YouTubeチャンネル登録者数190万人を突破した「バキ童チャンネル」。
唯一無二の企画とキャラクターを活かした動画が支持される一方で、中心メンバーのお笑いコンビ、春とヒコーキが出会った青山学院大学・落語研究会についてのエピソード動画も強い人気を集めている。
そんな「青学落研の話」を、チャンネル出演者であり、青学落研出身者であり、春とヒコーキの学生時代からの友人でもある芸人・町田が綴っていく連載。
第20回は町田の後輩である一東斎巧善(いっとうさいこうぜん)について。
夕方の部室棟に現れる謎の男
青学落研を語るうえで避けては通れない存在、一東斎巧善。巧善との出会いは土岡と私の2年時であった。新入生勧誘も一通り終わり、新体制として動き出した青学落研。その日は、私たちは新入部員たちと部室で親睦を深めていた。
たわいもない話で談笑していると、後輩の一人がある話題を切り出した。
「この部室棟に夕方頃、不気味なやつが現れるの知ってますか…?」
「そいつ、部室を一部屋一部屋すごいスピードでノックして回っていって、それなのに誰とも話さずに去って行くんですよ…」
そんな都市伝説みたいなやつが…?それはちょっと不気味だねえ…などと後輩たちと話をしていると、
コンッ…コンッ…
小さなノックの音が聞こえてきた。私はすぐに部室のドアを開けてみるも、扉の前には誰もいない。
不思議に思い廊下に出てみると、何メートルか先に部室のドアを高速でノックして回る男の姿を見つけた。
「あいつだっ!!」
私はひとまずこの男を部室に招き入れた。
「君は新入希望なのかい…?」
彼がコクリと頷いたので、私は言った。
「君、落研に入ったらいいじゃん」
こうして巧善は青学落研に入部した。
青学落研の先輩として我々は彼の高座名をつけることとなった。
様々な案を出すも彼はことごとく却下。それでも我々は根気よく考え続けた。そして、彼の顔がブルース・リーにとてもよく似ていたので、「死亡遊戯」という案が出た。この名前にはなぜか部員一同が「いい高座名だな」と、ぐっと来るものを感じていた。
「死亡遊戯はどう?」「死亡遊戯カッコよくていいじゃない」「死亡遊戯にしよう」と決まりかけたものの、彼は
「いやです!!」
と強く言い放った。そんなに嫌なら仕方ないかあ、いい名前なんだけどなあとその場はひとまずお開きとなった。
後日現れた巧善が言い放った言葉
後日、また部室に現れた彼は、「死亡遊戯なんて縁起の悪い名前を僕につけようとするから、親父が倒れて病院にいます!!このままじゃ大学も辞めなきゃいけません!!」
そう言い残し我々の前からいなくなった。
かと思いきや一週間後には普通に落研に来て、
「僕はこれから一東斎巧善(いっとうさいこうぜん)という名前で活動します」
そう私たちに宣言した。
先輩が後輩の高座名を考えるのが青学落研の慣例であるため、なんでそんな仰々しい名前勝手に考えてくるんだよ、と思わないこともなかったのだが、そこまで言うのならと我々は了承した。
しかし、気がかりなのが巧善のお父さんの病状である。
「お父さんが倒れて病院にいるって言ってたけど大丈夫なの?」
「ああ~それですか。僕の親父は病院にいるとは言いましたけどねぇ、僕の親父は医者なんですよ。
と、私たちにいっぱい食わせたみたいな感じで言い放ってきた。
「倒れた」の部分はなかったことになったんだなと私たちは思ったが口には出さなかった。私たちと一東斎巧善との落研の日々がはじまった。
常に新鮮な刺激を与えてくれた巧善
巧善と過ごす日々はとても刺激的で、彼は常に私たちに新鮮な刺激を与えてくれた。落語がウケなかった時は帯紐で自らの首を締め「死んでやる」と叫んだり、大きい落語会のメンバーに入れなかったことで落ち込む巧善をなだめてくれた4年生の先輩に「全ての努力は無に帰す!」と裏拳を入れたり、デジモンのアルマジモンのフィギュアを胸ポケットに入れて落研に現れ「かわいいねぇ」と言いながらアルマジモンを撫でるなどなど、様々なトリッキーさで私たち落研部員を魅了した。
このエキゾチックさ、ダークヒーロー性、一東斎巧善こそまさしく我々の時代の青学落研を象徴する存在であった。
そんな巧善が私が卒業する時の寄せ書きにこう書き記してくれた。
「僕が廊下で入部を迷っている時に、町田さんに声をかけてもらえなかったと思うと本当にゾッとします。今の自分がいるのは町田さんのおかげです」
手のかかる後輩ほど可愛いものだ。
―[振り返れば青学落研]―
【町田】
ぐんぴぃの友人。芸人としての活動もしている。