民放無料放送が築いたWBC人気の歴史
大金を払ったメディアが、大会を独占するのは仕方ないことかもしれない。しかし、WBCは民放の無料放送によって人気を獲得してきた。もっと言えば日本野球それ自体は、放送メディアと一蓮托生の長い歴史によって、現在の人気と実力を培ったコンテンツだ。それをいきなり独占されるのは、苦労して築いたものを持っていかれるような感じがしてしまう。
放映権料は、前大会の30億円から5倍となる150億円に引き上げられたと報じられている。オリンピックが夏季冬季2大会合わせて440億円というから、単独競技の国際大会としては莫大な金額だ。
WBCの人気は日本だけであり、足元を見られて高い放映権料を設定されたことは、民衆によって長い時間をかけて作り上げられた文化の搾取のようにも思える。
WBC自体は新興のコンテンツであるが、それに出場する、優秀な日本人選手たちは、日本の社会が長い時間育み続けた「野球愛」によって誕生したといえるだろう。もちろん大谷翔平も然りだ。
有料独占配信がスポーツ文化を衰退させる?
イギリスには「ユニバーサルアクセス権」に基づき、国民の関心が高いスポーツは無料放送しなければならない法律があると言う。ユニバーサルアクセス権とは、誰もが自由に情報にアクセスできる権利のことを指す。人気スポーツの独占放送を否定する根拠を既に認めている国もある。人気と歴史が既に備わっているスポーツを有料配信で独占してしまうことは、タコが生きるために自分の足を食べているようにも思える。つまり、短期的には利益が出ても、長期的には自らの資産を食いつぶしてしまう行為といえるだろう。
また、現在のサッカー日本代表は歴代最強のメンバーだと個人的に思うが、国民の注目は昔ほどではないように感じる。それはワールドカップ予選の有料放送が影響しているのではないだろうか。
世間を巻き込む努力をせずに、ファンだけを相手にしていたら、スポーツは必ずしぼんでいってしまう。ビジネスの論理だけを優先してしまえば、貴重な文化の源泉を枯れさせてまうかもしれない。
お年寄りにとって有料放送は「おっかない」
月額900円余りのNetflixなのだから「入会すれば良い」という意見も多く見られ、それはもっともな意見だと思う。インターネット放送ならば「見逃し配信」を見ることも容易になるだろう。とかく野球は、試合時間が長く、「間」の多いスポーツだから、余分な部分を早送りしながら見ることもできる。既に入会している人は、NetflixでWBCが配信されることを歓迎していることだろう。
しかし、お年寄りにとっては、NetflixでWBCを観戦することのハードルはとても高い。
私の義母は70歳後半であるが、今やすっかり大谷翔平に夢中だ。しかし彼女が、Netflixユーザーになれぬだろうことは容易に想像できる。歳をとってしまうと、有料メディアはとても「おっかない」ようだ。
有料放送による“一体感喪失”のリスク
また、不便に思える電波放送だからこそ、より多くの人が同時に試合を見ることになるのではないか。
スポーツ放送は、テレビが誕生して以来、民衆に一体感をもたらしてきた。その一体感が、社会を前進させる大きな原動力になってきた。しかし、見たいスポーツをカネを払って見ることは、これからの時代において、どんどん常識化されていくことだろう。
共通のヒーローを失った社会に、私たちはどんな未来を見いだせるのだろうか。
それにしても、シェア拡大のために、新興メディアが民衆の不満を承知で独り占めしたコンテンツが、オールドメディアの象徴である「日本野球」というのも、今の世の中の世知辛さをよく表しているように感じる。
文/椎名基樹
【椎名基樹】
1968年生まれ。構成作家。『電気グルーヴのオールナイトニッポン』をはじめ『ピエール瀧のしょんないTV』などを担当。週刊SPA!にて読者投稿コーナー『バカはサイレンで泣く』、KAMINOGEにて『自己投影観戦記~できれば強くなりたかった~』を連載中。ツイッター @mo_shiina