「海外旅行」というと欧米の国々を連想する人が多いかと思う。他方、近年は「海外移住」というと東南アジアが注目されている。
長期滞在ビザの取りやすさのほか、生活費の安さがその理由になる。最近は東南アジアも物価高騰で生活費は安くないのが実態ではあるが、円安の中ではもともと物価の高い欧米諸国よりはまだ安いほうだ。
 東南アジアが移住しやすいのは物価のほかにもいろいろと「緩い」ところが多いからというのもあるだろう。特に多少懐が豊かであれば、金銭で解決できることが多い。しかし、ここのところ東南アジアの緩かった国もだいぶ厳しくなってきているのも事実だ。たとえば日本人から人気の渡航先のひとつであるタイもそうだ。

交通違反のもみ消しも難しくなってきている

タイの“賄賂”事情が変化したワケ。カネでもみ消しも「今は交通...の画像はこちら >>
 2010年くらいまでのタイはとにかく富裕層には自由な国だった。ある警察幹部は「昔は賄賂でなんでももみ消せたが、今は交通違反がせいぜい」というほど、金でどうにかなる世の中ではなくなった。2010年ごろはちょうどタイでもスマートフォンが普及し、誰もがいいたいことをネットにアップできる時代に入ったタイミングだ。

 それ以前は、まずパソコンを保有する個人が少なく、ネット利用は多くがゲーマーであって、それもネットカフェでするものだった。それがスマホ普及で老人までSNSや動画を見るようになった。

 タイは生活と政治が日本以上に密接で、タイ人はわりと政治的意見を投稿することも多い。警察など公務員の行動も注視する人が増え、賄賂の現場などを押さえる人も出てきた。
これにより警察も不正がバレることを恐れ、結果、スマホ普及以前よりだいぶクリーンになった。

 批判を覚悟でいえば、筆者は多少の賄賂はアリというスタンスだ。

 タイ生活で身近なのが交通違反などの罰金で、賄賂があったほうがいいと思うことが多々ある。というのは、交通違反の罰金支払いのプロセスが面倒だからだ。

 ケースによっては振り込みも可能だが、一般的な交通違反で警官に止められた場合、その場で免許証を出し違反切符と交換する。その後、その警官所属の警察署に出向いて罰金を払うと免許証が返ってくる、というシステムになっている。

 免許が戻るまでの最速は切符を切った警官が署に戻るタイミングだが、それが10分後か3時間後かわからない。自宅近所ならともかく、他県などの出張先だと待たなければならない。それならその場で切符を切らせず、罰金として賄賂を払ったほうが早い。

 これも今は、“証拠”が映ってしまうドライブレコーダー搭載車が多いので、ほとんどのケースで受け取ってもらえなくなっている。

実は賄賂は自分のものではなく…

タイの“賄賂”事情が変化したワケ。カネでもみ消しも「今は交通違反がせいぜい」
飲食店のうち、バーなどは法令の時間外の営業は本来できない
 飲食店も、特にアルコール販売をする店の一部は警察に賄賂というか、みかじめ料を払っている。というのは、タイは深夜0時までしかアルコール販売ができない。バーなどがそれを超えて営業する場合、警察に店の規模と営業時間に応じて払う。
チェーン店で早朝まで営業する店だと、中にはグループ全体で1000万円くらい年間で払っているともいわれる。逆にいえばそれだけ儲かるので、営業許可を買っているともいえる。

 そんなタイの警察官曰くは「賄賂は私腹を肥やすためのものではない」という。

 タイ公務員法で定められる給料は民間の3割は低いという話もあり、警察学校を卒業した幹部候補でも初任給が1.5万バーツ(約7万円)前後とされる。タイは平均世帯収入が月2.9万バーツ(約13.5万円)とされる中、地元警察に採用された交通課の警官はさらに低くて、日本円で月3万円もない。そのため、下っ端はだいたい副業をしている。

 そんな収入なので、賄賂は少ない収入の補填だと一般タイ人からも思われている。しかし、警察官が説明するには「賄賂は上官に渡す」のだそう。タイの警察官僚はいろいろな権力を握っていて、その怖さは警察官自身が一番わかっている。だから上官に逆らうことは許されない。

 実際にはほんの少しはかすめ取っているかもしれないにしても、ほとんどは上官に渡り、上官はさらにその上、それもまたその上へと流れていく。こうすることで、幹部は出世して、より副収入がある場所に配置してもらえる。
そうすればさらに上納金が増え、さらに出世できるのだ。まるで日本の反社組織の構造のようである。

タイの“賄賂”事情が変化したワケ。カネでもみ消しも「今は交通違反がせいぜい」
もちろん、ほとんどの警官はしっかり仕事をしている。また、命がけの部署は給料が長官と同等くらいもらえるらしい
 ただ、世間の目があることで賄賂が多く得られなくなったこともあるし、そもそも賄賂が警察組織内であまり大きな意味を持たなくなってきたことも、警察が賄賂を要求しなくなった理由のひとつともいわれる。

 というのは、政情が不安定で頻繁に首相が交代となるタイの昨今。首相が替わると警察トップも息がかかった人物が入るので、反対の派閥にいた場合、それまでの上納金が意味をなさなくなるからだ。

空港で中国人から賄賂を取っていたことがバレた

タイの“賄賂”事情が変化したワケ。カネでもみ消しも「今は交通違反がせいぜい」
20年くらい前のバンコクのイミグレ。この頃はそんなに人も多くなく、手続きに時間もかからなかった
 観光と移住を問わず外国人が公務員と関わるとなると、多くは日本でいう入国管理、タイではイミグレーション警察になる。タイのイミグレもまた賄賂を取らないことをスローガンに、クリーンな業務を前面に押し出している。

 これは2018年ごろの事件がきっかけだ。パンデミック以前は中国人観光客の訪タイが日本人のそれの10倍超である年間1000万人超になっていた。そのため、空港は大混雑状態で、入国審査官が中国人入国者から300バーツ(約1400円)を徴収し、優先的に入国審査を受けさせるという便宜を図っていた。これがタイと中国のマスコミにバレてしまい、当時のイミグレ警察長官が賄賂を一切禁止したのだ。

 ほかにもビザの延長などの手続きもイミグレ係官の業務のひとつにある。タイは観光ビザであっても今は日本よりも発給のハードルが高い印象だ。
長期滞在の外国人はタイのビザでみんな苦労している。

 このビザでも基本的には賄賂は受け取らないということが原則だ。しかし、職員らも考えたもので、禁止されているのは申請者からの賄賂なのだから、代行業者から審査の優先権として手数料を取れば、それは賄賂ではないという解釈を編み出している。これもまたよくないかというと、筆者個人はそうは思えない。

タイの“賄賂”事情が変化したワケ。カネでもみ消しも「今は交通違反がせいぜい」
バンコクのイミグレは毎日人が多く、優先権を買えるなら買いたい人も多い
 まず、バンコク都以外のイミグレーション事務所の大半はそもそも利用者があまりいないので、個人で行こうが代行を頼もうがほとんど変わらない。一方、長期滞在外国人の大半がバンコクで暮らすこともあって、バンコク管轄の事務所には連日数百人はビザ手続きに訪れる。

 こうなると、開場の朝8時ごろに来て番号札をもらっても、終わるのは19時くらい。それであれば業者に高くとも手数料を払って優先的に手続きしたほうが、圧倒的にコストパフォーマンスが高いのは明らかだ。

 いずれにしても、これもまた警察の賄賂同様に個々で懐に入れてはおらず、上納なのか、みんなで分けていると見られる(これは裏が取れなかったのであくまで筆者推測)。というよりも、他県のイミグレと比較して業務量が膨大すぎるので、バンコクのイミグレ職員もそれくらいもらわないとやってられないという気持ちも理解できる。

会社経営でも賄賂が必要な場面も


 ベトナムの首都ハノイで日系企業の支社長をする友人に聞くと、ベトナムの役所はもっとわかりやすいらしい。なんでもかんでも賄賂がないと役所の書類が出ないのだとか。そのため、最初から領収書の出ない使途不明金枠を大きく持っていないと、年度末に辻褄が合わなくなってくるという。


 タイはだいぶクリーンになっているので、そこまでではない。あくまでも「それほど」でないだけで、実際に税務署などでも書類を作るのに“袖の下”を要求されることもあるようだ。

 知人の会社はバンコクのある地区で登記されているので、その管轄税務署に行くわけだが、「申請していた書類がなかなか発行されなくて、経理担当ではなく社長の自分自身が足を運んだら、結局はお金の要求でした」という。

 ただ、いつものことではなく、何年も経営してきて突然だったので、知人はびっくり。SNSを恐れあからさまでないほうがいいという時代になっていることはわかっているので、現金ではなく、たとえば日本でいう金券のようななにか換金できるものを渡すべきなのか、と知人は気を遣った。結局考えてもわからないので、もう一度足を運び、ストレートに尋ねると「うん、現金で」といわれたという。

 職員も悪びれる様子もなかったので、知人はどういうことなのかと訊くと、税務署のノルマ的なものだということで、職員は知人に向かって「なんで○○区で会社設立しなかった?」といわれた。

 その区は昔から日本の大手企業などが登記する地域で、つまりはその税務署は税収が多く、いちいちこういった小さい賄賂の要求はない、ということらしい。

タイの賄賂は制度化すればきっとみんな利用する

タイの“賄賂”事情が変化したワケ。カネでもみ消しも「今は交通違反がせいぜい」
パタヤなど外国人が多いイミグレ事務所も諸々の処理に時間がかかる
 東南アジアの多くの国、特にタイは「緩いからこそ好きだ」という人は少なくない。もちろん国として、また国民の利益として法令とモラルがしっかりとし、誰にも平等である国になっていくべきであることはわかる。でも、いい加減だったタイがやっぱりよかったとも思うのだ。

 賄賂も、殺人など悪質な事件のもみ消しは被害者の不利益になるので絶対によくない。
また、賄賂を払うまで正当な請求に対応してくれないのもいけない。しかし、本記事の事例のほとんどのように優先のためであれば、あってもいいのではないか。

 もしそれらが制度化されて、ちゃんと正式に料金体系が組まれたらどうだろう。結局、観光地などにある「外国人料金」と同じで、正式に請求されたら「なんだかなあ」とは思いつつ利用すると思う。

<取材・文・撮影/髙田胤臣>

【髙田胤臣】
髙田胤臣(たかだたねおみ)。タイ在住ライター。初訪タイ98年、移住2002年9月~。著書に彩図社「裏の歩き方」シリーズ、晶文社「亜細亜熱帯怪談」「タイ飯、沼」、光文社新書「だからタイはおもしろい」などのほか、電子書籍をAmazon kindleより自己出版。YouTube「バンコク・シーンsince1998│髙田胤臣」でも動画を公開中
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