「ヒロシです……」のネタで一躍スターダムの座に上り詰めたヒロシ氏。しかし、そこは流行り廃りのサイクルが早い芸能界。
残念ながら勢いは長く続かず、待ち受けていたのは長い冬の時代だった。
「ヒロシです…」大ブレイクから一転、芸能界で味わった屈辱…“...の画像はこちら >>
 周りからの扱いが露骨なまでに変わり、屈辱に耐えながら活動を続けていくことは決して簡単なことではない。業界関係者から心無い言葉を浴びせられたことも一度や二度ではなかった。前編のインタビューに続き、今回はブレイク後に味わった屈辱についての話を伺った。

飲み会でお酌をしないと生き残っていけない?

 ある地方局からネタ見せ番組の出演オファーを受けたときのこと。距離的に新幹線で行くような地方の仕事なのに「長距離バスで来い!」と言われたこともあったという。

「冗談半分だとしても普通言わないセリフですよね。それにほかの若手同様、泊まりなのにホテルは用意してくれなかったんです。まったく売れてない時だったら我慢しますがこの時は売れて、すごい持ち上げられた時期の後半だったので、とんでもない屈辱でした。この話はまだライトなほうですが、そういう待遇の変化が目に見えて感じましたね。それでも飲み会とかで偉い人にお酌する人は、この世界で残っていけるんです。ただ、僕はそんなの一切やらないから」

「ヒロシです…」大ブレイクから一転、芸能界で味わった屈辱…“ギャラ未払い被害”で裁判を起こした結末
若手時代の過酷なエピソードを語るヒロシ氏
 メディアでの露出が減ってからは、地方での営業を積極的にこなす日々。「頑張ってネタさえやっとけば、俺は大丈夫」と信じ、営業先ではステージに立てば笑いを取っていた。


「めちゃくちゃバカにされましたよ。例えば笑いの量を客観的に測って、それで僕が1番少なかったらバカにされてもいいけど、実際ウケていたし……。ネタもまともにやってない人たちが新幹線のグリーン車を使ってることも納得いかず、もうイライラしてるわけですよ。でも、現実として僕には仕事がない。だから仕方なく言うことを聞いていましたが」

 2015年には上京後に在籍していた東京の芸能事務所を退所し、独立して個人事務所『ヒロシ・コーポレーション』で活動することに。これが大きな転機となっていく。

テレビに頼る必要がない時代に

 今では芸能人のYouTube出演や自身のチャンネルを持つことは珍しくないが、同年に 『ヒロシちゃんねる』を開設。そこで趣味のソロキャンプ動画を配信したところ、思わぬ反響を呼び、これをきっかけに再起を果たすことになる。

「たまたま結果的にキャンプがすごくヒットして、ある程度仕事を選べるようになりました。嫌なことはいっぱい経験しましたけど、大きい流れという点では運がいいと思うんです。『ヒロシです……』で売れた時だってそう。僕はもともとネタしかやってなかったので。

でも、テレビに頼る必要がなくなったといのはありますね。
誰かが損するってことは誰かが得してるわけで、自分はずっと損してきた側。ダシにして得した人がいっぱいいるわけです。お互いウィンウィンだったらいいけど、こっちはあまりにも立場が弱すぎましたね」

 ヒロシ氏自身、落ち目と言われた時にいろいろと葛藤があったとか。テレビの仕事についても「出続けたほうがいいのか……」と悩んだ時期もあったそうだが、しがみつくようなことはしなかった。

ピンチはピンチでしかない

「ヒロシです…」大ブレイクから一転、芸能界で味わった屈辱…“ギャラ未払い被害”で裁判を起こした結末
ヒロシ氏は若手時代を回顧しながら「『ピンチはチャンス』という人がいるけど全然そんなことない。ピンチはピンチでしかないから」と話した
 最初のブレイク、その後の低迷期を経ての復活もそれまでは苦労の連続。ただし、当時の逆境をチャンスと捉えることはできなかった。今回の著書『ヒロシのネガティブ大全』の中でも「ピンチはピンチでしかないって」と述べている。

「全然チャンスだと思えないですよね。ピンチの時に仕事は全然振ってもらえないし、事務所にいてもバカにされる。たまたまネットにYouTubeがあって、頑張ったからよかったけど、これがもうちょい前のテレビの時代だったら、まあ潰されていますよね。『絶対にやれる!と思うことは大事』とか言うけど、俺は金持ちが作ったまやかしの言葉にしか思えない。そういう言葉が多すぎるよね。だから、逃げることができるなら逃げた方がいいですよ。
僕だって逃げなかったら今の自分はないから」

いざという時、自分を守ってくれるのはボイスレコーダー

 仕事をめぐっては、事務所時代も独立後も約束を反故にされたことは何度も経験。かつては立場が弱く、その旅に泣き寝入りしていたが今は違う。そうした体験を踏まえ、著書の中では読書に向けて「やられたら労基と人事に訴える」という言葉を贈っている。

「自分に限らず『言ってたことと違うじゃないか』っていうトラブルは本当に多いんです。だから、ボイスレコーダーはかなり重要。証拠がなかったら太刀打ちできないじゃないですか。いざという時にちゃんと対処できるように、日頃から録音するように心がけてます。現に僕のスマホには、過去に揉めた時の話とかも入ってますから」

ギャラ未払い被害も…

「ヒロシです…」大ブレイクから一転、芸能界で味わった屈辱…“ギャラ未払い被害”で裁判を起こした結末
9月16日(火)新刊『ヒロシのネガティブ大全』が発売された
 また、お笑い芸人の場合、全国各地で行われる営業の仕事は大きなウエイトを占め、多い人だと年間100本以上をこなす。だが、なかには支払いをめぐるトラブルも多く、実際にヒロシさんもギャラ未払いの被害に遭ったことがある。

「そういうことが何度もあって裁判もやりました。けど、結構な弁護士費用をかけて裁判に勝って口座を差し押さえたのに、全然お金が入ってなかった。立派な会社だと思っていたら全然違うこともあったから、今は割と信用できる方としかお仕事をしないようにしていますね」

自分らしく生きていくことの大切さ

 9月16日発売の著書『ヒロシのネガティブ大全』は、新ネタの数々をはじめ、仕事やプライベー トにまつわるさまざまなエピソード、そこから得た教訓なども収められている。ネガティブゆえに綺麗事ではない本音が綴られており、一般の方でも共感しやすい。

 一応、ネタ本という扱いにはなっているが、ヒロシさんは「『どんな本ですか?』と聞かれても上手く説明できない」と話す。


 芸能界の栄枯盛衰を身をもって経験しながらも、自らのスタイルを崩さず、時代の変化に応じて新たな道を切り開いてきたヒロシ氏。華やかな成功の裏側には、屈辱や挫折、そして誰にも言えない苦悩があった。しかし、そのすべてを受け止めてきたからこそ、いま再び自分らしい生き方を貫くことができているのかもしれない。

【ヒロシ】
芸人。1972年、熊本県生まれ。04~05年、「ヒロシです……」で始まる自虐ネタで大ブレイク。その後、低迷期を経てYouTubeで配信したソロキャンプ動画を機に再起を果たす。現在は個人事務所ヒロシ・コーポレーションの代表のほか、自身のキャンプブランド『NO.164』のプロデュース、さらにロックバンド『スパイダーリリー』のベーシストなど多方面で活動。今回の『ヒロシのネガティブ大全』(自由国民社刊)のほか、多数の著書がある。

取材・文/高島昌俊
撮影/根本麻由美

【高島昌俊】
フリーライター。鉄道や飛行機をはじめ、旅モノ全般に広く精通。3度の世界一周経験を持ち、これまで訪問した国は50か国以上。
現在は東京と北海道で二拠点生活を送る。
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