プロ入りは2010年で、所属するのは麻雀プロ団体の最大手である日本プロ麻雀連盟。麻雀では攻めっ気たっぷりな戦い方でファンを魅了する一方で、ほんわかとした性格で男女問わず高い支持を集める。
そんな高宮は幼少期はどんな子で、どんな学生生活を送り、どのようにして麻雀と出会ったのか。半生に迫った。
人間にはあまり興味がなかった
――高宮さんはどんな幼少期を過ごしていたんですか?高宮まり(以下、高宮):幼少期や学生時代は親から「勉強さえ出来ればいい」と言われていました。でも私自身はちょっと夢見がちというか、自分の世界に入りこむ子でした。本をよく読んでいて、好きなジャンルはファンタジー。茨城で育ったんですけど、自然も大好きでした。話をしながら意識が別のところに飛んでしまう子でしたね。
ガリ勉ルートの教育を受けていたんですけど、ちょっとマイペースな子だったかな……ちょっと周りから浮いていたかな……(笑)。
――そんなガリ勉ルートの生活が窮屈だと思ったことは?
高宮:学校に通っている中で、「何で毎日同じところに行かなきゃいけないんだろう」と思ったことはありましたね。全体的に窮屈に感じていました。
――もっと広い世界が見たかった? それともわかりあえる人に出会いたかった?
高宮:人間にはあまり興味がなかったですね。
麻雀に憧れたきっかけは…
――何歳まで茨城県で過ごされていたのでしょう。高宮:住んでいたのは18歳までです。千葉県の高校に通っていました。
――18歳まで麻雀と接したことは?
高宮:マンガの中で見たことがある程度でした。くらたま先生(倉田真由美)や西原(理恵子)先生のマンガをよく読んでいたんですけど、お2人共、麻雀がお好きなんです。私もやってみたいと思いました。
雀荘でバイトができれば一石二鳥と思った
高宮:そうですね。
――それからすぐに麻雀を打ち始めた?
高宮:打たなかったです。周りにも麻雀をする人がいなかったし、憧れてはいたけれど、きっかけがなくて。
――では、そこからどのようにして麻雀を?
高宮:ネット麻雀です。
ネット麻雀で勉強したあと、「雀荘でバイトができれば麻雀も打てるし、お金ももらえるし一石二鳥」と考え、そのままの勢いで雀荘で働かせてもらおうと電話を掛けました。
――自分の好奇心に正直に動いたんですね。
高宮:興味あることは、きっかけさえあれば何でもやってみる感じで。調べてみたら当時「ギャル雀」なんてものがあったりして、女性が多く働いている麻雀店さんがあったんです。そういうところだったらすぐに採用してもらえるんじゃないかなって(笑)。思惑通り採用してもらって、そこから雀荘で働きはじめました。
水着姿を披露することに抵抗はなかった
――高宮さんはほんわかとした雰囲気で人気ですが、以前から性格は変わらず?高宮:わざわざ自分から攻撃することはないというか、「なんなんだあの人!」と怒ることもないです。
――今まで生きてきて、人に怒りをぶつけたことはない?
高宮:ないですね。何回も同じことを言われて頭にきたことはありますけど(笑)。
――現在はプロ雀士とグラビアアイドルの二刀流で活躍されていますが、グラビア活動するようになったきっかけは?
高宮:所属する日本プロ麻雀連盟で女流プロカレンダーを作る時に、水着担当として選んでいただいて、反響があり、そこから活動がスタートしました。
――同じ業界の人も高宮さんの美しさに注目したんですね。
高宮:そこはどうでしょう(笑)。ただ“8月のページは水着で飾る”ということになり、先輩の宮内こずえさんが「ここは、まりでいこう」と思ってくれたみたいです。
――グラビア活動をする上で、水着姿を披露することに抵抗はなかったですか?
高宮:逆になかったですね。
一時は就職しようと思っていたが…
高宮:ガリ勉ルートを過ごしていたので、自分の外観というのを、意識してこなかったんです。そんな中で、お世話になっている麻雀団体から「こんなお仕事ありますけどどうですか?」と言ってもらって、「自分でできることであればやらせていただきます」と思いました。同時に「私でいいんですか?」という気持ちもありましたけど。
――麻雀と出会ったことで高宮さんの世界が広がっていますね。
高宮:そうですね。特にプロになってからは麻雀業界にどっぷりという感じでした。本当は就職しようと思っていたんです。
自分自身の心もマイルドになった
――そもそもどんな将来像を描いていたんですか?高宮:とにかく知らない世界を知りたいという欲があったので、研究職とかを考えていました。まさかこんなにたくさんの人とお会いする仕事に就くとは思っていなかったです。
――まさに今は活動を通じて、たくさんの人と関わっていますよね。それこそ麻雀では人と対戦し、Mリーグではチームメイトやスタッフがいて、しかもたくさんの人に応援してもらっているという。
高宮:お仕事をする中で、応援してくださる方も増えて、本当にありがたいと思うようになりました。その気持ちは昔と違うかな。プロになった時はトゲトゲしていたんです。そんな中で「人に応援してもらえるって奇跡みたいなものだな」と考えるようになり、少し自分自身の心もマイルドになったのかな(笑)。思えば遠くに来たもんだという感じです(笑)。こんな人生を歩むとは思っていなかったですね。
<取材・文/中山洋平>
【中山洋平】
1983年生まれ。
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