「あおいちゃんですか? お写真いっしょに撮りたいです!」
歌舞伎町を歩けば、たびたびファンから声をかけられる「ホス狂いあおい」ちゃん 。

ホス狂いを自認し、ホストを紹介するYouTubeやTikTokが大バズり。
そんな歌舞伎町の有名人である彼女の波瀾万丈な半生、その幼少期とは?(記事は全2回の1回目)

幼い頃に両親が離婚。“ゴミ屋敷”で祖母に育てられる


歌舞伎町有名“ホス狂い”の壮絶すぎる幼少期。両親が離婚、「ま...の画像はこちら >>
「物心ついた頃……保育園くらいのときにはもう両親が離婚していて、父も母もいませんでした。親権は母だったけど、熱海の祖母に育てられていました」

熱海にある祖母の家は、「まるで“ゴミ屋敷”だった」とか。足の踏み場がなく、部屋は段ボールと荷物でいっぱいだったとあおいちゃんは言う。

「祖母は大のパチンコ好きで、保育園に通う私を放ってパチンコに行っちゃうんですよ(笑)。だからパチンコが終わるのを公園でずっと待っていましたね。夜までずっと1人で……」

まだちいさな保育園児が深夜に1人でいたら通報されるに決まっている。あおいちゃんは何回も補導され、児童相談所に保護された。

「そんな祖母のもとでは子どもは育てられないので、誰が私を引き取るか?っていう話になり、父でも母でもなく、母の兄(伯父)夫婦に引き取られることになりました」

車の中に放置されることも…


歌舞伎町有名“ホス狂い”の壮絶すぎる幼少期。両親が離婚、「まるで“ゴミ屋敷”で育てられて」
ホス狂いあおい
伯父夫婦には子供がおらず、あおいちゃんのことをとても可愛がってくれていた。だが、実際に暮らすとなると、なかなか難しい部分があったという。

「たまに会って可愛がるのと、一緒に住むのは違いますよね。伯母は、私が母に似ていることや、自分の時間が子育てに吸い取られたことが嫌だったようで、悪いことをすると叩かれたり、裸で庭に出されたり……。夫婦がパチンコをしている間、車に長時間放置された記憶もあります。
今だったら大問題ですよね」

あおいちゃんは、親に甘えられず居場所がなかったことから、小学生にして何回も家出を繰り返した。学校で「うちの親は本当の親じゃない!」という発言をすることもあった。

「今でこそ片親の子なんて当たり前にたくさんいるけど、当時はやっぱり変わった目で見られてしまう時代でした。私の発言により、伯母はPTAの会議とかでも気まずかったようで……。それが原因か分かりませんが、小学校は4回も転校しましたね」

実の父親に「私を育ててください」と直談判


歌舞伎町有名“ホス狂い”の壮絶すぎる幼少期。両親が離婚、「まるで“ゴミ屋敷”で育てられて」
ホス狂いあおい
そして小4の夏祭りで、あおいちゃんは行動に出る。

「2人から逃げるように家出しました。祭りだったから人ゴミに紛れやすかった。公園に隠れたりしながら逃げて、実の父に電話をかけました」

久々に会った父に彼女は頭を下げて「私を育てて欲しい」と直談判したという。音信不通だった実母にも会い、親権を父親に譲る手続きをしてもらったそうだ。

「父の実家がある福井に引っ越しました。でも福井は方言がきつくて何言ってるかわからないし、転校生などほぼこない辺鄙な地域だったのでいじめられました。すごく大きくて立派な家で父と祖父が住んでいましたが、これまた掃除ができなくてゴミ屋敷。しかも外面がよくてふだんは気前もいいのに、私の学費とかは一切出さないというスタンスで」

家は大豪邸なのに学費は出してくれず…


完全にネグレクトの状況だった。

「中学生になって、思いっきりグレました(笑)。
夜、家を抜け出して、24時間やっているゲームセンターに入り浸って高校生と遊んだり。祖父からは暴力もたくさん受けましたが、そんな祖父が死んだんです。思わず『やったー!』と声をあげました。

ただ、この頃から体調がすぐれない日が続いて、入退院を繰り返すようになって。いろんな病気で入院しましたが、なんにせよ、学校の授業はそんなに出ていなかったです」

高校はアルバイト禁止だったが、彼女は父親から学費を出してもらえず、自力で稼ぐしかなかったそうだ。当時は近所のマクドナルドで時給750円だったにもかかわらず「月12万円は稼いでいました」というからすごい。

「接客を褒められて、マックのコンテスト出場をすすめられたこともあります(笑)。ただ、もう疲れちゃったんです。学校行くためにこんなに働かなきゃいけないことに……」

高校を退学して、次に働いたのはライトオン。時給は地元では破格の950円だったそうだ。

「時給はいいけど、仕事は厳しいことで有名でした。まさか自分が受かるとは思いませんでしたけど、大学生や年上のフリーターと同じ給料で働いていました。
バイト以外の時間は、ずっとネット。携帯依存で友達がネットにしかいませんでしたね」

常に付きまとう希死念慮


歌舞伎町有名“ホス狂い”の壮絶すぎる幼少期。両親が離婚、「まるで“ゴミ屋敷”で育てられて」
ホス狂いあおい
現在のとても明るい性格の彼女からは想像もつかないが、当時はメンタルの波が激しく、希死念慮もあったようだ。

「祖父が死んでから、それまで離婚して別居していた祖母とも同居するようになりましたが、祖母もまたヒステリックな人で……。気に入らないことがあると杖で殴ってくるんです。さすがに私もキレてやり返したら、その後は一切口をきかなくなりました」

離婚、暴力、ネグレクト……。あおいちゃんは常に「なんで他のうちとこんなに違うんだろう?」と比べてばかりいた。

「誰も私に寄り添ってくれない。私の人生ってなんなんだろう?って」

そんなとき、ネットで出会った東京在住の男性に「じゃあ東京に来たらいいじゃん!俺のところに来たらいい」と救いの手を差し伸べられた。

あおいちゃんは、この環境と訣別すべく、ボストンバッグひとつで夜行バスに飛び乗ったのだった。

<取材・文/吉沢さりぃ、撮影/藤井厚年>

―[ホス狂いあおい]―

【吉沢さりぃ】
ライター兼底辺グラドルの二足のわらじ。著書に『最底辺グラドルの胸のうち』(イースト・プレス)、『現役底辺グラドルが暴露する グラビアアイドルのぶっちゃけ話』、『現役グラドルがカラダを張って体験してきました』(ともに彩図社)などがある。趣味は飲酒、箱根駅伝、少女漫画。
X(旧Twitter):@sally_y0720
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