ドラマの脚本執筆を機にAIと向き合い始めたという元放送作家・鈴木おさむ氏は、このニュースを見て、メディアで過熱するAI叩きの構図に感じた危うさを吐露する(以下、鈴木氏による寄稿)。
AI依存を深刻化させる人間社会の悲劇の根っこ
16歳の少年が自ら命を絶った。両親はオープンAIを提訴し、「チャットGPTが不適切な回答を示したせいだ」と主張。大きく報道された。確かにAIには安全対策や権利問題など課題がたくさんある。正直、5年前の僕はAIがどれだけ進化しても、お笑いの大喜利で本当に笑える答えなんか出せるわけがないと思っていた。だが、今は、かなりおもしろい回答を出してくるようになってしまった。
今年の7月から3か月間、久々にテレビドラマの脚本を書いたのだが、そのタイミングでAIと向き合ってみた。結果、自分に合った使い方を見いだすことができれば、とてつもなく優秀なパートナーであり、クリエイティブのセンスを120%に磨き上げてくれることを確信した。
そんな僕が今、このニュースを見て思うのは、またしても「メディアによるAI叩き」が過熱していくことだ。問題が起きるたびにAIを“悪者”に仕立て上げる──。その構図が怖い。AIで得をしている人間もいれば、損をしている人間もいる。
「生きてほしい」と言えるのは人間だけ
このニュースで本当に問うべきは、「寄り添ってくれたのがAIしかなかった」という事実ではないか? 少年は家庭でも学校でも、自分の心の奥を打ち明けられる相手を持てなかったのではないか。その現実こそが悲劇の根っこではないか。AIは24時間応答する。決してバカにしないし、怒鳴らないし、裏切らない。そういう意味で理想的な聞き役だ。だが、命が消えそうな瞬間に「生きろ」と真正面から叫ぶことはできない。そこに人間との差がある。この少年の砦になるべきは誰だったのか。親かもしれない、先生かもしれない、友達かもしれないが、その空白を埋めたのがAIだった。僕らの社会そのものが、子どもを孤立させていたのだ。
もちろん「AIにそんなことを言わせるな」という議論は大切だが、それ以上に「なぜ人が寄り添えなかったのか」を直視すべきだと思う。
僕らが本気で考えるべきはAIを悪者に仕立て上げることではなく、いま一度、人が人にどう寄り添うかを問い直すことだ。不器用でも泣きながらでも、「生きてほしい」と言えるのは人間しかいない。その一言を取り戻せるかどうか。そこに社会の未来とAIと人間が共存できる世界が訪れるかが、かかっている。

【鈴木おさむ】
すずきおさむ●スタートアップファクトリー代表 1972年、千葉県生まれ。19歳で放送作家となり、その後32年間、さまざまなコンテンツを生み出す。現在はスタートアップ企業の若者たちの応援を始める。コンサル、講演なども行っている