『24時間テレビ』上田晋也の司会に批判
『24時間テレビ』での上田晋也の司会ぶりに批判が集まっています。氷川きよしの歌の後に「今のリハだから」と茶々を入れたり、バドミントンラリーのギネス記録に挑戦した企画で失敗した宮川大輔に「日本列島が引いております」とツッコんだりしたことが、“他人を傷つける笑いはいらない”とか“チャリティが目的の番組のカラーに合っていない”と、視聴者から反感を買ってしまったのです。
ネット上も否定的な意見がほとんどで、“上田が番組の雰囲気をぶち壊しにした”というのが総意です。
確かに笑いのセンスが古いとか失礼過ぎると不快に感じた人もいたでしょう。筆者もバラエティ番組での上田に多少食傷気味ではあります。
だけど、あまりにも上田が叩かれ過ぎじゃないでしょうか? むしろ筆者は、上田の悪ノリこそ『24時間テレビ』を救ったと考えます。
なぜなら、上田が土足で踏み込んだことで、『24時間テレビ』という大掛かりな偽善に客観性が生まれたからです。
「偽善」「感動の押し売り」厳しさを増す、番組を取り巻く環境
近年『24時間テレビ』に関しては、スタッフによる募金の着服事件や、チャリティと銘打ちながら出演タレントにギャラが支払われていることなどが問題視されています。また今年も酷暑の中で行われたマラソンについての是非など、番組を取り巻く環境は厳しさを増している。
その中で、まるで批判の声などないかのように、全ての出演者が感動と美談に酔いしれる構図にこそ、視聴者は違和感を覚えていたはずです。
そう考えると、上田の「今のリハだから」とか「日本列島が引いております」という話術には、ある種の気遣いがあったと感じます。番組が感動の押し売りだけで終わらないようにするために、あえて悪役を買って出たということです。
そもそも、バドミントンラリーのギネス記録に挑戦などという素っ頓狂な出し物を、大の大人が大真面目に熱中していることそのものがおかしいと思いませんか? 三山ひろしのけん玉とどこが違うのか。
にもかかわらず、『24時間テレビ』は、それが努力と誠実さの美しい結晶として、真剣に褒め称えなければならない場になっている。
マラソンに歌のエールを送ることも含め、これらは『24時間テレビ』特有の欺瞞が鮮明に現れた瞬間だと言えます。
“こそばゆい偽善”を中和するために、露悪に徹する話術
そんな中で、上田までもが他の出演者といっしょに真面目に残念がったり、優しくエールを送ったりしていたら、おそらく視聴者の方が企画のバカバカしさに冷めてしまっていたのではないでしょうか。改めて上田の宮川大輔に対する「日本列島が引いております」というツッコミを見ると、記録が達成できなかったことは残念だという思い自体は共有していることがわかります。上田はバドミントンラリー企画のコンセプトに、ちゃんと乗っかっているのです。
乗っかったうえで、こそばゆい偽善を中和するために露悪に徹している。見ての通り、上田の意地の悪いツッコミによって、多くの視聴者の正義感が刺激され、宮川大輔らに対する同情が生まれました。制作者、出演者と視聴者による、インタラクティブな偽善の誕生です。
つまり、上田晋也こそが『24時間テレビ』の偽善を発生させる重要な溶媒であり、同時にそれを守る最後の砦だったと言えるのです。
今回の一件で、上田の総合司会からの降板を望む声が上がっているといいます。代わりに望まれるのは、優しくて共感してくれる好感度の高いタレントなのでしょう。
けれども、それで『24時間テレビ』の“愛”は救われるのでしょうか? すいかに塩をかけるのと同様、甘さを引き立たせるには、逆のベクトルの味わいが必要なもの。
上田晋也のひそかな抵抗が、かろうじて『24時間テレビ』を守ったのです。
文/石黒隆之
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。