妹を殺害された過去を持つ、いわゆる犯罪被害者の遺族でありながら、元受刑者の更生支援を続けている人物がいる。
カンサイ建装工業株式会社の代表取締役を務める草刈健太郎さんだ。


7歳下の妹・福子さんを失ったのは2005年12月1日のこと。アメリカで映画の脚本家を目指していた福子さんを、アメリカ人の夫が殺害したのだ。

“妹を殺害された”被害者遺族が「元受刑者の更生支援」を続ける...の画像はこちら >>

薬を服用を理由に、加害者は無罪を主張

「妹が亡くなったと連絡を受け、すぐにアメリカに向かい、凄惨な事件現場も目にしました。犯人への憎しみが込み上げる一方、加害者は躁鬱病の薬を服用していたことを理由に無罪を主張。私たち家族の怒りを倍増させました。事件がアメリカで起こったということもあり、裁判に至るまでの流れも、量刑の決まり方も日本とは違います。審議にわざわざ行ってるのに、『加害者側の体調が悪いから閉廷です』と言われ、審議が進まない時間も長くて。結局、それは無罪を勝ち取るための相手の作戦だったんです」

審理の状況を外野が見て、有罪か無罪かを判断するアメリカの陪審員制度。アジア人が殺された場合では、アメリカ人側に有利な判決になることが大半らしい。

かかった費用は7000万円…それでもあきらめなかった

当時の草刈さんは、会社の代表になってまだ2年目で、15億円の借金を抱えていた。アメリカまで頻繁に行き来するのは金銭的にも、精神的にもかなりの負担だった。

「通訳をつけるだけでも2時間で10万円はかかりますし、合計でかかった費用は7000万円ぐらい。背中を押したのは、普段寡黙な姉の『正義はカネで買われへん』という一言。そして、『戦ってください。
会社のことは心配しないでください』と激励してくれた会社の従業員たちがいなければ、どこかで心が折れていたかもしれません。

あとは、アメリカの日本領事からも『戦ってください』と後押しされましたし、私がアメリカに行けない時に、ボランティアで審議に行ってくれたのは、元ロス市警の日本人の方でした」

まさに日本人の名誉を守るための戦いだったとも言えるだろう。草刈さんにとって、加害者が無罪になってしまうことは、「福子さんが二度殺される」ようなものだった。

「有罪判決を勝ち取り、裁判官から『アメリカ国民を代表してお詫び申し上げます』と言われた時は、自分の中で区切りはつきました。ですが、結局犯人からは一度も謝罪はないままでした。さらに裁判が終わった後に、加害者の母が私の母に近づいてきて、一言こう告げたんです『bitch!』と……」

当初は「なんで加害者支援なんか…」と思った

加害者家族の口から発せられたと思えない、罵倒の言葉。当然許せない気持ちになったそうだが、草刈さんの胸には、とある想いが芽生えていた。

「あとになって、加害者家族も大変なんだろうなと……。どちらの立場も作ってはいけないんだなと思ったんです」

草刈さんの想いに呼応するかのように、運命の輪が回り始めたのが、東日本大地震のボランティアだった。活動の中で知り合った、お好み焼きチェーン「千房」の創業者・中井政嗣さんから、“職親プロジェクト”という更生支援に誘われたのだ。

「ただ、『なんで被害者遺族の自分が加害者支援なんかせなあかんねん』と、断ろうと思っていました。でも実は中井さんは、私が被害者家族だと知らずに声をかけてくれていたんです。不思議な流れに必然性を感じて、気づいたら引き受けていました」

何度も裏切られたすえ、気づいたことが

職親プロジェクトは、出所後に住む場所や仕事を提供する仕組みである。「仕事を与えたら勝手に更生するかなと思っていました」と考えていた草刈さんだったが、現実は甘くなかった。


「何度も裏切られました。たとえば更生して10年目に性加害を行ってしまった子がいて。彼の身請け引受人になった時、被害者に対して申し訳ない気持ちがあふれました。受刑者の多くは、親からDVを受けていたり、教育が与えられていなかったりと、社会的被害者の側面を持っています。彼らとの関係性を深めるほど、自分はどれだけ恵まれていたかに気づいたんです。

一時期、妹を殺した犯人を「本気で殺せないか?」と思ったこともありました。でも、自分には守るものがあるから思い留まって。この人を裏切ってはいけない、悲しませてはいけないなど、そうした気持ちが再犯の抑止力になる。プライドは人が持たせてくれるものだと思っていたのですが、仕事を与えるだけでは無理やなと」

少年犯罪を犯す子どもたちは、ブレーキの掛け方がわからないだけと、草刈さんはいう。

「ある日支援した子から、『今から殴り込みにいくねん』と電話がかかってきたんです。その子は親がいなかったので、『守るもん俺にしてくれやって言ったよな。今から傷害事件起こされたら、俺悲しいやんと』と話すと、『だから電話しました。
やめます』と、踏みとどまってくれた。『電話してきてくれて、ありがとう』と伝えましたが、少しでもブレーキの部分を担えたのかなと嬉しかったですね」

職業体験を通じて、Win-Winの結びつきを形成

更生支援をするうえで草刈さんが感じたことがある。それは、刑務所内で過ごす時間が、出所後の社会を生きるために必要なものになりにくいという現実だった。

「ネジを作らしたり、溶接工をさせたり、神輿をつくらせたりしていますが、社会に直結できる能力をつけさせるべきと思いました。私の会社は建築業で26業種の職業体験ができます。そこで、受刑者たちに各業種の職人さんと触れ合ってもらい、まるで現場で働いているかのような場を設けたんです。これなら雇用側も『この子なら大丈夫』と感じ取れますし、受刑者側にも『これやったら、俺もできる』と、思わせることができます。

社会で活かす能力を得ていないのに、出所後にいきなりハローワークに行くのはハードルが高すぎます。刑務所にいる時から適性を見極めて、働く場所を見つけてあげればいいだけの話ではないでしょうか。それにより、労働力不足も解消されますしね」

生きていくための力を社会が与えないといけない

夢を持っている受刑者も多いが、“叶え方”がわからないケースも珍しくない。

「犯罪を犯す子たちは、生理的欲求が満たされないような環境に身を置いていることが大半です。だから自暴自棄になってしまう。安心して生きていくための力は本来、親や家族、友達などから与えられるもの。ですが、与える人がいないなら、社会が与えないといけない。
受刑者は、足し算すら満足にできないケースも少なくはありません。ゆえに、知識と知恵という刀と盾を持たせることが大事。自分の世界を変えることができたら人に優しくなれるし、悪い人とも関わりを持たなくなりますから」

「一回だけ大人を信用してくれへんか」と伝える

草刈さんの想いが結実した更生支援が、公文式と二人三脚で取り組んできた教育プログラムだ。

「4~5年前に少年院で授業をやってほしいと依頼がありまして。その場で私が受刑者に伝えているのは、『一回だけ大人を信用してくれへんか』ということ。自分も決して出来のいい子どもではなかったけど、今は社長をやっているわけです。実際に社会で成功できた背中を見せながら、国語はコミュニケーション能力、数学は考えを整理する力が磨かれると教えます。いわば、希望を見出すためのカリキュラムですね」

この教育プログラムは国家プロジェクトに採用され、今後全国各地の刑務所で実施されていくそうだ。

「何かをやれと命令しても意味はなくて、『心の基礎を作るには心でしかない』と思っています。くわえて、自分が幸せだと感じて生きられるようにすること。そしてトラブルが起こった時、それを乗り越える力や技を教えればいいだけなんです。加害者を社会的被害者として捉えて、守って育てる企業が増えれば、社会全体の利益に繋がります。
人を育てるのは、もちろん企業にとっても自己成長の機会になるでしょう。辛いこともたくさんありましたが、更生支援をしている今は充実しています」

=====

生まれた時に加害者である人間はいない。関わる人や触れてきたもので、その人は構成されている。失う痛みを知った草刈さんだからこそ、できる更生支援の形があるのだろう。一人でも多くの人生が好転することを祈ってやまない。

<取材・文/SALLiA>

【SALLiA】
歌手・音楽家・仏像オタクニスト・ライター。「イデア」でUSEN1位を獲得。初著『生きるのが苦しいなら』(キラジェンヌ株式)は紀伊國屋総合ランキング3位を獲得。日刊ゲンダイ、日刊SPA!などで執筆も行い、自身もタレントとして幅広く活動している
編集部おすすめ