そして9月16日に発売する自身の著書『ヒロシのネガティブ大全』(自由国民社刊)では、ネタ本ではあるが、自身がこれまでに経験した仕事、プライベートでのネガティブなエピソードが満載。そんなヒロシ氏に、ブレイク前の若手芸人時代に経験した「過酷すぎる仕事」について伺った。
過酷すぎるブレイク前の芸人仕事
自身の芸人としてのスタートは福岡の芸能事務所だったが、約3年在籍した後に退所して上京。その後、別の事務所に移籍したが、芸人としての仕事はまったくなし。そんな中、ようやく入った上京後初のテレビの仕事。待ち望んだ待望のオファーだったが、フタを開けてみると、芸能人生で最悪と言えるほど、とんでもないブラック仕事だった。
当時は『進め!電波少年』(日本テレビ系)などの大ヒットで、何も知らないままタレントを現場に連れて行くという手法のロケが流行った時代。事前にスタッフからは「高いところは苦手?」などの質問があったそうだ。
実はそのロケ、建設現場の足場などを組む会社にとび職の見習いとして送り込まれるロケだったのだ。
「言われた通りに指定された場所に行ったのに、遅刻したと怒られる。番組のコンセプトとしては『だらけた生活を直して売れっ子になる』みたいなことがしたかったようで……。仮に過酷だとしても、テレビに出られることが嬉しかったです。
ただ、そう思ったのも最初だけ。そこでの生活はひどかったんですよね。ガチでとび職をやらされるわけで、周りの連中はヤンキー上がり。ガラが悪いんですよ。ずっとカメラが密着していたらいいですけど、番組スタッフは2ヶ月の間で5回しか来なかったですね」
怖すぎて「逃げるという発想がなかった」
会社に独立した社員寮はなく、社長の自宅でほかの従業員たちと住み込み。また、その家は気性の悪そうな土佐犬を6匹も飼っていた。小屋の掃除や散歩、エサの準備はすべてヒロシさんの担当だった。ちなみに猫は好きで、現在も2匹の猫と暮らしているが、犬は昔から苦手。オーディションでもそう答えたが、そこはひと昔前のテレビの世界。
「そこにいる人たち全員が怖いんですよ。それに現場に行く前にやらなきゃいけないから、朝5時くらいに起きて始めるんですけど、冬だったから寒いし。それに日曜も休みにならず、とび職とは関係ない正月用の門松を作る仕事をさせられて……。今の俺だったら余裕で逃げますが、あのときは怖すぎて逃げるという発想がなかった。それをやったら何されるかわかんない、っていうぐらいの恐怖だったんですよ。実際、カメラが来てない時にマジでひどい目に遭ってるから」
それ以上は言葉を濁したが、ヒロシさんはキャラではなく本当に人見知り。そんな孤立した環境で2ヶ月も生活するのは、彼でなくても簡単なことではないだろう。
過酷なロケを乗り切るためのモチベーション

「無事にロケを終えて帰ったら、当時唯一のネタ見せ番組だったNHKの『爆笑オンエアバトル』のオーディションに参加させてもらえる——。そんな約束はありませんでしたが そういったことがあると勝手に自分に言い聞かせ、それを希望にしていました。これだけ頑張ってるんだから事務所もさすがにそれくらいのご褒美を与えてくれるだろうと思ったんです。でも帰った後も何もなかったんですよ」
軟禁同然の地獄のロケをなんとか終えたが、話はこれで終わらない。
「さすがに過酷な映像だったこともあって優勝しましたが、ペアの温泉旅行券を受け取ることはありませんでした。番組が出さなかったわけではなく、事務所のマネージャーが勝手に使ったからです。もうふざけんなよって話なんですけど」
ギャラはまさかの…
続けてヒロシ氏は「温泉旅行券をもらえなかったことよりもひどかったことは、ギャラが2万5千円しかなかったことですね」と話した。なお、単純計算で日給にしてみると、1日あたり約417円。住み込みで働いていたが、派遣先の会社とは雇用関係にはなかったため、そこからは1円の給料も貰っていなかった。
「ロケの間の収入が完全にない。そのうえ2万5千円って本当にどうしようもないです。もちろんここから源泉も引かれてますしね。家賃も払ってないし、携帯電話も止まってる。おまけに ウチに出入りしてた誰かが俺のレンタルビデオ店の会員証で勝手に借りて返却しなかったらしく、その請求が8万円。

【ヒロシ】
芸人。1972年、熊本県生まれ。04~05年、「ヒロシです……」で始まる自虐ネタで大ブレイク。その後、低迷期を経てYouTubeで配信したソロキャンプ動画を機に再起を果たす。現在は個人事務所ヒロシ・コーポレーションの代表のほか、自身のキャンプブランド『NO.164』のプロデュース、さらにロックバンド『スパイダーリリー』のベーシストなど多方面で活動。今回の『ヒロシのネガティブ大全』(自由国民社刊)のほか、多数の著書がある。
<取材・文/高島昌俊>
【高島昌俊】
フリーライター。鉄道や飛行機をはじめ、旅モノ全般に広く精通。3度の世界一周経験を持ち、これまで訪問した国は50か国以上。