一方で、夫婦で10歳以上離れた「年の差婚」を選択する者もいる。なぜ、その選択に至ったのか。一緒にいることで、周囲からどう見られるのか。
今回は、妻と13歳差の向田浩一朗さん(51歳)に話を聞いた。
きっかけは新規営業先の「結婚相談所」

46歳の頃、土曜出勤をしていたときのことです。私は「ネタもと」という会社で執行役員を務めています。たまたま出社していた代表から声をかけられて、「土曜に仕事してる執行役員を見て、誰が上に行きたいと思う? プライベートを充実させろ。結婚しろ」と。
そこで、ちょうどうちの社員が取引先として新規営業をかけていた結婚相談所に登録することにしたんです。
——それまで結婚は考えていなかったのですか?
ずっと仕事人間でした。前職では「絶対に結婚できない。仕事で生きていけ」と言われていましたから。
でも社員から「ここ営業かけたいんで」と言われたことと、「すぐに見つかりますよ」と言ってもらえたことで、登録に踏み切りました。
——相談所で出した、相手の条件は?
子どもが欲しかったので「30代の女性」とお願いしました。登録から3か月で今の妻と会うことになり、彼女は3人目の相手でした。妻は特に条件を出していなかったようで、当時33歳。結婚はしたいけれど、子育て支援のNPO法人で働いていて、そこでは出会いがなく、登録したと聞きました。
最初に写真を見たときは「髪型が……この人と結婚することはないだろうな」と正直思いました(笑)。でも「せっかくなので会ってみよう」と思ったんです。
写真は微妙だけど、会ってみたら
——実際に会ってみて、第一印象はいかがでしたか。写真とは全然違ってめちゃくちゃ可愛くて、テンションが爆上がりしました。相談所の規定で「最初はカフェで1時間だけ」の予定が、話が盛り上がって1時間半も一緒に過ごしました。
僕は一生懸命しゃべり続けてしまったんですが、妻は「一生懸命しゃべってくれる人」という印象を持ってくれたみたいです。「格闘家の朝倉未来さんみたいだと思った」と言ってくれましたが、さすがに盛りすぎ(笑)。
1回目のデート後に、すぐ交際を申し込み、承諾してもらいました。
——年齢の差があると、デートプランを考えるのも大変そうです。
実はデートコースは社員から「このお店がよかったですよ」と教えてもらっていました。社員から「あの店、どうでした?」と聞かれてフィードバックをして、また教えてもらって……完全に上司と部下の立場が逆転していましたね(笑)。
毎週のように会っていて、出会って5か月後、翌年1月に妻の妊娠が発覚したんです。
報告時の義母は「すごい怖い顔をしていた」

妻のご両親に報告をしにお寿司を食べにいったとき、お義母さんは最初からすごく怖い顔をしていました。開口一番「将来のビジョンは?」と聞かれて、仕事みたいだな、と(笑)。
そこで「僕もきょうだいが2人だったので、子どもは2人以上欲しいです。僕の方が先に死ぬので、お金や資産は残してあげたいです」と真剣に説明したら、最後はニコニコして「よろしくお願いします」と言ってくれました。
お義父さんは最初から終始ニコニコしていて、それに救われましたね。「娘は仕事人間で結婚しない」と思っていたようなので、嬉しかったのだと思います。
——すごいスピードですね。
年子で、第二子となる次男もすぐに生まれていますしね。前職の同僚からは「デキ婚だし、年子だし、一気に進みすぎ!生き急ぎすぎやろ!」と驚かれました。でも、もうひとつ、周りから驚かれたことがあったんです。
——それは?
結婚を機に婿養子に入り、名字を「向田」から「水野」に変えました。ビジネスでは旧姓を名乗っていますが、戸籍の上では違います。妻には次女と三女の姉妹がいて、すでに嫁いでいたので、義父母からすれば名字を残すにはちょうど良かったんです。
——向田さんのご両親からの反発はなかったのですか。
結婚する頃にはすでに亡くなっていました。子どもが好きな人たちだったので、孫の顔を見せられなかったのは残念です。僕の兄はすでに結婚していて、家を継いでいる。
保育園の懇親会で「5分間スピーチ」をしてしまう

交際していた頃、妻がNiziUのオーディション番組を夢中で見ていたんです。僕は最初「そんなの面白いのか?」と思っていたのですが、一緒に見ているうちにハマってしまって。それまではアウトドア派で、周りの人間にも韓流好きはあまりいなかったので、自分でも驚きました。今ではTWICEのファンにもなっています(笑)。
逆に妻も、スポーツ観戦に興味を持つようになりました。Bリーグの試合を観に行った時は「すごく楽しかった」と話していました。お互いの趣味の幅を広げ合えるのは、年の差夫婦ならではかもしれません。
——「昭和」と「平成」という世代の違いを感じることは?
婚約指輪を買うとき、僕は「ブランドものを、給料の何か月分」という昔ながらの考え方をしていたんですが、妻からは「ブランドじゃなくていいよ」と言われて。
そこで、K.UNO(ケイウノ)で二人でオリジナルの指輪を作ることにしました。金額は50万円ほど。本当はその4倍くらいのものを考えていたんですが……。
僕は車とか指輪とか、お金を出すときはどかんと大きく出したいタイプ。でも妻は節約家で堅実です。彼女はバブルがはじけた後に生まれているから「景気がいい時代を知らない」という違いは大きいのかなと思います。
——子育ての場面でも「年の差」を感じることはありますか。
僕はカミナリ親父やゲンコツで育ったので、3歳の長男と2歳の次男にも「ダメなものはダメだ」と、ビシッと叱ります。一方で、妻は子どもの心に寄り添ってフォローしてあげていますね。
あと、保育園の懇談会で、先生たちに感想や要望を伝えるために、話を振られた時のことです。つい、仕事モードに入ってしまい「先生方、いつもありがとうございます」という感謝から入り、要望や意見をまとめて5分ほどスピーチしてしまいました。
そうしたら、他の保護者から「すごいっすね!」「何の仕事してるんですか。え、執行役員!?」と驚かれました。周りは30代~40代前半が多いので、たしかに珍しいですよね。今では懇談会の締めを任されることも多いです(笑)。
状況を変えたいなら「一歩踏み出す勇気」を

ケンカにまではいかないのですが、妻から苦言を呈されるときはあります。たとえば家でスポーツ観戦をしているとき、僕はついテレビに向かって「うてよー!」「そこで交代かよ!」と大声で文句を言ってしまうんです。
でもそのたびに、子どもたちがびくっとしてしまって。「文句じゃなくて、応援してよ」と妻から注意されています。
——そのようなすれ違いは、どのように解消していますか?
妻の家に子どもを預けたとき、二人で喫茶店に行って話すようにしています。一緒に生活をしていると、どうしても小さなすれ違いが生まれます。でも、それが大きくなる前に話し合えば、大変なことにはならないんです。
まあ、妻は社会福祉士と保育士の資格を持っているし、子育てのプロなので、だいたい彼女の意見が優先されます(笑)。
——振り返ってみて、「年の差婚」をどう捉えていますか。
46歳まで仕事に打ち込んできて、結婚願望はあったものの正直諦めかけていました。恋愛結婚に憧れていて、結婚相談所に行くのはどこか恥ずかしい気持ちもありましたし……。
でも、一歩踏み出せば、状況は変わるんです。今までの状況を変えたいと思ったら、自分に対する変化を起こすしかない。代表や社員に背中を押してもらいましたが、「目的のために、使える手段は使えばいい」と、価値観を変えられたことが大きかったです。
今では、出会いの方法は関係ないと断言できます。大事なのは形式ではなくて、ネガティブに考えずに、一歩踏み出す勇気なんです。
——長く独身を貫いた男性が、46歳で決断した「勇気ある一歩」。その一歩は、日々のささやかな幸せへとつながっていた。年齢や常識に縛られない選択が、人生をより豊かにする。
<取材・文/綾部まと>
【綾部まと】
ライター、作家。主に金融や恋愛について執筆。メガバンク法人営業・経済メディアで働いた経験から、金融女子の観点で記事を寄稿。趣味はサウナ。X(旧Twitter):@yel_ranunculus、note:@happymother