生まれたときから手足を自由に動かせない「先天性多発性関節拘縮症」という障がいを持つ、六鹿香さん(25歳)。それでも彼女は、口にタッチペンをくわえ、少しずつできることを増やしていった。

「手足が動かなくても、自分の世界は自分で決められる」25歳女...の画像はこちら >>
今では『口と足で描く芸術家協会』にアーティストとして所属し、21歳で念願の一人暮らしを叶えた。不自由を乗り越えて得た“自由”。そこに至るまでの、決して平坦ではない道のりを語ってもらった。

両親の方針は「できることは自分で」

「手足が動かなくても、自分の世界は自分で決められる」25歳女性アーティストが口でタッチペンをくわえて描く“自由への道”
六鹿香
——六鹿さんが生まれたときのことを教えてください。

六鹿香さん(以下・同):生まれたときから手足の関節がほとんど動かなくて、自由がきくのは、両手の人差し指と親指が少しだけ。「先天性多発性関節拘縮症」という病気と診断されて、物心ついた頃には、もう車椅子を押してもらっていました。

——ご家族はどのように接してきたのでしょうか。

2歳上の姉がいるんですけど、うちでは本当に普通の姉妹と同じで。ゲームしたり、口げんかしたり。障がいのことを意識することはあまりなかったですね。

親の方針はずっと「できることは自分で」でした。手足が動かない分、何をするにも時間がかかるけど、できる範囲は自分でやってみる。いつまでも一緒にいられるわけじゃないから、自立できるように、という思いだったと思います。


——それで小学校も支援学校ではなく、普通の学校に通っていたんですね。

家からの送迎やトイレは介助してもらっていたけど、授業はひとりで受けていました。

教科書を開くのも、ページをめくるのも、全部口を使って。紙はふやけちゃうから、教科書は一枚ずつファイルに入れたり、机の高さを肩より上にしたり、工夫していました。

先生や周りの子に助けてもらうこともあったけど、やれることは自分でやる。小学5年生からは電動車椅子を使えるようになって、できるだけ自分の力で過ごすようにしていました。

——ヘルパーさんなどは使わなかったのですか。

あの頃は、ヘルパーさんは使いたくないと思っていたんです。友達と対等な関係を築いて、その中でお願いして、やってもらうべきだ、と。あとは、ヘルパーさんに友達との会話を聞かれるのが嫌だったし、決まった時間にしか来てくれないから、自由を縛られるのも嫌だったんです。

「口にタッチペンをくわえて」絵に出合えた中学時代

「手足が動かなくても、自分の世界は自分で決められる」25歳女性アーティストが口でタッチペンをくわえて描く“自由への道”
六鹿香
——学校生活の中で、つらかった時期はありましたか。

高学年になると、女子はグループができるじゃないですか。私も仲良くしてくれる友達はいたけど、微妙な空気になったり、失礼なことを言われたりすることもありました。


ひどいいじめではなかったけど、「自分は特別なんだ」と意識させられる瞬間があって……。それでも朝になると両親が学校に送っちゃうから、休むっていう選択肢はなかったですね(笑)。

——中学校からは支援学校に通われたそうですね。

そこではiPadを支給してもらえたんです。タッチペンを口でくわえて操作できるようになって、一気に世界が広がりました。

当時ハマっていたのが『黒子のバスケ』。そのファンアートを描きたくて。口でタッチペンをくわえて一生懸命描いていました。最初はラクガキ程度だったけど、SNSにアップして、感想をもらえたときの嬉しさが大きかったんです。

高校で支援学校に進級してからも、ずっと絵を描き続けていました。

——高校を卒業してからは、どんな進路を選んだのでしょうか。

2017年の18歳から、地元の「放課後デイサービス」で働きはじめました。
障がいの子が通う、学童のようなところですね。

そこを選んだ理由は、声をかけていただいたのと、外に出る理由にもなると思ったから。学校を卒業して、外に出るのが億劫になって、家に引きこもっちゃうのが怖かったんです。

デイサービスでは、パソコン作業を担当していました。口で棒をくわえてキーボードを押したり、右手の指先を少し動かしてマウスを動かしたり。

でも、コロナで状況が変わったんですよね。

在宅勤務で“将来の不安”と向き合うことに

「手足が動かなくても、自分の世界は自分で決められる」25歳女性アーティストが口でタッチペンをくわえて描く“自由への道”
六鹿香さんの作品「ねがいごと」(口と足で描く芸術家協会提供)
——コロナ禍で恐れていた「在宅勤務」に……。

それまで「家にいるだけじゃダメになる」と思っていたんですけど、いざやってみたら「意外と在宅でもいけるな」って(笑)。自分のペースで仕事ができるし、ちょうど人付き合いに疲れていたんです。

それまでは、ヘルパーさんを使わずに、友達や職場の人と対等に接することにこだわっていました。でも、やっぱり気を使うし、どこか行くにも、何をするにも「お願い」しなきゃいけない。

むしろ、ヘルパーさんを使う方が楽なんじゃないの? そもそも、一人でいる方が自由なんじゃないの? と、思うようになってきました。あとは、ずっと実家で暮らしていたので、将来のことを考えたときに、不安もありました。


——ご両親が高齢になったときですね。

親が面倒を見れなくなると、私たちみたいな障がいを持っている人間は、グループホームに移ることが多いんです。そこでは食事の時間とか就寝の時間とかが色々決まっていて、縛られてしまう。

ちょうどそのタイミングで、展示会で知り合った方から『口と足で描く芸術家協会』に所属して絵を描いてみないか、というお話をいただいたんです。私の描いた絵が、何度かコンテストで入賞していたのを見てくれていたみたいで。でも、今は自分の部屋もないし、絵を描く環境も整えにくい。

そこで、一人暮らしを本気で考えるようになりました。

21歳で叶えた「一人暮らし」という“自由”

「手足が動かなくても、自分の世界は自分で決められる」25歳女性アーティストが口でタッチペンをくわえて描く“自由への道”
六鹿香さんの作品「シロクマかき氷」(口と足で描く芸術家協会提供)
——ご両親の反対はありませんでしたか?

もう21歳だったし(笑)、親からは「お金のことが大丈夫なら、反対はしないよ」と言ってもらえたので、自分で『SUUMO』を使って探しました。

どうしても譲れなかったのが、「ヘルパーさんとある程度距離がとれる空間があること」。だから、ワンルームとか1Kは全部除外して、キッチンと居室がドアで区切られている1DKに絞って探しました。あとは、車が運転できないから、交通の便がいいところ。エレベーターがあることも絶対条件でした。

——実際に暮らし始めてみて、どうでしたか?

思っていたより、ずっと快適でした。
一人だと食材の賞味期限を把握するのがちょっと大変なくらいで(笑)、むしろ自分の好きなように生活できるのが最高です。楽天とかネットで家具や雑貨を見て、「この収納かわいいな」「クッションどうしようかな」とか、いろいろ選ぶ時間も楽しくて。

もちろん自分だけじゃできないこともあるので、ヘルパーさんには料理やお風呂の介助をお願いしています。

——ヘルパーさんを頼んでみたのですね。

ヘルパーさんの中には年の近い方や、趣味があう方もいて、友達感覚で遊んでいる方もいます。今や一緒にイベントに行ったり、ライブに行ったりする仲です。

初めは「趣味は友達とじゃないと自由に楽しめない」と思い込んでいたけど、ヘルパーさんだと、何か頼むことに罪悪感もないし、むしろ楽しいって気づきました。

手足が動かなくても「なんとかなる」で生きていく

「手足が動かなくても、自分の世界は自分で決められる」25歳女性アーティストが口でタッチペンをくわえて描く“自由への道”
六鹿香さんの作品「お花見」(口と足で描く芸術家協会提供)
——絵を描く環境は整いましたか?

実家だと道具を広げるスペースも限られていて、両親という他者の存在もあって、集中しづらかったんです。でも今は、自分専用の机があって、画材も好きなものを揃えられる。細かい描写もごまかさずに描けるようになって、絵のクオリティも上がったと思います。

今は協会の他に、プライベートのSNSでも絵を投稿してます。そのアカウントでは、障がいがあることを発信していないので、障がいに関係ない活動もできています。


「手足が動かなくても、自分の世界は自分で決められる」25歳女性アーティストが口でタッチペンをくわえて描く“自由への道”
六鹿香さんの作品「クリームソーダ」(口と足で描く芸術家協会提供)
——これからの目標を教えてください。

好きなことが仕事にできて、 ずっと目標だった「親から自立する」ということが叶ったから、現状維持かな(笑)。Instagram(@m.kaori_illust)のフォロワーさんが増えたらいいな、とは思います。

私は基本「なんとかなる」で生きてきたんです。そもそも生まれたときから障がいがあったから、深く考えてもしょうがないことが多かった。

だって、始めてみなきゃ分からないことばかりですよね。一人暮らしを始める前も、ヘルパーさんを頼む前も、どれくらい自由がきくか想像できなかったけど、なんとかなっています。

手足が動かなくても、自分の世界は自分で決められる。だからこれからも「なんとかなる」で生きていきます。

——教科書にファイルを挟んで口でページをめくり、できることを少しずつ自分の力でやってきた六鹿さん。その延長線上に、一人暮らしや絵の仕事が待っていた。自分だけの部屋は、彼女にとって「自由」の象徴。「なんとかなる」と信じて、これからも自分の世界で描き続けていくのだろう。

<取材・文/綾部まと>

【綾部まと】
ライター、作家。主に金融や恋愛について執筆。メガバンク法人営業・経済メディアで働いた経験から、金融女子の観点で記事を寄稿。趣味はサウナ。X(旧Twitter):@yel_ranunculus、note:@happymother
編集部おすすめ