諸事情によりアカウント名は伏せるが、自身の現状について自虐交じりで発信する日々を送る久保田氏。彼のような中年男性は、世間では“子ども部屋おじさん”などと呼ばれ、なかばエンタメとして消費されていきがち。生きづらさに焦点を当て、当事者として思うところを掘り下げていきたい。
内気で“いじられキャラ”だった小学校時代
――久保田さんは小学校時代から大学時代までをラグビーに捧げたスポーツマンですよね。一方、高校時代に一度退学をして、通信制高校へ通うなど、思い悩んだ形跡もみられます。久保田辰夫(以下久保田):そうですね。ただ、小学校時代から非常に内気で、いわゆる“いじられキャラ”でした。今でもそうなのですが、人の輪の中に入っていくのがとても苦手なんです。小学校に入学したばかりのころ、太りやすい体質だったこともあって、すぐにいじめられました。それを両親に打ち明けると「こいつ、スポーツでもさせないとまずいんじゃないか」って話になったんです。なぜか両親は相撲かラグビーをやらせようと考えたらしく、たまたまラグビーの指導者に知り合いがいたことから、ラグビーをやらせることにしたようです。小2で始めた当初は嫌でしたが、小6のころには楽しめるようになっていました。
先生からも「いじって問題ない」と思われていた
――ガタイもいいわけですよね。久保田:小兵ですが、ガッチリしていると言われることが多かったです。一応、九州地方ではラグビーで名前の知られた高校にスポーツ推薦で入学したんです。当時は170センチないくらいの身長で、体重が80キロありましたから、非力な部類ではないですよね。
――ガタイのいい引っ込み思案な性格というギャップがあったわけですね。
久保田:はい、ただ必ずしもそれは周囲に伝わっていなかったと思います。どちらかといえば私はそそっかしくて、お調子者だと思われていたフシさえあります。キャラ的には“いじっても問題のないやつ”のくくりだったでしょう。高校時代も先生からそう思われて、しばしば見せしめのサンドバックにされました。おちゃらけて見せるのですが、内心は結構傷ついていたんです。
「生きていたくない」と両親に打ち明けた
――通っていた高校は非常に厳しいところだったとか。久保田:いわゆる“自称進学校”で、優秀な生徒もいるにはいたから、先生たちも「学校を信じてついてくればいい大学へ入れる」みたいな熱気を帯びていて、息苦しく感じることもありました。くわえて、強豪の部活動でもありましたから、そこに所属している生徒は一般の生徒よりも模範的な振る舞いをすることが善とされていたんです。
ところが先ほどもお話したとおり、私は注意力が散漫で、しばしば宿題を忘れるなどの“粗相”がありました。
高2くらいのとき、「生きていたくない」という気持ちになりました。それを両親に打ち明けたとき、特別何かを言われたわけではないものの、泣かせてしまって……。そうした生活に耐えられずに、中退をしたんです。
――高校中退後、大学も6回留年しています。
久保田:はい、大学は結局辞めることになってしまうのですが、当時30歳近くになっていました。大学は関西圏にある国公立大学の英米学科に進学するのですが、精神的に徐々にきつくなっていくのが自分でもわかりました。家から出ることができなくなり、単位も遠のいていきました。それでもお情けでほとんどの科目で単位をもらえたのに、卒業論文が一文字も書けなかったんです。
休養を経て、就職するも…
――精神科の診断はどのようなものだったのでしょうか。久保田:大学を辞めたあたりで受診したとき、発達障害があるうえに気分障害や不安障害が併発していると指摘されました。思い返せば、高校時代からそうした傾向はあったのかなと思います。
――大学を辞めたあとは、どのように過ごされるのでしょうか。
久保田:実家に帰り、半年間休養したあと、警備員として就職しました。しかし自分の状況を客観的にみたとき、障害者雇用の枠で仕事をしたほうがいいのではないかと考え、障害者の職業センターに通うことにしました。そこの支援を受けて、病院事務の仕事を数年していましたが、今年退職しました。現在は求職中です。
最後は自分で立ち上がるほか方法はない
――学生時代の挫折が人生全体に影響を及ぼしているようにみえますが、ご自身の人生を振り返ってどう感じますか。久保田:ありがたいことに、さまざまな人や制度が助けてくれる状況があります。でも、やはり最後は自分で立ち上がるほか方法はないのだろうなと思っています。躓いても、人生は待ったなしで進んでいくんですよね。
私は人とつながる力が極端に弱く、自分の内面の複雑さや面倒くさいところを打ち明けるのがとても苦手でした。人間関係も、何か目に付くと自分から遠ざかってしまうんです。今思うと、どんなに部活や学校の校則が厳しくても、自分を癒やすための自衛的な趣味のひとつでもあればよかったのかもしれません。
けれども私はすべてを真に受けて食らって、そのたびに傷ついていきました。
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誰しも心のなかに面倒な感情を飼っているが、その繊細さに気づかれず、別の値札を貼られてしまう人がいる。そして他人の機微に聡い人ほど、期待された役割を演じる。自分の心を蝕んでいくことに気づきながら。
きっと久保田さんの紆余曲折は、利口な別の誰かならば、いとも容易く解ける程度の難易度なのだろう。けれども一笑に付すことは憚られる。自分でも説明のできない、得体のしれない感情に振り回された経験のある誰かのために、久保田さんが話してくれたのだから。
<取材・文/黒島暁生>
【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。