ただ東京で生まれたというだけで何かを期待されるか、どこかを軽蔑されてきた気がする――。そんな小説家カツセマサヒコが“アウェイな東京”に馴染むべくさまざまな店を訪ねては狼狽える冒険エッセイ。
久しぶりに訪れたこの場所での願いは今日も「すこしドラマになってくれ」。
たまたま生まれた【永福町駅・つり堀 武蔵野園】vol.15
杉並区に流れる善福寺川の脇には公園がいくつも連なっており、遊具や広場や池なんかが延々と続くものだから、幼少期の自分にとっては終わりのない楽園みたいな場所だった。小学校高学年にもなると、買ったばかりの自転車で川に沿って遠くまで探検に出かけては、雑木林の中で新車の鍵を紛失し、家に帰れなくなったりしたものだった。善福寺川沿いにある和田堀公園の釣り堀「武蔵野園」もまた、小さな頃に父に連れていってもらった、思い出の場所の一つである。
夏、日曜の朝9時の開店に合わせて入園し、そこから3時間、父と兄と3人で、ただただ水面に浮かぶウキを見て過ごした。多いときにはひとり10匹以上の鯉やフナを釣ったもので、目いっぱい満たされたあとに食べる父や母の手料理が好きだった。
そんな思い出の地にテレビ番組『孤独のグルメ』がやってきたのは、もう何年も前のことだ。私の知る「近所の釣り堀屋さん」は、いつの間にか都内でも有名な釣り堀店として扱われるようになっていて、食堂フロアが少しだけ綺麗になったり、釣り堀の真ん中にUSJを意識したような巨大なサメのオブジェが設置されたりして、若干の経済の潤いを感じさせるから戸惑ったものだった。
実家を離れて15年近くたつ。ふいに、「武蔵野園」を思い出し、足を運んだ。
店内は鉄パイプで組まれた壁や天井に透明なシートがかけられており、食堂というより大型のビニールハウスみたいだった。透明なシートの向こうでは、ビールケースに座る釣り人たちの姿が散見される。はたから見ると退屈そうだが、釣り堀とは本来、退屈を味わう場所かもしれない。
オムライスと焼売、枝豆に、ノンアルコールビールを頼んだ。すでに10人ほどの団体客がいて、お酒が進んでいるようだ。壁にはたくさんの芸能人のサインがあり、元横綱である若乃花と貴乃花の手形のついた色紙も飾られている。そういえばお二人ともこの近所に住んでいて、そのマンションは「若貴マンション」と呼ばれていたが、のちに木村拓哉さんが引っ越してきたから「キムタクマンション」と呼ばれるようになったことを思い出した。
『孤独のグルメ』と、キムタク。より強い名前によってその場所の認知度や通り名が変わるものを見ると、なんだか少し複雑な気持ちになるのは何故だろうか。
などとわずかに感傷に浸っていると、すぐに料理が出てくる。トマトケチャップの赤と、オムライスの黄色。
食事後、1時間だけ釣りにも挑み、最後に鯉を1匹だけ釣った。昔に比べて、ずいぶん腕が落ちたように思う。もしくは魚たちが賢くなったか。
満足して外に出る。店先に忍者のビジュアルをしたポップコーン販売機がある。子供の頃に買ってもらったことがあったが、今は故障し、「じゃじゃ丸ポップコーンだよ」と楽しげに喋るだけの機械と化していた。昭和から雨風に打たれ続けているのに、まだそこにあるだけ立派だ。
そのすぐ横にLUUPのポートが設置されている。思い出の地に突然令和が入り込むものだから、やっぱりどこか複雑な気持ちになる。
<文/カツセマサヒコ 挿絵/小指>
―[すこしドラマになってくれ~いつだってアウェイな東京の歩き方]―
【カツセマサヒコ】
1986年、東京都生まれ。小説家。『明け方の若者たち』(幻冬舎)でデビュー。そのほか著書に『夜行秘密』(双葉社)、『ブルーマリッジ』(新潮社)、『わたしたちは、海』(光文社)などがある。好きなチェーン店は「味の民芸」「てんや」「珈琲館」