―[すこしドラマになってくれ~いつだってアウェイな東京の歩き方]―

ただ東京で生まれたというだけで何かを期待されるか、どこかを軽蔑されてきた気がする――そんな小説家カツセマサヒコが“アウェイな東京”に馴染むべくさまざまな店を訪ねては狼狽える冒険エッセイ。今回訪れたのは、証券会社などが乱立する金融の街・茅場町。
一流サラリーマンたちが集うこの街で見つけたのは、昭和漂う立ち飲み居酒屋だった。
そこでの願いは今日も「すこしドラマになってくれ」だ。

男は面倒くさくなる【茅場町駅・ニューカヤバ(立ち飲み居酒屋)】vol.14

楽しそうに笑う男たちの頬が赤く染まっているのは、照れているからでも、酔っているからでもなく、目の前の焼き台の炭火に照らされているからであった。

中央区茅場町。東京証券取引所や証券会社の多くが集まっていることから「金融経済の中心地」と呼ばれるこの街に、今も現役にして昭和の懐かしさを醸す立ち飲み屋「ニューカヤバ」がある。

店で楽しそうに酒を飲む3人は職場の同僚らしいけれど、手を叩いて笑い合う様子には、仕事付き合い以上の親密さがうかがわれた。

そのやりとりを盗み聞きしているうち、自分のグラスが空いていたので、壁に並んでいる古いビールサーバーのような機械へ向かう。グラスを置き、お金を入れると、トリスハイボールやキンミヤが、一定量注がれる仕組みだ。

飲み物も食べ物も、ほとんどセルフ。それがこの店の常識らしい。

カウンターの向こうで、女性店員が2人、とても忙しそうにしている。てき、ぱき、という言葉がよく似合う2人である。
決して媚びず、強く、逞しく。そうやって生きてきた気概を感じる。

つまみの他に、串焼きも食べられる。だが、これも客が自分で焼く。注文し、砂肝や鶏皮を刺した串を受け取った私は、店の奥の焼き台に戻る。

例の3人が先ほどよりも盛り上がっている。辺りを見回すと、どのテーブルも埋まっていて、行き場をなくし、何もないところで一人立って飲んでいる人もいる。

そこまでして、酒を飲みたいと思う気持ちを、少しだけ羨ましく思う。

私は酒に弱いから、「酔いが醒めてきたので飲み直しましょう」とか「酔い足りないから一人でもう一軒行きました」という発想ができない。

酔いが醒めてきたら体の調子は戻るし、本も読めるし、良いことじゃないか。などと考えてしまうのは、そもそも弱いだけでなく、楽しみ方も知らないのだと思う。

焼き台を囲う3人組を羨ましく見ていたら、カウンターにいたはずの女性店員が、彼らのすぐ後ろにやって来た。


「あなたたち、酔いすぎ。そろそろ解散ね」

鋭利。

まっすぐすぎる言葉に、私は戸惑い、背すじが伸び、でも男たちは、それは仕方ないですね、といった様子で、朗らかな笑みで会計に向かった。

郷に入れば、というやつだ。

3人組がいなくなり、視界が少し開ける。皆、楽しそうに飲んでいるが、見事に女性客はいない。この店は「女人禁制」だからだ。1グループに1名しか、女性が入れない。

なんでまた、こんな時代に、と、先ほどの店員に尋ねてみた。もう何度も聞かれてきたのだろう。店員は、喋り慣れた様子で答えた。

「女の人がいると、男って面倒くさくなるでしょう? それに、立ち飲みはよく移動するから、そのときに、触ったとか触らないようにとか、気を配るのも大変だし。
気を使わずに飲めるほうがいいから」

女性がいると、男は面倒くさくなる。容易に想像がついて、なんだか少し情けなくなる。「そんなことないですよ」と言えない自分も悲しい。

ふと、壁に貼られたモノクロの大判写真が目に入る。

白髪の女性が、まさに私がいる焼き台に立ち、炭を見ている。先代の女将だろうか。その女性の横に、白いペンで、何か書かれている。

「長居無用だよ! 典子」

3人客を追い出した瞬間を思い出す。あれも、先代女将の教えだったのかもしれない。

脈々と受け継がれてきた伝統があり、それをきちんと守る店も、従うお客たちもいる。

酒の楽しみ方がわかっている人たちは軽やかで愉快だ。

金融経済の中心地・茅場町で見つけた昭和漂う「女人禁制」の立ち...の画像はこちら >>
<文/カツセマサヒコ 挿絵/小指>

―[すこしドラマになってくれ~いつだってアウェイな東京の歩き方]―

【カツセマサヒコ】
1986年、東京都生まれ。
小説家。『明け方の若者たち』(幻冬舎)でデビュー。そのほか著書に『夜行秘密』(双葉社)、『ブルーマリッジ』(新潮社)、『わたしたちは、海』(光文社)などがある。好きなチェーン店は「味の民芸」「てんや」「珈琲館」
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