誰を出しても一緒>のチームを作った責任の一端は、あなたにもあるのではないですか、というブーメランが飛んできます。
たとえば、これと同じ発言を評論家が言うのであれば、まだ理解できます。部外者だからこそ、冷徹に比較ができるからです。ですが、監督という立場では、そのような戦力であることを理解したうえでその仕事を引き受けたという事実がついて回ります。
つまり、どれだけ冷静さと客観を装ったところで、その発言には常に監督としての自身に対する責任が発生する。しかし、今季負けが込んでからの阿部監督の発言には、その責任に対する我慢が感じられません。
それが、味方に対して冷たく突き放しているように見える最大の要因なのではないでしょうか。
とはいえ、ペナントレースはまだ50試合ほど残っています。どん底を経験した巨人の逆襲はなるのか?その時、阿部監督の言葉に変化はあらわれるのか? まだまだ楽しみは尽きません。
文/石黒隆之
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4