ただ東京で生まれたというだけで何かを期待されるか、どこかを軽蔑されてきた気がする――。そんな小説家カツセマサヒコが“アウェイな東京”に馴染むべくさまざまな店を訪ねては狼狽える冒険エッセイ。
いまでも贔屓にしているお店での願いは今日も「すこしドラマになってくれ」。
余所者なりの我が物顔【下北沢駅・八月(カレー店)】vol.17
このまま死にたくない、と強く奥歯を噛み締めたのは、大学を卒業して働き始めた印刷会社のロッカールームで泣いた、その帰り道だった。毎日スーツを着て満員電車に揺られて、大企業ゆえに希望した覚えもない部署で働き、ミスを繰り返し、誰からも期待されない日々が続いて、心が確実に枯れかけていた。
自分の人生がこの会社のためにあるとはどうしても思えず、どこかで誰かが救ってくれないかと助けを求め続けて5年が過ぎた頃に、ようやく船が通りかかった。それが下北沢にある小さな編集プロダクションで、私に書き仕事をくれた会社であった。
その会社は、だらしがなかった。当時の下北沢そのものみたいだった。先輩社員は昼から事務所内で酒を飲んだり、スウェットで出社したから六本木には行けませんと得意先との打ち合わせを断ったりしていた。事務所を出ればバンドマンや芸人や舞台役者がだるそうに商店街を歩いていて、なんだか全てがまったりとしていた。緊張感がどこにもなかった。
それでも原稿を書くか、編集をしないと給料がもらえないので、ひたすら書いた。
週5日下北沢に通えば、どれだけ人見知りでも友人は増えてくるし、その友人は皆、行きつけの店を持っていた。いくつかの喫茶店や古着屋や飲み屋はそうして開拓されて、チェーン店にしか行けない私にも、下北沢にだけはいくつか贔屓にしている個人店ができた。
そのうちの一つに、カレーの店「八月」がある。
下北沢駅から歩いて5分強の、商店街に面した小さなカレー屋である。
コロナ禍のタイミングにできたこの店は、サニーデイ・サービスの曽我部恵一さんがオーナーを務めていて、初めてお邪魔させてもらったときからずっと贔屓にさせてもらっている。
券売機でチケットを買う。私は店員さんに直接注文すると緊張してしまうので、券売機があるだけで嬉しい。いつもの「八月カレー+あいがけキーマ」を押す。
「八月」はカウンター席が5~6席と、2人用のテーブル席が2つしかない。主に一人で食べにくる人が多いので、そこもポイントが高い。カレーは、他人の盛り上がりの横で食べるものではない。
極め付きに、「八月」のカレーは、そこまで辛くない。
辛いものがあまり得意ではない私からすると、カレー屋の開拓は非常に難しい。試しに頼んだメニューが口に合わないと、とても悲しい。
その点、「八月」は優しい。スパイスがいくつも使われていることはわかるのに、辛さは気にならない。このサラサラしたカレーが妙に恋しくなるときがある。だから通う。
絶望から救ってくれた街だから、下北沢には愛着がある。大きな再開発があり、街はすっかり景色を変え、綺麗になり、人も変わった。それでも足を運ぶ。街全体に詳しいわけではないので、道の端を歩く。道の端を歩いてはいるが、好きな店に入ればほんの少し、我が物顔をしたりもする。
「八月」の店員さんにも、顔は覚えられていない。そのくらいの距離感が、カレー屋にはちょうどいいのだと自分に言い聞かせる。
スーツを着ていたのは、もう10年以上前になる。あのとき「死にたい」じゃなく「このまま死にたくない」と願った自分を、このだらしのない街でカレーを食べるたび、なんとなく思い出して、懐かしく感じたりしている。
<文/カツセマサヒコ 挿絵/小指>
―[すこしドラマになってくれ~いつだってアウェイな東京の歩き方]―
【カツセマサヒコ】
1986年、東京都生まれ。小説家。『明け方の若者たち』(幻冬舎)でデビュー。そのほか著書に『夜行秘密』(双葉社)、『ブルーマリッジ』(新潮社)、『わたしたちは、海』(光文社)などがある。好きなチェーン店は「味の民芸」「てんや」「珈琲館」