『孤独のグルメ』原作者で、弁当大好きな久住昌之が「人生最後に食べたい弁当」を追い求めるグルメエッセイ。今回『孤独のファイナル弁当』として取り上げるのはスーパーで目に留まった『かんぴょう巻(6巻)』。
孤独のファイナル弁当 vol.07 「かんぴょう巻(6巻)」
スーパーで弁当コーナーを見ていて、これに目が留まった。「かんぴょう巻(6巻)」158円。これがボクの人生最後の弁当だったら。ちょっと笑った。小さい。かなり地味。ファイナル弁当がこれ。ドラムロールがザーッと鳴って、シンバルのジャーン、カーテンが上がったら、スポットの当たったワゴンの上にこれ。
いや、いいじゃないか。俺らしいかもしれない。というか、この弁当を嘲笑する男にはなりたくない。
よし、と思ってむんずとこれを掴んで、カゴにも入れずレジに向かった。家に帰って、テーブルの上に置いた。確かに小さい。一食には足りない。はなやかさゼロ。
開いたら醤油がついている。生姜はない。しみじみ見る。実にしみじみした佇まいだ。
でもやっぱり寿司だ。
握り寿司一人前の中でも、マグロや赤貝やウニといった花形スターの輝きに隠れ、イカタコ玉子の脇、一番下方隅の目立たないところに固まって黙っている。カッパ巻に席を譲ってそっと退去していることも多い。
そんなかんぴょう巻だが、ボクは近年かんぴょう巻を見直している。というか、みくびっていた自分を反省している。かんぴょう巻はおいしい。
それは俺がジジイになったせいだろうか。ヤングな俺はどこかかんぴょう巻を小馬鹿にしていた。かんぴょう巻を目つめることがなかった。
六十前にして、ふとひとつ味わって、(うまいかもしれない)と思ったのだ。目が覚めた。ああ俺は今まで……。
甘塩っぱく煮たかんぴょうのシャリの中での噛みごたえ、海苔と混じっていく香り。かんぴょうは野菜だが干されたことによって独特のしなやかなコシを手に入れた。
伊達に寿司の長い歴史の荒波を生き残った巻物ではない。活魚主体の寿司にはかんぴょう巻というほっとする存在が必要だったのだ。雑草選手。いぶし銀の業師。握り寿司界の門番。沈黙の用心棒。
そう思いながら、気がつけば三個食べていた。切り口が美しい。コメ一粒一粒がスパッと切れている包丁技。煮汁がシャリにじわりと染みているあたりも和の風情がある。粋だ。よくご先祖様は握り寿司にこの男を加えた。俺はかんぴょう巻になりたい。
あ、お茶を入れるのを忘れてたと気づいた時はもうあと一個。慌ててインスタント味噌汁を作って、最後の一個を食した。俺は死ぬ前にこれが最後の弁当でよかった、と心から思える。その自信が、今日ついた。
―[連載『孤独のファイナル弁当』]―
【久住昌之】
1958年、東京都出身。
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