―[すこしドラマになってくれ~いつだってアウェイな東京の歩き方]―

ただ東京で生まれたというだけで何かを期待されるか、どこかを軽蔑されてきた気がする――。そんな小説家カツセマサヒコが“アウェイな東京”に馴染むべくさまざまな店を訪ねては狼狽える冒険エッセイ。
今回訪れたのは、連載のテーマからは外れるかもしれないチェーン店。味の民芸はカツセマサヒコが幼少の頃から愛した場所だという。
思い出とともに訪れた店での願いは今日も「すこしドラマになってくれ」


特別編:最高のチェーン店【光が丘駅・味の民芸(ファミレス)】vol.18

 魂がチェーン店を欲していた。知らない街の、知らない店に行くという当連載の反動が来たのか、チェーン店ならではの画一的な魅力が恋しくてたまらなくなっていた。

「味の民芸に、行かせてください」

 担当編集に頭を下げた。

「味の民芸(以下、民芸)」とは、私が幼少の頃から深く愛してきた和食チェーンの名称である。その手延べうどんは細く延ばされた麺の先端がきしめんのように幅広い形状になっていて、啜ると一本だけでも口の中で食感が変化していく魅力的な特徴がある。

 幼少の頃、実家の近所と、祖父の墓がある墓地の近くに「民芸」があった。親に連れられて初めてそのうどんを口にしたとき、こんなにも好みの味があるものかと魅了され、それからというもの、自宅を引っ越すたび、最寄りの「民芸」を調べるようになった。

 30年以上通い続けたが、その味に飽きたことはない。うどんがメインに違いないが、手羽先や寿司、串かつ、天ぷら、サラダなど、実はサイドメニューも強打者が揃う。つまみメニューも豊富なので、食事だけで済まさず、だらだらとお酒を飲んで最後にうどんで締めて帰るのもありだ。


 どうですか、一回だけでも、ダメですか。私は担当編集に、懇願し続けた。

「じゃあ、せめて知らない街の店舗にしてください」

 革命の成功である。連載趣旨に反していることは理解したうえで、私は「味の民芸 練馬高松店」に向かった。

 大江戸線の光が丘駅から徒歩14分。同店は駅から少し離れた幹線道路沿いにある。これがいかにも「民芸」らしい。多くの「民芸」は車での来店を見越していて、駅から遠い代わりに、広めの駐車場を設けている。同店もその流儀に沿っていて、安心する。

 意気揚々と、店に入る。我ながら、これまでの個人店では見せたことのない威風堂々っぷりである。平日15時だったが、20人近くのご年配の方々が団体客として気持ちよさそうに顔を赤くしている。


 私はこんなに宴会場じみた「民芸」を見たことがなかった。少々動揺し、4人掛けのテーブル席に案内された際に店員さんに尋ねてみる。たまたま団体客の予約が入ったのだと、店員さんは話した。

「普段はもっと静かなんです」

 苦笑気味にマニュアル外の一言をいただき、微笑む。私は「民芸」で起こる全ての出来事を受け入れる。

 メニューを開く。今年の夏は、うなぎ、牛たん、黒毛和牛のフェアを同時に開催している。明らかに欲張りすぎていて好ましい。

 いつもなら「鍋焼きうどん」を選ぶが、この日はとにかく日差しが強かったので、夏の定番「冷やし肉すきうどん」に、フェアメニューである「牛たんのにぎり寿司2貫セット」をつけた。

 酔っ払った高齢者たちをぼんやり見ていると、すぐ料理が運ばれてくる。このスピード感も魅力的である。

 まずはうどんをかきこむ。
体に馴染んだ味に、細胞が喜ぶ音がする。牛たん寿司も負けていない。肉の厚さに感動し、幸福が満ち溢れてくる。それだけ幸せそうにしていても誰も自分を見ていない。この距離感が、チェーン店の最大の魅力である。

 完食するたび思い出すことがある。「まだ少しうどんが残ってるよ」という両親の声である。大きな器から麺をすくうのは、子供には思いのほか難しい。ボーナスステージのように取り皿にちょっぴりとのせてもらった短い麺が、当時はとても嬉しかった。

 今では残さず食べ切るようになった。それでも変わらず、「民芸」は「民芸」のままでいてくれていて、私は瞬間、子供に戻っている。

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<文/カツセマサヒコ 挿絵/小指>

―[すこしドラマになってくれ~いつだってアウェイな東京の歩き方]―

【カツセマサヒコ】
1986年、東京都生まれ。
小説家。『明け方の若者たち』(幻冬舎)でデビュー。そのほか著書に『夜行秘密』(双葉社)、『ブルーマリッジ』(新潮社)、『わたしたちは、海』(光文社)などがある。好きなチェーン店は「味の民芸」「てんや」「珈琲館」
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